第75話 首都攻防

 マニューという男がいる。

 コルドバの高級官僚であり、宮廷の御前会議の末席に名を連ねる男だ。

 宮中が迫り来るオーガス軍の脅威に混乱する中、彼はコルドバ王に、一つの進言を行った。

「奴隷を解放し、兵とすればいかがでしょう?」

 その言葉が、降伏に傾きかけていた会議の色に変化を与えた。



 リアはコルドバに対して、何度か降伏勧告を行っていたが、今まではそれは全て拒否されてきた。

 理由は簡単、コルドバに充分な兵力が残っていたからである。

 しかし精鋭として送られた、20個軍団による軍はオーガス軍の前に敗北を喫し、それだけならまだしも、いまや首都に向けて侵攻してくるのだ。

 王宮の財物をそのまま褒賞とするリアの言葉は、既に伝わっていた。

 今からでも降伏してその傘下に入れば、コルドバ伯爵としての地位だけは保証されるだろう。



 だがマニューはそれに待ったをかけた。

 ここまで抵抗したコルドバの国主を、果たしてオーガスの女王が命を助けてくれるのか。

 またそれは、王の側近であった貴族たちも同様である。

 コルドバの首都自体には強固な城壁があり、食料もある。充分な兵力さえあれば、これに拠って戦うことはまだ可能だ。

 そして充分な抵抗をしてこちらの力を示してからの方が、たとえ降伏するにしても良い条件が引き出せるのではないか。

 マニューの言葉は、王と貴族の意思を強く動かした。

「してマニュー、奴隷たちの指揮を執れるだけの人物が、我が国に残っていようか」

 ついに王はそう言い出した。

「許されるならば、臣が一命をもって……」

 コルドバ王は強く頷いた。







「ところでフィオ、こいつの書類をみてくれ。こいつをどう思う?」

「すごく……有能そうです」

 思わずフィオはそう呟いた。

 コルドバ王国官僚貴族、マニュー男爵。

 名前はマニューだが男なので、おっぱいが大きなわけではないだろう。

「なんで国って滅亡しそうになると、こういう有能そうな人間が出てくるかなあ」

 思わず溜め息のリアである。

 むしろそういった突出した人間が必要とされない状況が、国としては理想なのだろうが。



 コルドバが奴隷を兵として使うという話自体は、すぐに情報としてもたらされた。

 兵として参加した者は、今後自由民として解放される。

 功績を上げた者は、一時金か土地が支給される。

 リュクレイアーナ女王を捕らえるか、首を挙げた者は貴族として列せられる。

 なかなかに魅力的な条件だろう。確かにリアが今いなくなれば、コルドバを攻める者はいなくなる。

 この大軍をまとめる能力、ライアスならば能力だけはあるだろう。

 だが能力だけでまとめられるものではない。指導力や正当性が必要になるのだ。

 ギネヴィアあたりを総大将として持ってくればそれも間に合うのだが、するとマネーシャで後方支援を行う人間がいなくなる。

 カーラにはそもそも、戦争の指揮官は向いていない。カリスマならあるのだろうが……。



 まずは一当て、ということで攻撃が始まった。

 リアに命を救われた旧コルドバの兵は、猛烈な勢いで首都を攻める。

 攻城兵器の準備は万端だ。だがコルドバ側も、これにて完全に後がないと考えれば、自然と士気が上がる。



 長梯子が城壁にかけられるが、次々と石材や丸太でもって破壊される。

 投石器の攻撃も、魔法で強化された城壁には、さほどのダメージを与えない。

 何世代前かの、臆病な王が作り上げた過剰とも思える防御力が、今効力を発揮していた。







 五日が過ぎた。

 敵軍にもそれなりの損害は出ているのだが、明らかに味方の方が犠牲は多い。

 リアは軍議の席に出たが、まだまだ力押しの意見が大きい。

 当たり前だろう。犠牲となっているのは、主に旧コルドバ兵であったオーガス兵だ。

 自領の軍を消耗していない貴族が攻撃をひたすら推進するのは当然だった。

 だがリアにはそれでは困るのだ。

 コルドバも含め、国力を保全した状態で屈服させないと、千年紀で魔族と戦うことが出来ない。

 しかしそれにしても、コルドバの首都は鉄壁であった。



「城を攻めるは下策、心を攻めるが上策か……」

 ふと、そんな言葉を口にしてみる。

 何の気なしに口をついた言葉だが、それが軍議の方向性を変えた。

 幕僚たちもこれまで散々リアの思考に付き合わされたおかげで、成長しているのである。

 そして次の日から、攻城戦ではなく心理戦が始まった。







 まず、投げ込まれる石に紙片が混ざることとなった。

 それは、獣人たちに向けられたものだ。

 彼らはこの期に及んでも人間と同列には扱われず、兵として志願することも出来なかった。

 それが城壁の外では、既に獣人が人間と同じように扱われ、女王の寵愛を受けている者もいるという。

 あえて反乱までは起こさなくても、これで後方の支援の力ががくりと下がった。



 コルドバの高い城壁の外に、土魔法で更に巨大な小山を作り、そこから中が見えるようにした。

 投石器の使える距離ではないが、人間にとって自分たちの行動が全て見られているというのは、大変な圧力がかかるものである。

 その圧力によって、コルドバの兵たちの精神は徐々に疲弊していった。



 またオーガス軍は陣営地ならぬ、巨大な壁と堀を持った、街とも呼べる陣地の構築にかかった。

 これはどれだけの時間をかけても首都を落とすという意思表示であり、この戦いが終わって奴隷からの解放を願うコルドバ兵にとっては、いつ終わるか分からない戦いが目の前を暗くしていった。



 同じく多くの人間の力を必要とする工事がなされた。

 コルドバの人口を満たす水は、自然の巨川から引かれたものであるが、それを止めようとする工事である。

 多大な労力と技術力が必要な工事であるが、今のオーガス軍にはそのどちらもが存在した。

 またこの工事には、別途報酬が支給された。



 ついでに予告投石というのも行われた。

 前日に次の日にコルドバのどの街区に投石が行われるかを、紙の塊で投下するのである。

 次の日には当然その街区に投石が行われ、人的被害はともかく、精神的な圧力はどんどんと高まっていった。

 城壁は存在したが、それを守る兵を支援する市民たちが、参っていったのである。







 そして最後のえげつない作戦が、マニューとその兵の、コルドバ首脳部からの切り離しである。

 まず使者を立て、コルドバの降伏を強く主張した上で、敢闘したマニューには子爵の地位を約束すると文書で寄越したのだ。

 この使者を、マニューは切って捨てるべきだったのかもしれない。だが彼は丁重に使者を帰し、文書を王宮に渡した。

 王は差し当たってはマニューの対応を誉めたが、疑心暗鬼が生まれた。

 文書の内容は王家に厳しく、マニューに甘いものであったのだ。



 数日後、敵側の使者と秘密裏に会っていたという理由でマニューは更迭された。

 城壁を守る奴隷兵士たちの士気は、一気に落ちた。

 ここでオーガス軍ならば、リアやカーラが前線に立ち、兵を鼓舞するという手段が取れただろう。

 だがコルドバの王にはカリスマがない。

 コルドバという統治機構の一番上に立つ存在であると言うだけで、有能である必要も、顔を見せる必要もなかったのだ。



 ある夜、何の脈絡もなく、コルドバの門の一つが開かれた。

 そこからは多数の獣人が、オーガスの陣営へと逃げてきた。

 これは内応したものではなかったので、残念ながらこれに乗じて都市に侵入することは出来なかった。

 だが、これが最後の一押しだったのかもしれない。



 この事実を書いた紙が、投石器でコルドバの街に何枚も投げ込まれた。

 市民の王権に対する支持は完全に失われた。

 酷吏で有名なコルドバは、もはやそこにはいない。法律が機能していない。

 軍規も失われた。マニューが前線からいなくなった時点で、コルドバの運命は尽きていたと言っていい。



 包囲からわずか10日目。

 コルドバはオーガス軍に対して降伏を申し出た。







 これに対しリアは、コルドバ王族が最低限の財物を持って都から退去することを許可。

 王宮内は、兵士の蹂躙に任せた。

 もっともその直前、フィオの手によるカサリアの兵によって、持ち出されたものがある。

 コルドバ国内の税に対する記録書類と、法の判例集などである。

 財物としては全く価値のないこれらの紙束を、フィオは何より重要視した。

「いや、気付かなかった。偉いぞ~」

 思わずフィオの頭を撫でて、リアは微笑んだ。

 フィオもまた幸せそうに微笑み返した。



 兵士たちの略奪は徹底していた。

 コルドバ城内から価値のある物は、一切がなくなっていた。

 もちろん、食料は除いてだが。

 正直、糧秣が少なくなっていたオーガス軍は、これでようやく戦争の後始末が出来るとほっとした。



 軟禁されていたマニュー男爵は、どちらかというと小柄な、品の良い男であった。

 よくこれで奴隷たちを指揮出来たなとは思うのだが、かえってその風采が、奴隷たちに安心感を与えたのかもしれない。

「コルドバはこれをコルナダと改名し、マニュー男爵を伯爵に昇爵。コルナダの統治を任せる。励めよ」

 謁見の間で、仰々しくリアは告げた。

 むしろ泣きそうな表情で、マニュー改めコルナダ伯爵は、謹んでそれを受けた。

 空になった国庫。いなくなった奴隷。この統治は大変なものになるだろう。

 しかしそんな大変な統治こそ、リアは人に任せるべきだと思っていた。

 解放した奴隷からの支持は絶大なものであるし。

 何よりリアが、もうやってらんないのである。



 コルドバ伯爵はその領地のほとんどを削られたが、命を奪われることはなく、息子への継承がなされた。

 彼はその長い一生を、動乱の時代を過ぎ、千年紀を迎え、さらにその先の時代を見ることになる。

 だがその名が歴史に登場することは、もう二度となかった。







「疲れたよ~、疲れたよ~」

 絨毯の上で直接ごろごろと転がり回り、またリアは周囲を困らせていた。

「お茶をどうぞ」

 カーラの用意したお茶は、いつものミルクティーだった。

 リアはそれを飲んでようやく、赤ちゃんのような駄々をこねるのをやめる。

「あ~、これから大変だ~」

 ぐったりとテーブルに突っ伏す。

「そうですね。やらなければいけないことは、なんとかまとめますので、よろしくお願いします」

 フィオの顔にも疲労が濃い。だが実際に一番体を動かしているのは、カーラであろう。



 彼女は戦争による病気、外傷を受けた人間を、連日癒して回っているのだ。

 もう魔力に余裕を持たせておく必要がなくなったという訳で、通常なら回復しない怪我人も、彼女の手によって健常者に戻っている。

 そんな彼女はやはり、竜殺しではなく聖女と呼ばれることが多い。

「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」

 口ではそう言っても、リアはなんだかんだ働いてしまうのだ。

 早くマネーシャに戻って、それから一度はカサリアへ帰って、フィオを正式に妻にして……。

 酒池肉林を夢に見て、今日もリアは頑張るのであった。

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