第54話 赤い花が咲いた

「で、逃げようとしたわけか」

 ベッドに腰掛けたリアの前に、シズナが神妙に正座している。

「怪しかったから捕まえてきたんだけど、良かったのよね?」

 室内にいるもう一人の人物、吸血鬼のアスカが問う。

「ああ、そうだな。ちょっと昼間、事情があってな」

 夜の闇に紛れ、村からこっそりと逃げ出そうとしていたところを、偶然やってきたアスカにつかまったのだ。


「なるほどねえ。約束は守らないといけないんじゃない?」

 事情を聞いたアスカは、偉そうに腕組みをした姿勢でそう言った。

「だ、だって女同士だぞ!」

 さほど面識はないながら、同じ女なら、女同士というのがどれだけ異常か分かっても良さそうなものだ。

 だが、アスカには常識は通用しない。

 永遠に近いほどの時を生きる吸血鬼にとって、愛する対象の性別など、それほど気にすることではないのだ。

 吸血鬼という種族が、繁殖力が極めて低いというのも関係しているのだろうが。

 あと、魔族領にはBLもGLもあるんです。これは魔王様ばかりの責任ではありません。

「いいんじゃない? あたしも普段は女の子から吸ってるし」

「へ?」

 吸ってるって、何を?

「それにこの子なら……」

 改めてじっくりと、アスカはリアを見つめる。

 そこに好色な要素はなく、ただ美を愛でる追求者の風韻があった。

「うん、あたし、この子となら寝れるわ」

「そうか。私は……そうだな、お前となら寝れるな」


 ありえない。

 シズナの両親は、仲の良い夫婦だ。

 シズナを筆頭に、三人の子供がいる。

 男がいて、女がいて、子供がいる。それが、普通の、組み合わせだ。

 もし、自分が男だったら、それはリアに恋するだろう。女神のようにあがめるだろう。こんな美しい少女は他にはいない。

 もしリアが男だったら……。

 自分は、たぶん、いや間違いなく……。

 でもそれは、もしの話だ。




「……というわけで、コルドバの情報は以上。じゃ、ご褒美ちょうだい」

「仕方ないな。ほれ」

 シズナの目の前で、上着を脱いだリアが、その白い肌をアスカの目にさらす。

「へへ、いただきます」

 シズナの目の前で。

 リアの肩筋に、アスカが唇をつけた。


 その瞬間の感情を何と言うか、シズナは知らなかった。

 それは怒りに似ていた

「ふう、ご馳走様」

「い、今何を……」

「え、え~と、キス?」

 吸血鬼だということは、一応隠しておかなければいけない。

 上手く吸ったのですぐ血も止まり、痕は赤くなったのみ。


「さてと、それじゃあ」

 その胸元をくつろげたまま、リアはシズナの手を引く。

 力が強い。男なんて目じゃない。

 ベッドの上に、シズナは押し倒されていた。

「約束だしな」

「え、でも……」

 抗う声は弱弱しい。これだけ強く求められて、自分は何も返さないというのだろうか。

「お前も戦士なら、覚悟を決めろ」

「そ……」

 拒否する言葉を発する前に、唇を塞がれていた。

 短い口付けが。何度も重ねられた。その隙は非常に短く、呼吸をすることが苦しくなる。

「おお~、テクニシャン」

 見つめるアスカはニヤニヤと笑うが、頬はほんのりと紅潮している。

「で、お前はいつまでそこにいる気だ?」

「え? 見てちゃ駄目? そっちの子の反応、初々しくてむっちゃ可愛い」

「だ、だめ……」

 弱々しくも、はっきりとシズナは言った。

「せめて……最初は……二人きりで……」

「あ、そうだね。じゃあ邪魔者はこの辺で」

 リア専用に用意された小屋を出て行くアスカ。「デビルウイング」と言いながら空の向こうへ去って行くが、それは誰も見ていない。




「さあ、続きをしようか」

 深い口付けをしながら、リアの手がシズナの体をまさぐる。一枚一枚丁寧に、その服を剥いでいく。

「こういう時のキスは、もっと舌を出すんだ」

 言われるがままに舌を出すと、軽く噛まれた。甘い痛みが腰にまで響く。

 涙が出た。

 リアの動きが止まる。

「あ、あんたは……」

 思いのままに、言葉を発する。

「あたしのことなんて、本当は好きじゃないんだろ?」


 リアは舌打ちしたい気持ちでいっぱいだった。

 シズナを苛めたいとは思っていたが、そんな不安な思いにさせたいわけではない。

 むしろ、本気で嫌がったら解放するつもりですらあった。

 だが、今この掌から伝わってくる鼓動。これは、リアの動きに応えてくれるものではないのか。

「本当に好き、というのがどういう意味かは分からないが……少なくとも生まれてから今までで、私が心の底から抱きたいと思ったのは、シズナが初めてだよ」

「本当に? ルルーは?」

「あれは家族みたいなもんだ。胸揉んだぐらいしかしてないよ」

「リアも……その……初めてなの?」

「知識だけは無駄にあるけどな」

「そう、そうなの……」


 シズナのこわばりが解けていく。

 リアの手の中で柔らかくなっていく。

「それなら、いいよ」

 シズナはもう、泣いていない。

「リアなら、いいよ」


 怖かった。

 リアのことが怖かった。

 この人を好きになってしまうかもしれない自分が怖かった。

「ねえ、一つだけお願い」

「うん?」

「今日のあの子とは、こういうことしないで」

「こういうこと?」

 リアは意地悪に動いた。

 甘く泣くシズナの耳元で、リアは囁く。

「しないよ。約束する」


 触れ合って。


 抱き合って。


 重なり合って。


 愛し合った。



 剣を振る音で、シズナは目が覚めた。

 実際には剣ではなく、刀であったが。


 小屋の中はまだ暗い。シズナの裸身を明らかにするのは、魔法で作られた仄かな明かりだけだ。

 昨晩の惨状を目にして、シズナは暗い気分になる。これを見られたら、何があったかは明白だろう。

「リア……」

 窓から小さくリアを呼ぶ。

 刀を操る、例えようもなく美しい人を呼ぶ。

 リアはすぐに気付いて部屋に戻ってくる。ベッドの上の赤い染みを見て、頬を掻く。

「洗えばいいんじゃないか?」

「だって、ばれたら恥ずかしいよ」

「まあ、一応魔法があるから……」

 洗浄の魔法と乾燥の魔法で、一応痕跡は消える。だがシーツは少し乾きすぎたかもしれない。

「これでいいか。体は大丈夫か?」

 尋ねてくるリアはいつも通りだ。

 そのいつも通りを受け取る、シズナの側が違う。

「うん、治癒魔法かけてもらったから」

「無理はするなよ」

 そういうリアは、いつも無茶ばかりしている。


 シズナが笑った。花のような、少女らしい笑みだった。

「ねえリア、剣の相手してよ」

 そして二人は、愛をかわすように剣をかわした。

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