第71話 要塞

「穴、ですか?」

「そうだ。正確には溝だがな」

 マラダス要塞攻略線は、当初ひどく地味な作業から始まった。

 高地に存在する要塞に対して、ジグザグの溝を掘りながら接近する。

 それは今までのこの世界では、存在しない戦法だった。

 後の歴史に残る、マラダス要塞攻略戦。

 それはこんな、地味な作業から始まった。



「実際にやってみると、確かにこれはいいかもしれませんな。陛下はどうやってこれを思いついたのですか?」

 ライアスが感心して言うが、前世のチート知識ですとは言えない。ただサージと顔を見合わせて笑うだけである。

 それにしても塹壕陣地なぞとっくに考えられていてもおかしくないものであるが、なぜ発達しなかったのか。日本からの転生者には反省を促したい。

「単に掘るだけでなく、斜めに掘るというのがいいですな。これで敵の魔法の攻撃も、威力を減じることでしょう」

 ああ、普通の溝を掘っただけでは、魔法の炎や風などを防ぐことが出来ないのか。

 だから、それを斜めに交差させるという発想が、生まれなかったのだろう。

 普通なら土の魔法で、壁を作ったほうが分かりやすい。だがその程度の壁では、投石器の攻撃を防げないのだ。



 さて、コルドバの戦術は、洗練されている。

 洗練されているが、革新的ではない。

 兵器の運用には精通しても、兵器の改良には不十分であるというのか、技術力が、コルドバの軍事力面の唯一の弱点である。

 距離を詰めると高低差があるとはいえ、その兵器の性能の違いによって、互いの損耗はほぼ等しくなる。

 そして損耗が等しくなると、そこからどれだけ回復できるかというのが重要になってくる。

 こちらにはカーラがいる。

 絶大な治癒魔法の使い手であるが、リアはその魔力が必ず半分以上は残っているように調整させていた。

 たとえ、目の前に死に行くものがいたとしても。

 今ならまだ、死の淵から呼び戻せるものがいるとしても。

 一日に使える魔力には限度がある。

「子爵様が討ち死になされました!」

「カーラ! 蘇生魔法を!」

 こういうことがあるからである。



 上級指揮官の損失は、場合によっては1000の兵の損失よりも痛い。

 まして今死んだのは、猛将として名高い老人であった。

 こういう時のために、カーラの魔力は温存されている。

 魔力回復薬を飲みつつ、カーラは子爵を蘇生させる。

 この戦場にて死は平等に与えられる。だが、生は平等ではない。

 徐々にではあるが、要塞の防御力は日に日に落ちていった。







「あれを使うか」

 リアが言ったのは、要塞の攻防戦が始まって、一週間が過ぎた頃だった。

 あれとは、以前の篭城戦で用意こそしたものの、結局使わなかった兵器である。

 考案したからには試用もしてみて、かなり効果的だとは分かっている。

 その兵器とは、火薬である。



 この世界は魔法が発達しているため、科学の進歩が遅い。数学のような基礎的な学問の発達も歪である。

 火薬の原料は、リアの魔法で作り出すことが出来た。なぜならこれは、魔法の物質ではないからだ。

 黒色火薬を作り、これに導火線をくっつけ、鉄片や鉄屑などで殺傷力を増したら、立派な爆弾の出来上がりである。

 これを投石器によって、砦の中に投げ入れたのだ。



 魔法の炎ならば、魔法の風ならば、魔力自体を消すことによって、その効果を消滅させることが出来る。

 だが、火薬による爆発には魔力は介在していない。

 物理的な効果全てを防ぐ魔法ならともかく、魔力の拡散を目的とした魔法防御では、爆発の衝撃を消去できないのだ。

 この事実に敵の魔法使いが気付くまでに、少しの時間がかかった。

 そして戦場での少しの時間とは、何よりも貴重なものである。



 リアが迷った時間は短かった。

 敵の混乱に乗じて、一斉攻撃をかける。当初予定では、もっと時間をかけて相手の士気と兵力を削っていくはずだったが、今はその機会であるかもしれない。

「投石器と魔法の攻撃を更に敵後方に激しくした後、全軍突撃をかけよ」

 リアの指示が、全軍に行き渡る。

 ここでも先頭に立つのは、血気に逸ったオーガの戦士たちだ。

 鬨の声を上げて、彼らは塹壕から飛び出していった。



 敵兵の弓が、戦士たちを射抜いていく。

 しかしそれを踏み越えて、味方の兵は城壁に取り付く。

 長梯子が城壁にかけられる。乗り越えようとした兵に、熱した油が振りかけられる。

 損害が、思ったより大きくなりそうだ。

 だが一度決断した以上、そして勝ち目が見えている以上、撤退の合図を出すわけには行かない。



「姉ちゃん、城門だけでも破ろうか?」

 鋼鉄製の城門は、相当の威力の魔法でも破れそうにないものだ。もしあれを破れば、一気に兵を突入させられる。

 しかし問題は、そんな魔法を使えば目だってしまうということだ。

「お前の功績にはできないぞ。それに、目だったらまずい」

「分かってるって。それじゃいい?」

「……頼む。イリーナも護衛をしてくれよ」

「はーい」 

 今後サージに及ぶかもしれない危険の可能性と、今目の前にある戦果。

 合理的に考えるなら、サージの身の安全を第一に考えるべきだ。

 だがリアは、サージの一撃を望んだ。

「了解」

 そしてサージとイリーナは塹壕から飛び出る。



 要塞の大門を目にする。それは魔法防御のかけられた、強固なものだ。普通の魔法使いが100人集まろうと、それに傷をつけることは出来ないだろう。

 だがサージには、時空魔法がある。そしてバルスによって与えられた新たなスキル。

『詠唱破棄』

 それは無詠唱や詠唱省略ですらない、魔法使いにとって最強の白兵攻撃手段。

 増幅。加速。加速。加速。

 サージの魔法が増幅され、加速が重ねがけされる。

 そして、爆裂転移。

 今のサージには、余裕を持ってその魔法の行使が可能であった。



 爆音と共に大門が歪み、開かれた。

 一度開いてしまった門は、それが歪んでしまったがゆえに、もう一度閉じることも叶わない。

 その隙間に、命知らずの兵たちが突っ込んでいく。

 戦の趨勢は決していた。

 陣を組んで戦えない要塞の中では、個人の戦闘力が物を言う。

 そうなれば、そこはオーガの独壇場だった。

 あるいは鋭器で、あるいは鈍器で、あるいは素手で。

 斬り、叩き、潰されていく敵兵たち。

 手足が切り飛び、歯が飛び散り、顔が砕ける。

 血の流れが川になり、それに足を取られて転ぶ兵もいる。

 興奮したオーガは敵味方の区別がつかない。慌てて皆がその周囲から逃げていく。



 敵の司令官は、合理的な男だった。

 合理的であるがゆえに、無理をしなかった。この状況にいたって、幕僚と共に要塞から逃げ出したのだ。

「敵将がにげたぞ!」「敵の司令官が逃げたぞ!」

 獣人の偵察部隊から、そう言う声が上がっていく。

 事実だけに、それは要塞の残存兵の戦闘意欲を奪っていった。

 個別に敢闘していた部隊も、それを聞いて武器を捨てる。

「降れ降れ!」「降ったものは殺すな!」「降ったものは殺すな!」







 かくしてマラダス要塞攻略戦は決着した。

 結果だけを見れば、攻撃側の被害の少ない圧勝であった。

 むしろ戦後の処理のほうが大変である。壊れた大門をはじめ、多くの施設が使用不可能になっていた。

 それを修復して、おそらくはすぐに攻めて来る敵を迎撃するための準備が必要となる。

 攻城兵器はそのまま防衛兵器に使いまわせるとして、問題は死体の処理か。

 今回はオーガが頑張りすぎたせいで、敵の犠牲者が多く出た。

 カーラも相当に魔力を使ったので、さすがに敵の死者までは生き返らせる余裕はない。

「強いて言えば、敵の首脳陣を逃したことが痛かったかな」

 戦に完璧を求めてはいけないのは分かっているが、それでもリアは考えてしまうのだ。

 たとえば今回は、オーガの戦士を8人失った。

 たったの8人と言うべきか、8人もと言うべきか。

 リアにとっては後者である。



 数日を過ごして要塞の修復に目処がついても、敵の再攻略の軍は来ない。

「この辺りは最近コルドバに併合された地方ですから、上手く兵が集まらないのかもしれませんな」

 幕僚の一人がそんな説明をしてくれる。なるほど、鉄の規律を誇るコルドバも、こう何度も敗北を繰り返すと、民衆を縛る鎖が弱まっているのかもしれない。

「獣人たちに頼んで、偵察を増やしてもらおう。あと獣人の集落を見つけたら、こちらの軍に加われないか交渉してみてもいいな」

 今のところコルドバの軍は、人間だけで構成されている。幸いなことだ。

 これが猫獣人たちが槍を持ってにゃんにゃん大行進などしてきたら、さすがにリアも非情な命令を下す気にはなれないと思う。

 そんな精神攻撃を加えられないためにも、獣人は出来るだけ早く解放する必要がある。



 獣人たちが集落に走り、要塞近くの人間の集落へも軍を派遣し、とりあえずの指示を与えたリアは、いったんマネーシャへ戻ることにした。

 要塞の司令官としてはライアスを置き、幕僚たちもそのままである。リアの身近には親衛隊と秘書官だけだ。

 ここで暗殺者にでもこられるとまた物語が増えてしまうのだろうが、特に道中の問題はなく、マネーシャへと到着する。

 リアにはギネヴィアに用事があったのだ。

 カーラのことである。



 今回の戦で、カーラはほぼ限界まで魔力を使い、魔法薬をその効果がなくなるぐらいに連続で服用した。

 それほどまでに魔力を回復させ、味方はもちろん、敵の負傷者まで癒すのだ。

 もちろん戦後に敵の捕虜を治癒することは、リアにも異論はない。

 だが今回は敵の被害が大きかったこともあり、その献身的な治療は、一種の自己犠牲のようにまで見えたのだ。



 思えばリアは、カーラという人間をよく知らない。

 竜殺し。妻。神を信じない聖女。

 言葉にすれば特徴は挙げられるのだが、それはカーラの本質ではないように思う。



 カーラは人にその心を見せない。

 見せるとすれば、それは誰かを心配するという優しさだ。それも、表面だけのものではない。

 そして、彼女は強い。

 心の強さだ。彼女は揺るがない。全てを受け入れる。リアのことさえも。

 それが人間としておかしいと、リアは感じていた。



 カーラのことを、知らなければいけない。

 本人に聞くだけでは、きっと答えてくれないだろう。あるいは答えてくれても、それはリアの望む答えではないかもしれない。

 だからリアは、ギネヴィアと話さなければいけない。カーラの親友だという、あの女王と。

 戦よりもタフな交渉になりそうで、ふとリアは笑みを浮かべた。

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