コルドバ戦役
第50話 ある晴れた昼下がり
馬車が揺れる。
街道を行く、ヘルハウンドに引かれた馬車が揺れる。
「がたがた~」
「ごとごと~」
荷台から身を乗り出し、マールとイリーナが歌っている。
イリーナにとっては外の世界とは初めて見たものばかりであり、何を見ても珍しい。
それに説明をしてくれるのがマールである。
リアが大きなお姉ちゃんだとしたら、マールは小さなお姉ちゃんである。
竜であるイリーナにとって、人と獣人との違いなど、たいしたものではない。優しく遊んでくれるマールは、お姉ちゃんなのである。
馬車の中では、サージが魔道書を捲り、スキルの習熟につとめている。
ギグはリアに作ってもらったハンドグリッパーを握って握力を鍛えている。
リア、カルロス、ルルーはそれぞれの馬やロバの背に揺られている。
それぞれが有意義な時間を過ごす中、馬車の片隅で暗い空気を纏った赤毛の少女が一人。
「どうしてこうなった……」
シズナである。
何度目の呟きであろうか。その暗い様子に思わず、サージは「ドナドナ」を歌いそうになった。
そう、彼女は実の父に売られたのだ。
暗黒迷宮から帰ったバルガスは英雄になった。
そもそも街では有名なパーティーの戦士であったが、暗黒迷宮を踏破して、神器とも言えるオリハルコンの大剣を持ち帰ったのである。
他のメンバーと違い、分かりやすい願いを叶えてもらったバルガスである。
それからは、リアが迷宮都市で巻き込まれたのと同じような騒動の渦中の人物となった。
元から面識のあった市長をはじめ、街の貴族階級とも言える名士たちと、顔つなぎをしていった。
そんな中遅れていたリアが帰ってきて、千年紀に備えた都市集落の連携について話をしたのだ。
どうにか有意義な話が出来たとは思う。なにしろ千年紀になれば、否応無しにジェバーグは人類側の最前線となるのだから。
難しい話の間に、リアはさらに難しい問題を抱えていた。
まず最優先で行わなければいけなかったのが、マツカゼのご機嫌取りであった。
半月以上も放っておかれたマツカゼである。もちろん他の者が散歩などには連れて行っていたのであるが、それとこれとは別問題である。
馬はプライドが高いのだ。
一緒に近場の草原を走り回り、体を洗って、ブラッシングをして、丸一日はそれで潰れた。
そしてサージとの情報交換である。
魔王様いい人疑惑の中、とりあえずコルドバ対策は変わっていない。
色っぽいダークエルフには、そのうちまた会えるだろう。
方針としては変わっていない。
とりあえず、迷宮都市に戻って更なる情報を手に入れると決め、ジェバーグを離れる日取りも決めたある日。
宿屋に泊まっていたリア一行の前に、バルガスがやってきたのだ。
その手には、猫のように襟首をつかまれたシズナの姿もあった。
「こいつも連れていってくれ」
バルガスはそう言った。
バルガスが自分はともかく、家族を安全圏に連れていってほしいというのは、前にも言っていたことだ。
その、カサリアでの安住の地を見つけることを、シズナに命じたのだった。
「なんであたしが……」
「俺が行くわけにもいかんだろう」
道中の安全性を考えると、シズナぐらいの腕がないと厳しい。
それに何より、シズナはリアに気に入られている。
貴族が己の一族の立身出世を望み、権力者に美しい娘を差し出すように。
バルガスは己の娘を権力者に差し出したのである。
「親父がそんな人間だとは思わなかった!」
「そう言うな。なんと言ってもリアは女だ。色好みの貴族に売られるわけでもあるまいに」
絶望の表情を浮かべるシズナだが、母や弟たちの今後を懇々と諭されて、リアたちに同行することになったのである。
おまけに雷鳴の牙の他のメンバーの家族の安全も背負っている。これは逃げられない。
「第一、あんな別嬪に言い寄られて、嬉しくないのか?」
「嬉しくないよ! 女じゃないか!」
「傍から見てると、仲がいいように思えるけどなあ」
ふ~むと首を傾げるバルガスをみて、サージは思ったものである。
この親父、百合男子の素養があると。
とにかくシズナが旅の仲間として加わったのである。
一行はまず、迷宮都市を目指す。物流の重要交流点であり、情報も集まっているはずだ。
そしてそこから、オーガの里を目指し、近隣の集落を巡る手筈となっている。
……そこで、マールとは別れることになるだろう。
そういう約束だった。
マールを買ったのは、迷宮探索のためだった。その意味では、シャールが斥候を務めてくれた暗黒迷宮で、マールの役割は終わっていたと言ってもいい。
それでも共に迷宮を探索したのは、戦力という以上に、リアが純粋に必要としたからだ。
旅の空の下。柔らかなマツカゼの背に揺られて、リアは少し憂鬱だった。
主の気分を察したのか、時折マツカゼは振り返る。
「大丈夫だ。私のわがままで、マールの幸せを取り上げるわけにはいかないからな」
マツカゼの首筋を撫でる。そう、さよならだけが人生だ。
「お前はまだしばらく、私の傍にいてくれよ。そのうちたくさん、可愛いお嫁さんを探してやるからな」
マツカゼの仔だ。きっと、賢く強い仔が産まれるだろう。そしたら今度はその背に乗って、また旅をしよう。
柄にもなくしんみりとしてしまったリアであった。
日が没して間もなく。
暗黒迷宮より東方、絶対凍土との境の山中に、一つの集団がいた。
主に猫獣人が多いが、種族は様々だ。このあたりで見られる、敏捷な種族が揃っている。
その先頭に立ち、腕を組んだ美少女が一人。
「連れて来たわよ」
「ああ、助かった」
少女と相対していたのは、銀髪のダークエルフ。
否、ここではその肌の色を白く変えている。
万一にも人間側に見つかった時の用心だが、おかげで最初獣人たちは、そのダークエルフがレイだと見分けがつかなかったのは笑い話である。
「それで、どうするの?」
「ああ、あとは私がやるよ。ありがとう」
「何言ってるのよ、あたしも混ぜなさいよ」
当然でしょ、という態度で少女は言った。思わずレイは目を丸くする。
幼馴染である。同じ名付け親を持ち、姉妹のように育った存在である。だが今は立場も所属も違う。
「陛下があたしに手伝えって言ったのよ」
実際には、おねだりしてこちらに来たのだろうが。
「それに、この子たちに指示するのに、あんただけだと大変でしょ?」
「それは確かに、助かるね」
レイの目の前の少女。もちろんその年齢は見た目通りではない。
あるいはダークエルフ以上に不死という存在に近いその種族。
吸血鬼。
亜麻色の髪に、碧眼。ピンク色の唇からは、鋭い牙が見えている。肌は青白く、妖艶さを漂わせる。
「で、誰をぶっ殺せばいいの?」
「いや待った」
この吸血鬼のお姫様は、見かけによらぬ武闘派なのである。
「私たちは裏から、人間たちを誘導するんだよ。闇に生きる種族でしょ、あなた」
潜入工作も上手いはずなのだが、基本的には破壊活動の方が得意なのだ。
「魅了してやればいいわけね。まあ、あたしの魅力にかかれば? たいがいの男はメロメロだけど?」
「陛下には相手にされてないけどね」
「うるさいわね!」
レイに掌の上で遊ばれるあたり、精神年齢には随分と開きがあるようだった。
背後に従う配下たちも、うんうんと見えないところで頷いている。
「それに一番注意しなくてはいけないのは、女だよ」
「あ、そうなの。良かった。汚い男の血なんて吸いたくないもんね」
「血を吸う余裕があればね。じゃあ、詳しい計画を話そうか」
背中を見せたレイの背後に立つ吸血鬼。
その首筋に、牙を立てようとして。
「こら、アスカ」
あっさりと、手で押し返される。
「ごめんごめん、冗談だってば」
笑って手を振る吸血鬼だが、半分ぐらいは本気であったとレイには分かっている。
「本当にやめてよ。私はあなたとは、いい友人でいたいんだから」
「失礼な。あたしが好きなのは陛下だけよ」
その台詞にレイは苦笑する。確かに嘘は言っていないが、名付け親にして主君という魔王以外の男性に、彼女が興味を示したことはない。
そう『戦慄』の二つ名を持つ魔将軍アスカ・アウグストリア。
彼女は同性愛よりの両性愛者であった。
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