第64話 女王の戴冠

 逃げ出したコルドバ兵に対する、追撃戦が始まった。

 ここで、自軍の騎兵の戦力が充分でないのが、戦果を最大にすることを阻んでしまった。

 敵の騎兵戦力は、ほとんどを逃してしまった。もっとも、それでも少数は背後に伏兵していた獣人たちの手により捕縛されたが。

 歩兵戦力に関しては、追撃でどんどんと数を減らしていった。最終的な死傷者は約5000人。そして捕虜もほぼ同数が得られた。

 残存する敵兵力は、侵攻していた地を放棄し、コルドバの領内へと戻る。その国境で追撃を止め、連合軍は簡素な砦の作成に着手する。



 会戦の行われた地で、サージはなぜカーラが戦力として数えられないか知った。

 彼女は敵味方問わず、傷を負った者を魔法で治癒していったのだ。これに魔力を使うため、戦闘には魔法が使えないということなのだ。

 味方側の士官級幹部で死んだ者はいなかった。正確には、死んだ者もカーラが生き返らせた。もちろん膨大な魔力が必要だったのだが。それに兵卒全てを甦らせることは出来なかった。

「本当に蘇生魔法ってあるんだ…」

 感心したサージだが、彼も忙しく補給物資を配り歩いている。



 最前線へは、今更だが到着したマネーシャの援軍が、物資を送っている。

 リアとカーラは敵の傷病兵と捕虜を前に、演説を行っていた。

「諸君たちには、幾つかの道がある」

 声を上げるのはリアだ。その隣に寄り添うように立つカーラを、女神のように拝む敵兵もいる。瀕死のところを癒された者だろう。

「まず、このまま死を選ぶ道だが、これはお勧めしない」

 冗談のようにリアは肩をすくめた。表情だけで笑う敵兵もいた。

「解放されて故郷へと帰る道もある。おそらくこれを選ぶ者が一番多いだろう。だが武装を許可することは出来ない。最低限の食料は支給しよう」

 これには意外の表情を浮かべる者が多かった。普通戦争捕虜というのは捕虜交換まで拘束されるか、奴隷として売りさばかれるのが大半だからだ。それを、武装はともかく食料まで配布してくれるという。

 戦闘が無事に長期化せず終わったおかげで、連合軍の食料には余裕がある。これを活用しようと、リアは捕虜の解放を提案したのだ。

 もちろん反対意見が多かったが、最終的には選択肢の一つとして入れた。これはあえて捕虜を解放することで、コルドバ国内への宣伝を行う意図があった。

「三つ目の道だが、三年間我が国の奴隷として、開拓地の開墾に従事してもらう。三年が過ぎたら自由民とする。開拓した土地をそのまま自分のものとしてもいいし、売却して自分のしたいことをしてもいい。コルドバに帰るのも自由だ」

 これも異常な提案だった。奴隷にするなら、問答無用ですればいい。それをわざわざ年月を限った上、それが過ぎたら土地までくれるという。

 これは事実上の移民ではないのか。もしくは人口増加政策の一環か。

「諸君の中には農家の次男や三男、もしくは都市の低所得層出身の者もいるだろう。故郷へ帰っても希望がないなら、これはお勧めだな」

 確かにコルドバの軍は流民対策の一環でもあるので、これはかなり魅力的だろう。特にコルドバと違って、戦争に駆り出されることがないというのが大きい。

「そして最後の道だが、これは人を選ぶ」

 リアの視線が戦士たちに向けられる。その強い眼光に、怯まない兵もわずかにいる。

「私、リュクレイアーナの親衛隊として、兵士を募集している。命知らずの男共は、ぜひ応募して欲しい」

 命知らずでなくても、男ならそう言われれば、意識しないわけにはいかないだろう。

 特に腕自慢の男たちは、目を輝かせた。リアの獅子奮迅の戦いを見ていなければ、それもありかと思えるのだ。

「私の親衛隊は本当に危険なので、本物の戦士のみを求める。以上だ」

 煽りまくったリアであった。



 結果的に、半分以上の兵はやはりコルドバに戻った。

 国境までをマネーシャ兵が護送し、そこで解放する。彼らがコルドバにこちら側の政略を広めてくれるのを期待しよう。

 また半分近くが、奴隷になることを選んだ。これはマネーシャの開拓地に送られる。ゴーレムを試験導入している開拓地なので、それほど辛い環境でもないだろう。

 そしてリアの親衛隊としては、およそ100人の兵士が残った。命知らずの彼らの鼻っ柱を、リアが片端からへし折っていったのは言うまでもない。







 戦後処理を済ませてマネーシャに帰還したのは、出発してから一ヵ月後のことであった。

 コルドバとの戦闘の勝利の影響は大きく、周辺諸国のほとんどが連合に加盟すると使節を寄越した。コルドバの悪名、ここに極まれりといったところか。

 しかしその大使の多くが、似たようなことを言ってくるのには参った。

「ところで殿下にはまだ配偶者がいらっしゃらないと聞きました。よろしければ我が国の王子が、婿としてちょうど年齢も釣り合うかと……」

 そういう申し出に、リアは丁寧に答えた。

「生憎だが、私は男性に興味がないんだ。妻でよければ貰ってもいいが……」

「……は?」

 ここですぐさま、王女を差し出すという提案が出来た大使はいなかった。



 こういう場合たいがい大使とは私室で話しているのだが、そこには必ずカーラとシズナを同席させている。

「それでな、私には既に妻と」

 と言ってカーラを示し。

「愛人がいるから」

 と言ってシズナを示す。

「まあ女性はしばらく間に合っているんだよ。美しい妻と、可愛い愛人を可愛がる暇さえないんだから」

 カーラは平然とした表情を崩さないが、シズナは真っ赤になって俯く。

 同席している彼女は騎士服のカーラと違って、貴族の子女のようなドレスを着せられているのだ。

「し、しかしそれでは、跡継ぎはどうされるのですか?」

 うろたえた大使は質問する。

 貴族としては当然心配する後継者の問題も、既に話はつけてある。

「マネーシャの王子を養子に迎える予定だ。私が大公位に就いたら、すぐに正式に発表する」

 元々マネーシャの領地であるのだから、そこの王子を養子にして跡を継がせるのは、道理にかなった話である。



 さすがに後継者が生まれる可能性がないというのに、女に嫁をやるような国はいなかった。いたら面白かったのに。

「それにしても忙しすぎるぞ。嫁といちゃこらする暇もない」

 愚痴るリアだが、周囲も忙しいのだ。カーラはもちろん、シズナも新たにリアの親衛隊となった男共と共に訓練している。

 シズナがバルスに願ったのは、新たなスキルの習得だった。

 既にリアやカーラはギフトとして持っているが、普通の人間が手に入れることのない『限界突破』である。

 能力値の限界が人間を超えるという、そのスキル。対人戦闘を行いながら、そのスキルの習熟に努めているのだ。

 よってくたくたになった彼女を、夜にもまた責めるという楽しいことが出来ない。

「せっかく戦場から帰ってきたのに、忙しさはそれ以上じゃないか……」

「諦めなさい。為政者というのはそういうものよ」

 必死で書類と格闘するリアを見て、ギネヴィアは笑ったものだ。その彼女の手元にも、山のような書類があるのだが。







 そんな日々が過ぎ、リアもようやく事務仕事を人に振ることを覚えてきた頃、待ち望んできたものがやってきた。

 カサリアからの使者である。



 まず先遣隊として、騎士30人が率いる3000の騎兵がやってきた。それを率いるのは見知った顔だった。

「ライアス!」

 宮殿前の広場に整列した騎兵の集団から、カサリアの副騎士団長が現れる。

 その場に膝を着き、リアに対して最敬礼をする。

「殿下にありましてはお変わりなく…」

「いや、変わっただろ」

 外見は相当に変わっている。何より瞳の色が違ってしまっているのだ。

「つもる話もあるだろう。とにかく入ってくれ。他の皆にも楽にするように」

 そう言ってリアはライアスを立ち上がらせる。

 視線の高さが違う。ライアスは変わらないから、やはり自分が大きくなったのだ。

「分かりました。では、私とあと一人だけ」



 ライアスが片手を上げ、騎士の名を呼ぶ。

「フィオーネ、来い!」

 集団の中からやってきたのは、小柄な騎士だった。それも道理で、兜を取ると長い黒髪が現れた。

 少女だ。年齢はリアと同じぐらいか。女性としては、リアほどではないが背が高い。まず美少女と言って良いが、目力がすごい。まるでこちらを睨んでいるようだ。

 いや、本当に睨んでいるのか?

 見覚えのない子だが、何か間接的に悪いことをしてしまったのだろうか?

 ……心当たりがありすぎて分からない。

 けっこうレベルも高いので、恨まれていると嫌だな。



「フィオーネ・ウラン・クリステラです。この命に賭けて、殿下にお仕えさせていただきます」

 いやいや、命に賭けてお仕えと言うよりは、命がけでもぶっ殺すという視線ですよ?

 膝を着いて宣言した彼女を、ライアスが立たせる。クリステラ家は確か伯爵だったはずで、そこの令嬢が騎士になるというのは、なかなかに家族の理解を得るのが大変だったのではなかろうか。

「彼女には殿下の傍仕えとして、騎士団との連絡係になってもらいます。年齢も近いですので、遠慮なく使ってやってください」

「よろしくお願いします」

 気合が入っているのだろうか、殺気さえ感じられる挨拶だった。







 実際の彼女は、有能な秘書官として働いてくれた。

「フィオ、あの書類取って」

「これですか?」

 あっという間に愛称で呼ぶ関係になっていた。このツーカー加減は、ルルーにも通じるものがある。

 私情と仕事をきっちりと分けて考えられる人間なのだろう。連絡係としてギネヴィアともよく会うのだが、彼女の評価も高かった。

 実際書類仕事にも閲兵にも付いて来れるフィオは、寝室が同じシズナを除けば、一番多く接する人間とも言える。



 だがそれでも、こちらを見つめるその目にこもった気迫が気になった。

「今日はカーラはどうしてたかな」

「カーラ妃殿下は」

 凍えるような口調で、フィオは言った。それに妃殿下って。

「本日は孤児院を訪問されているはずです」

 ああ、そういえばそうだったか。彼女が幼少期世話になった孤児院だ。

「ちなみにシズナ様はマネーシャ第3軍の閲兵に行っておられるはずです」

 シズナに様が付くのは違和感があるが、彼女は今や、正式に第二妃として系図に書いてある。いつまでも愛人というわけにもいかないという判断だったが、女王の妻という言葉自体が、おかしなものである。

 しかしフィオのこの態度で分かった。

 おそらく彼女は、同性愛が嫌いなのだ。まあ仕方がない。ごく普通の価値観だろう。



「フィオ、あのな」

 だからリアは優しく声をかけたのだ。

「同性愛が認めづらいのは分かる。もしお前が嫌なら、配置転換をしてもいいんだ」

 それに対して、フィオは激烈に反応した。

「違います!」

 強い否定の声だった。

「私は姫様を……お慕いしております!」

 強い好意の告白だった。

「わ、私を?」

 その気迫に、思わずリアは押されてしまった。これだけ純粋な好意を女性から向けられるのは初めてだった。

「でも、フィオはいつも私のことを睨んでいたような気がするんだが……」

 あれはなんだったのか。

 フィオの目が泳ぐ。だが、また強い視線でリアを見つめる。

「私がバカだったんです」

 そしてフィオの告白が始まった。



 カサリアの宮廷にいた頃から、自由なリアに惹かれていたこと。

 女が好きだと、普通なら公言できないことまで平然と言ってのける姿に憧れたこと。

 少しでも身近にいたくて、騎士になろうと思ったこと。

 それなのに旅に出てしまって、自分の気持ちを伝えなかったことを後悔したこと。

 女であるにもかかわらず、女性を妻として迎え、それに異議を唱えさせない。その姿勢に再び感銘を受けたこと。

 そしてリアの妻となった二人に、ずっと嫉妬していたこと。



 吐き出すようにフィオはそれだけを言って、最後に付け加えた。とても小さな声で。

「あなたが好きです」



 正直リアは圧倒された。

 これだけ真正面から、リアを好きだと言ってくれる少女は初めてだった。

「フィオは……女が好きなのか?」

 だからそんな、間抜けな質問をしてしまったりもした。

「私が好きなのは、姫様だけです」

 まっすぐだ。

 カーラの持つ強さとはまた違った、一途なものだ。

「あなたが好きです」

 しっかりとリアを見つめたまま告げるフィオの目に、涙が浮かんでいる。

 ああくそ。可愛いじゃないか。

 リアは立ち上がると、フィオの頬に手を伸ばし、顔を近づけた。

 目蓋にたまった涙を吸った。

 そしてふわりと、壊れ物を取り扱うように、優しく抱きしめた。

「私と一緒にいても、子供は出来ないぞ。まあ、浮気して子供を作っても、私のところに戻ってくれるならそれで構わないが……」

「私が好きなのは、姫様だけです」

 リアの腕の中で、フィオは小さくなっていた。

 これは、責任を取るべきだろう。リアは決断した。

「戴冠式が終わったら、私の第三夫人になりなさい」

 小さく頷くフィオの気配が分かった。







 カサリアの公爵位にある貴族が、父王からの文書と冠を持ってきて、戴冠式の準備が始まった。

 彼と一緒にカサリアは30000もの大軍勢を寄越してきたので、その宿営地の選定だけでも大変だった。

 戴冠式には周辺諸国から王族が多く集まってくるので、その接待もしなければいけない。リアは基本的に偉ぶらない人間なので、自分を訪ねて来てくれた人には出来るだけ会うようにしている。

 さすがに仕事量が増えすぎたので、フィオがスケジュール管理をしてくれた。

「訓練の時間を削れば、大分楽になるんですけどね」

「それだけは駄目だ」



 色々と細かい事件はあったが、無事に戴冠式の日を迎える。

 公爵が玉座前の台に王冠を置き、それを男装したリア自らが、自分の頭に載せるという手順である。

 玉座に座らず廷臣や各国の王、大使たちの方へ向き直り、両手を上げる。

「公王陛下万歳!」

 ノリノリでギネヴィアが叫ぶ。それに皆が唱和していく。

 大公。それがリアの正式な地位である。

 王家の人間が臣籍に下るとき、通常は最高でも公爵だということを考えると、これは異例のことだ。

 父王がどれだけ難しい協議を重ねたかも聞いたが、リアはアナイアスの方へ頭を下げたのみである。



 さて、国号である。

 当初は基盤となるマネーシャの名をそのまま使うはずであったが、今後もマネーシャ公爵ギネヴィアが存在するので、それは都合が悪かった。

 コルドバを平定するという意図をこめてコルドバ大公国を名乗ろうかと思ったが、とにかくコルドバの名が悪い。

 そこで、オーガスという名を使うことにした。

 蛮族とも言われるオーガの名前である。しかしそれをあえて使うことで、他種族との融和を示したのだ。



 周辺国の貴族に対しては、改めてその独立性を認めた。

 今後はオーガス連合大公国の○○領という形式になる。全体の法律や組織を整備しなければいけないが、それは追々やっていくことだろう。

 自治都市であるシャシミールやジェバーグは、選ばれた市長を一代限りの伯爵として遇することとなった。

 ちなみにこの時、バルガスには男爵の位を授けている。

 娘が大公の妻であるのに、平民では都合が悪かったからだ。

 オーガキングや、獣人の代表も爵位を受けている。

 少なくともリアの下では、公国に従うという意思の現れである。



 玉座に座らず、立ったままでリアは演説を始めた。

「かつて私は迷宮都市を踏破し、その主に10年以内に千年紀が訪れるという啓示を受けた」

 それは今まで、ごく一部の者しか知らなかった事実である。廷臣たちが大きくざわめく。

 それが収まってから、リアは言葉を続けた。

「このオーガス大公国建国の最大の目的は、その千年紀を乗り切ることである」

 明確な国家のビジョンである。そしてこれは、どの国も、人間も、反対しようのない理由だ。

「だがその前に、片付けなければいけない問題がある」

 そう、目の前にあるのは、千年紀ではない。

「正当な理由なく他国を侵略し、戦乱を招いている悪の国家コルドバ、これを討つ。そして正当な領主へと領地を返還する」

 今謁見の間には、かつてコルドバに滅ぼされた国の貴族もいる。

 彼らの目には涙が光っていた。

「コルドバは大国である。しかしながら我々は一つの意思の下にまとまり、カサリア王国の支援もある。勝算は充分にある。あとは諸君の努力に期待するだけだ」

 ここでリアは虎徹を抜き、その切っ先を天に向けた。

「コルドバに正義の鉄槌を! 我々に勝利を!」

 そう、自分たちは正義だ。

 それを信じられることが、強さとなる。

 勝利を、と誰かが小さく呟いた。

 それに誰かが続き、やがて声は大きくなっていく。



 宮廷中の士気が高まっている。

 これで、どうにかコルドバに勝てるだろうか。これでもまだ、不安はないか。

 不安はいくらでもあるだろう。だが、それを自分が顔に出してはいけない。

 戦場にいるような空気の中で、リアはもう一度叫んだ。

「勝利を!」



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