第53話 はぐれ王女地獄変
リアの感じているそれは、間違いなく恐怖だった。
「まあ、お前さんなら出来るだろう」
オーガキングは軽く言ってくれるが、それが簡単なことではないと知っている。
出来なくはないかもしれない。自信はある。だが、万が一にも出来なかったら。
武人として、女として。
リアは恐怖を感じていた。
オーガ族全てを巻き込んだ、リアの対コルドバ戦略。
いくらオーガキングが保証するとは言え、人間の女であるリアの、オーガの戦士全てを動員する考えに、それぞれの集落の長が賛同してくれる訳がない。
ならばどうすればいいか? 簡単だ。オーガは力を重視する。圧倒的な力を見せ付けて、この人ならばと思わせれば良い。
それには、オーガキングに勝ったという事実だけでは足りない。そう、まだ足りない。
我ら全てを納得させてみろ。ならばどうすれば納得するか。
我らが戦士と戦ってみせろ。いいだろう。望むところだ。
武器はなし。相手を殺すことと、金的のみ禁止。一対一で、百人を連続して相手に。休憩はなし。
百人組手である。
この、完全には制御できない体で。
「でもさ、それであんたが負けた時のデメリットは何よ?」
そう言ったのはシズナである。
他の仲間が「さすがに百人連続は……」と心配している中、一人意地悪なことを言う。
確かにない。オーガ全体の協力を得られないということではあるが、それはゼロではあってもマイナスではない。
金を払うか? いや、オーガは金銭をそれほど必要としない。
権力? 人の世界の名誉や権力に、オーガが魅力を感じるか?
「迷宮で手に入れた、この魔剣はどうだろう?」
カルロスが進み出た。なかなか男前ではあるが、オーガにその武器は小さすぎる。
「どうせなら、その別嬪さんに一晩相手してほしいなあ」
げひひ、と笑いながらのたまうオーガがいた。
リアは新たに開放されたギフト『竜眼』を発動する。これは低レベルの相手を萎縮させると共に、鑑定を行うという優れたギフトだ。
好色そうなオーガは、レベルが90もあった。だが、素手で勝てない相手ではない。
背筋をなぞるこの悪寒。あれはそう、初めてドレスアップしたパーティーで、某侯爵令息に、尻を触られた時のこと。
貞操を、賭ける? オーガ相手に? それなんてエロゲ?
「い、いいだろう」
声が震えた。
「この身を賭けようじゃないか」
彼らが、命を賭けてくれるというのなら、他に何が払えるだろう。
そうだ。行くのだリア! お前が背負うのは、オーガ数万の命だ!
「あ、じゃあ俺もそれで」
「おいらも」
「おでも」
「おいどんも」
「あっしも」
「我輩も」
「麻呂も麻呂も」
「あたしもやるよ!」
……オーガの手が次々と挙げられる。女の声まであったが、気のせいだろう。
腕に覚えのある、好色なオーガが百人。
リアは自分の血が引く音を初めて聞いた。
それは、前世でも感じたことのない ――。
恐怖以上の、恐怖だった。
「り、リアが身を賭けるぐらいなら、あたしが賭けます!」
ルルーの叫び。その友情に涙が出そうになる。
「ルルーさんが賭けるぐらいなら、俺が賭けます!」
カルロス、お前はちょっと落ち着け。
ギグはむしろ参加したさそうだが、さすがに自重する。
マールは涙目になっているし、シズナも自分の言葉が引き起こした事態に、さすがに顔を青くしている。
イリーナはきょとんとしているが、そもそも意味が分かっていないのだろう。
サージもまた、リアの決意に冷や汗を流していた。
彼は思うのだ。男には、人生で絶対に避けたいことが二つある。
男にカマを掘られることと、女に女を寝盗られることである。
前世で男だったリア、今も女が好きだと公言するリア。それが、貞操を賭けることの意味。
(なるほど……男の誇りなぞ、女の貞操の前では、さほどの価値もないのだな)
リアはしみじみと思った。
前世では、女だてらに立会いを求める格闘家がいないでもなかった。
それら全てを、リアは破ってきた。金的と目潰しに気をつければ、体力の差が明らかだったからだ。
噛み付きをしてきた女にはさすがにひやりとしたが、その後、かみつかせたまま無茶苦茶セックスして、無茶苦茶興奮したものだ。
今は、立場が全く逆である。
「ご、ごめんよ。あたしそんなつもりは……」
戦場に赴こうとするリアの前に、シズナが立っていた。
狼狽している。いくらリアに遺恨があるとは言え、そこまでのことは望んでいなかったのだ。
むしろ今は……。
「気にするな。彼らは命を賭けてくれるんだ。私も、自分が払えるもの全てを賭けないと不公平だろう」
凄みのある笑顔で、リアは言う。
「だが」
その笑顔が消えた。
「いらん一言を言ってくれたお前が、何も賭けないのは、それも不公平だよな?」
殺意さえ感じられる。
シズナは失禁しそうになった。否、膀胱が空でなければ間違いなく、はしたない姿をその場にさらしていただろう。
耳元でリアが囁く。
「もし私が勝ったらご褒美に……一晩中全力でブチ犯すからな。覚悟しておけ」
腰が抜けて、シズナはその場に尻餅をついた。
そして戦いが始まった。
「はじめ!」
オーガキングの合図と共に、最初の男が進み出る。あのレベル90のオーガだ。
上半身は裸だ。投げ技、締め技はほとんど使えない。
「ひゃっはー!」
両手を広げて襲い掛かる男に、リアの容赦ない正拳突き。鼻骨が折れる。
だが、その勢いのまま、オーガはリアに抱きついた。両手が封じられる。
「へへへ、いい匂いだ~」
下卑た声に含まれる好色の色に、リアの背筋が泡立つ。
「ふん!」
リアの腕が、オーガをふりほどく。
「あ?」
オーガは『剛力』のギフトを持っている。しかし今のリアは、開放されたその上位ギフト『怪力』を持っている。
頭突きが折れた鼻に決まる。思わずオーガは手を放す。
正拳で、今度は肋骨を破壊した。
オーガが沈黙する。
「そこまで。次!」
痙攣するオーガが運び出され、戸惑いながらも次のオーガが進み出る。
長い長い戦いが始まった。
突く。
折る。
砕く。
リアはいまや上半身の服を脱ぎ、スポブラ一枚という姿で戦っていた。
鎧や服など、相手につかまれるだけで意味がない。髪もまとめて後頭部で結い上げた。
美しかった。
最初サージは、こっそり加速の魔法でリアをサポートしようかと提案したのだが、一言で却下された。
それは無粋であると。卑劣であると。
気高かった。
「かなわねえなあ、姉ちゃんには」
戦うリアの姿を見ていると、なぜか涙が出てきた。
ただ、どうしても思うのだ。
「遠距離魔法使えば楽なんじゃね?」
他には誰もそれに気付いていなかった。
半数のオーガを倒した。
汗と返り血に塗れていながらも、少女は美しい。
いや、だからこそ美しいと言うべきか。
前に踏み出すオーガの足が鈍ってきた時。
その、小柄なオーガが進み出た。
「オーガってのは、力が第一だ」
小柄なオーガが呟いた。
リアの前に立つ。言葉は続く。リアの体力が回復していくのを無視して、オーガは言葉を続ける。
「だがその力ってのを、単純な殴り合いで決め付けるやつが多い」
馬鹿にしたような口調で、オーガは続ける。
「あんた、間接技を使ったよな? 力だけでなく、技もあるんだよな?」
そう、リアの徒手戦闘のベースは柔術だ。
「俺はそういう相手と戦ってみたかったんだ!」
オーガが叫ぶ。魂からの叫びだった。
だがその股間は既に屹立している!
低い姿勢から、オーガはタックルをしかけてきた。
これがレスリングなら、タックルを切るのは容易だ。だが、小さいとは言っても相手はオーガ。体重差は倍近くある。
潜り込まれたら、そこから投げ技が来る。よってリアの採るべき手段は一つ。
顔面への、容赦ない膝蹴り!
直撃だった。だがそこから、オーガはリアの腰に手を回してきた。
体重の軽いリアを、あっさりと持ち上げる。そして脳天から、地面に叩き付けた。
常人ならば、首の骨を折って死んでいただろう。リアでさえ、ダメージがあった。
脳震盪だ。竜でさえ、脳へのダメージを無効化することは出来ない。
立ち上がれない。これは、寝技が来る。
だが、追撃はなかった。
頭を振りつつ立ち上がるリアが見たのは、既に失神したオーガの姿だった。
意識を失ってもなお、そこからリアを投げたのだ。
恐ろしい敵だった。
失神してなお、屹立したそれは力を失ってはいない。
本当に恐ろしい敵だった。
「全く、情けない男ばかりだねえ」
リアの目の前に立つオーガは、どう見ても女だった。
「普段は偉そうにしていても、いざとなればこんなもんかい」
女だが、間違いなく強い。気迫が違う。
対するリアは、まだダメージが抜け切っていない。足にきている。高速回復のギフトでも、脳の揺れ自体にはあまり効果がないらしい。
「はじめ!」
女がリアに対する。情欲と、戦意に満ちた目だった。
「あんた、綺麗な顔をしているね」
「私もそう思う」
「そういう綺麗な顔を、泣かせてみたくなるよ」
女の構え、軽く手を握り、半身になっている、その構え。
気付いたら、目の前に拳があった。
気付いたら、顔面を打ち抜かれていた。
回避のスキル、心眼のスキルが働いていない。
ここまでで初めてのクリーンヒットだった。
(ボクシング……)
その動きに似ている。ノーモーションから拳打を繰り出してくるところが。
テレフォンパンチを基本とする空手などとは、系統を異とする武術。
だがボクシングなら、決定的な弱点がある。
低い姿勢から、リアはタックルをかけた。
下半身への攻撃。だが、それを迎撃するしなやかな足。
鞭のようにしなり、リアを打った。
(ムエタイか!)
間合いを開ける。この女の打撃技術は、尋常のものではない。
「どうしたい? 負けを認めるかい?」
舌なめずりする。この女もやはりリアの体が目的か。
負けを認める? まさかそんなはずはない。
ムエタイは驚異的な打撃戦闘術だが、その対処を自分は知っている。
ゆっくりと間合いがつまる。
足は、しっかりと動く。そこまでは回復した。
わずかに間合いが縮まろうとしたその一瞬。
意識の外から、リアは間合いを詰めていた。
そう、脱力による歩法からなる間合いの詰め方。
筋肉を使ってスピードを上げるのとは、全く逆の思想。
初動を気付かせないことによる、接近。
胴にタックルしたリアは、そのままオーガを持ち上げ、裏投げ気味に地面に投げ落とした。
そこから締め技に入る。女のオーガである彼女は、しっかりとした服を着ていた。頚動脈を締めて、落とす。
「そこまで!」
リアは立ち上がった。
「女殺しのバルカがやられたぜ……」「バルカでも駄目だったか……」
そうか、このオーガの女も、同じ二つ名を持っていたのか。
失神したままの女オーガに一礼し、リアはまた構えを取る。
「さあ、どんどんこい!」
77人を倒した。
78人目は出てこなかった。
そう、もはや誰もが認めていた。
目の前の少女が、まさにオーガにとっての女神であることを。
「見事だ」
オーガキングが宣言した。
「これにて、百人組手を終了とする!」
その場に跪き、オーガキングが叫ぶ。
「そなたをオーガクイーンと認める! 我らオーガの戦士の命は、全てそなたのために!」
その場の全てのオーガが跪く。まるで神をあがめるかのように。
オーガの女王リュクレイアーナ・クリストール・カサリア・オーガス誕生の瞬間であった。
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