第39話 最初の探索

 剣を振る音で、シズナは目が覚めた。

 実際には剣ではなく、刀であったが。


 洞窟の中はまだ暗い。入り口から齎される光はほとんどなく、その姿を明らかにするのは魔法で作られた仄かな明かりだけだ。

 その中央で、リアが刀を振っている。


 我流の父から習った剣だが、シズナにもその理は分かった。

 型の一つ一つに理がある。その初動から剣閃が光を帯び、動作の終わりに美しさがある。


 刃が煌めく。


 その刀を操るリアの姿も、例えようもなく美しかった。


(あんな変態なのに……)

 腕と人格は比例しないということだろう。




 シズナの視線を感じながらも、リアは静かな心で刀を振るっていた。

 いくら血に飢えていようと、いくら少女にセクハラしようと、刀に向き合った時は清廉であれ。

 むしろ刀に向き合った時に、その心の穢れを浄化してこそ、血溜まりの中でも生きていける。


 型をなぞり終え、静かに納刀する。

 くるりと振り向くと、シズナと目が合う。

 向こうはすごい勢いで目を逸らすが、リアの方は今、清浄な気で心身が満ちている。

「まだ朝も早い。少し剣を合わせてみるか?」

 リアの言葉に、シズナは何故か素直に頷いていた。




 手合わせは洞窟の外で行われた。

 長剣の突きは、シズナの最も得意とする技だった。

 魔剣が手元にない今、技を磨くのは必須のことだ。殺意はないまでも、渾身の気迫を込めて技を繰り出す。

 しかしその全てが、リアには通用しなかった。

「まあ、ずっと魔物相手に戦ってきたんだから、私に勝てないのは無理もない」

 リアは諭すように言った。もう何度目か、刀の切っ先がシズナの首筋に当てられていた。

「単純に剣の才能だけを言うなら、私よりも上かもしれないな。ただ、対人戦闘の訓練を受けていないのと、経験が問題だ」

 その言葉はシズナのプライドを回復させるものではない。確かにシズナが戦ってきたのは主に魔物だが、荒事の多い街で、男共を素手でのしてきたこともある。

「戦争のための訓練を受けたことはあるか?」

 その問いに、シズナは首を振った。探索者の剣術は、魔物を相手とした力技だ。

 だがリアが訓練してきた騎士たちは、人間同士の戦争も想定して技術を磨いている。加えて、前世に身に付いた技。

 単純にスキルとしては表現されない力が、リアにはあるのだ。


「あまり体力を使うのもなんだしな。最後に一回、全力で攻撃して来い」

 リアは迎え入れるように両手を開く。それに対してシズナはそれまでと一転、剣を大きく振りかぶった。

 そして、振り下ろすことさえ出来なかった。

 いつの間にか鼻の触れる距離まで接近していたリアが、素手でシズナの剣を弾き飛ばしていたのだ、

「な、なんで…」

「奥義無刀取り。素手で戦い、相手も自分も死なない。人を殺すためでなく生かすための技だな。まあ、私に言わせれば理屈っぽくて嫌味なんだが」

 リアは身体強化の魔法も使っていなかった。完全に、スキルだけでシズナを圧倒していたのだ。

「とりあえず、飯にしようか」

 呼吸を乱すシズナと対照的に、リアは汗一つかいていなかった。




「まさかシズナが手も足も出ないとはな……」

 洞窟の陰から見ていたゲイツが嘆息する、彼は雷鳴の牙の中では、一番対人戦闘に詳しい。

「バルガス、あんたなら勝てるか?」

 問われたバルガスは、ゆっくりとだが首を振った」

「もちろん勝負はやってみんと分からんが、おそらくは無理だな」

 バルガスは続けた。

「千年紀には、常人の枠を超えた英雄たちが現れるという。おそらくあのお嬢ちゃんは、その一人なのだろう」

 バルガスも自分の腕には自信があった。暗黒迷宮に挑む探索者の中では、ほぼ先頭を行っているという気概もあった。

 だが実際はどうだろう。一つの階層を攻略するのに、足踏みをしている。


 それでも生きてはいける。だが、より生きているという実感が欲しい。

 この年にもなって、ようやくそのとっかかりを見つけたのだ。




 朝食を終えた一行は、早速探索を開始した。

 第一層は探索しつくしているというので、第二層に向かう階段を目指す。


 先行して、シャールとマールの猫獣人コンビが先頭を行く。

 暗黒迷宮は、機械的な罠は少ない。ほとんどないと言ってもいい。だが、魔法によって設置された罠は多い。マールの妖精の目は、その発見に非常に役立つのだ。

 迷宮の罠は一定ではない。特に魔法によるものは。暗黒迷宮において多いのは、魔方陣を踏むと、魔物が多数現れるというものだ。

「多数というが、どれくらいなんだ? 数によってはむしろ、レベル上げにちょうどいいだろう」

 また無茶なリアの台詞に、バルガスは冷静に返す。

「十体から二十体が多いな。魔法を使ってくる敵も多いから、こちらの犠牲が出る可能性は高い」

 不死の迷宮とは違うのだと、改めてリアは己を戒める。自分一人ならともかく、仲間を死地に付き合わせる訳にはいかない。


 火蜥蜴やワーム、巨大昆虫系の魔物を数体倒す。これだけでも魔結晶が手に入っている。確かに敵の難易度は、不死の迷宮とは比べ物にならない。

 やがて先行した二人が戻ってくる。

「金属鎧の音だ。ただの動く鎧ならいいが……」

 シャールが説明するには、死霊騎士系の敵だとまずいということだ。

「迂回するか」

 バルガスの判断は間違っていない。危険を回避するのは、探索者にとって必要な才能の一つだ。

 死霊騎士の状態異常をもたらす攻撃は、迷宮の探索において非常に危険だ。解除できればいいが、もしそうでないのならば迷宮から脱出する速度さえ落ちることになる。

 そういう意味では、リアには探索者の才能はないのかもしれない。

「なあ、私が一人で行ってきたら駄目か?」

 そう言われてバルガスは顔をしかめる。カルロスの方を見て意見を求めるが、彼は肩を竦めるだけだった。

「死霊騎士の攻撃は、個体によって異なる異常をもたらすぞ。戦ったことがあるのかもしれないが、危険だ」

 だが反対も禁止もしない。

「駄目じゃないなら、ちょっと行ってくる」

 ひょいひょいと、ちょっとそこまでといった感じでリアは駆け出した。

 呆気に取られたシズナがカルロスに詰め寄る。

「ちょっと! あんたあの子の護衛じゃないのかよ!?」

 心配しているわけではない。断じて心配しているわけではない。いまのところは、まだ。

 単に、非常識な存在を、認めたくないだけなのだ。

「俺はお嬢の護衛じゃないくて、お目付け役なんだよ。まあ、それもこのところ果たしているとは言えないけど……」

 カルロスはもう、リアの心配をするのは無駄だと思っている。気付いていない危険にだけ、言及すればいいとさえ考えている。

 むしろ雷鳴の牙のメンバーの方が、心配をする有様だった。


 通路の曲がり角の向こうから、数度剣戟の音が聞こえた。

 そして静まりかえってそれほどの間もなく、ひょこりとリアが顔を出す。

「倒したぞ。でもこれ、死霊騎士じゃなくて悪霊騎士だった」

 唖然としながらも、一行はリアの元へと駆け寄る。

 朽ちていく鎧。剣だけが残っている。

「悪霊騎士か……。死霊騎士の上位版とはな」

 バルガスの記憶にも、その面倒くささはしっかりと残っている。

 死霊騎士が単にこの世に未練を残したアンデッドであるのに対して、悪霊騎士は生ある人間全てを呪う魔物だ。具体的には、状態異常をもたらす手段が多い。

「よく一人で倒せたな。何か護符でも持ってたのか?」

 興味深々とジェイソンが尋ねる。探索者同士ではあまりお互いの手の内を詮索しないものだが、これぐらいなら構うまい。

「特に何も持ってないが、私にはほとんどの状態異常攻撃が効かないんだ。先に言っておくと、狂乱系の異常にだけはちょっと弱いから、その時は近付かないでくれ」

 実はもう一つ、致命的な弱みがあるのだが、それは迷宮探索とは関係ないので言及しない。

 状態異常攻撃が効かないというのは、探索者にとって凄まじくうらやましい特性である。

「なるほど、それで高レベルの敵を倒してきたのか」

 ふむふむとジェイソンは納得している。

 その間にサージが残った剣を鑑定する。

「呪われてはいないけど、相手を呪う剣だね。切られた箇所が呪詛で動かなくなり、石のように重くなるってさ。相手が人間の場合、効果が倍増」

 長剣である。この中で、長剣を使うのはシズナしかしないのだが……。

「私たちには必要ないな。そちらが持っていたらいいだろう」

「いいのか? 使わないにしても、売れば一財産だぞ」

 涎をたらしそうな目で剣を見つめる娘を横目に見ながらも、バルガスは確認してくる。

 探索者は、財宝を望む。力を望む。この剣にはそれだけの価値がある。

「構わないさ。それにしても、まだ一層目でこれとは、先が楽しみになってきたな」

「いや、悪霊騎士がこんな階層にいることは珍しいんだがな……」

 もはや呆れるしかない、という表情でバルガスは剣をシズナに渡した。

「いいの?」

 期待に目を輝かせながらも父に確認する。

「お前が持っているのが、一番戦力になるだろうからな」


 通路の途中だが、一行はそこで休憩を取る。

 シズナは剣を振って、手に馴染ませている。幸い扱いに困ることはなさそうだ。

「全く、女に生まれたってのに、武器ばかり好きなんだからな……」

「リアもそうですよ。美しく装うのが嫌いなわけではないのですけど……」

 バルガスとルルーが似たような溜息をつく。

「あんたはお嬢ちゃんと長いのか?」

「ええ、まあ。知り合ってもう4年ほどになりますか」

「ハーフエルフってのは長命なんだろ。てっきり生まれた時からの知り合いかと思っていたが」

「いえいえ。わたしはまだこれでも25歳なんですよ」

 ハーフエルフはエルフほど長命ではないが、老化しないという点ではエルフの特性を受け継いでいる。

 そんな会話をしながら、懇親を深めていく。カルロスがうらやましそうな目でそれを見ていたのは、いつものことである。




 迷宮の攻略は、順調に進んだ。

 リアが斥候二人と一緒に、先行したのが大きい。

 斥候だけでは判断しきれない敵を発見しても、リアが鑑定の魔法を使えば、それで相手をするべきかどうかの判断がつく。

 普段なら回避する敵を相手にしても、リアが状態異常の手段を潰してから、残りのメンバーで袋叩きにするという戦法が取られた。


 具体的には、バジリスクである。

 石化の視線を持つこの難敵を、リアはあっさりと攻略する。

 刀で目を潰して、それから一行を呼ぶ。あとはタコ殴りにするだけの簡単なお仕事です。


 魔法が無効化されるという、かつてドゲイザーで苦戦した箇所も存在したが、力技で突破した。

 そこまで来ると、もう雷鳴の牙もリアの異常性に慣れてきてくれる。怪しかったらとりあえずリアを突っ込ませるという戦法に、躊躇いがない。




 予定よりもはるかに早い速度で、当初の目的であった16層まで到達する。ここまでかかった日数は四日である。

 16層までは雷鳴の牙が完全な地図を作成しているのだが、ここからは穴だらけの地図しかない。

 連携も取れてきたし、迷宮にも慣れてきたということで、ここで一度引き返すことは決めていた。もっとも、当初の予定ではここまでに一週間はかかるはずだったのだが。

 そしてこの四日目にして、リアの我慢は限界に達した。

「風呂に入ろう」

 その言葉に、シズナが蒼白になった。

 ここまでそんなことは言われなかったので、さすがに迷宮の中で風呂に入るという非常識なことはしないと思っていたのだ。

「ああ、いいですね」

 ルルーも賛成した。汗臭いのは仕方がないと思っていたが、リアが主張するのなら反対はしない。

 シズナの肩を叩いて、ルルーが囁く。

「諦めなさい。嫌がればそれだけ、リアを楽しませるだけですから」

 もはや、誰もリアを止める者はいない。迷宮の中で風呂に入る異常性も、個性の一つとして新参のメンバーも済ませている。


 シズナは仕方なく、自分で服を脱いで風呂場に入った。

 リアは積極的なセクハラをすることはなく、おとなしく背中を流してくれる。それがかえって不気味ではある。

「やっぱり、綺麗な肌をしているな」

「そ、そうかな? あちこち傷跡もあるけど」

「それもむしろ可愛いんだが、気になるなら治せるぞ?」

 傷一つない、滑らかな肌のリアが言った。

 荒くれ者揃いの探索者の中とは言え、シズナも女である。もしそんなことが可能であれば、多少の金を積んでも頼みたい。

 実際、特殊ではあるが治癒魔法でそれは可能なのだ。


 それからリアは、シズナの足の裏を揉み始めた。

「え、そ、そんなところを」

「気持ちいいだろう? ここを刺激することによって、疲労が回復し、内臓の異常も改善されるんだ」

 ちなみにリアの足の裏は、マールが揉んでくれる。もちろんマールの足の裏はリアが揉む。

 肉球揉み揉みである。


 緩みに緩みきった表情で、シズナは風呂から上がった。

 この快楽を知ってしまうと、危険かもしれない。そんな危機感を覚えたが、体にいいことを避けることも難しい。

 男衆も順番に風呂に入って、この日は眠った。




 帰路は三日の日数をかけた。

 危険な戦闘もあったが、常に余裕があった。ギリギリの戦闘を行うというのは、迷宮の中ではしてはならないことである。不死の迷宮とは違うのだ。

「しかし人数を増やしたのは正解だったな」

 洞窟を出て、ようやく太陽の光を浴びる。この中では最年長のセルが呟いた。

「速度も疲労度も全く違う。大半は、そのお嬢さんのおかげだが」

「私も手強い敵と戦えて嬉しいよ」

 財宝ではなく、力が目的のリアは答える。

 エルフの例に漏れず美形のセルが、やや皮肉げな笑みを浮かべる。

「戦士ではないが、我が部族の長老のクオルフォスも、強さという点では大陸屈指だな。一度会ってみるといい」

 セルはこの近隣の森ではなく、大森林の出身だという。

「あ、そういえばお父さんの出身地がこのあたりのはずなんだけど……」

 ルルーの亡き父親の出身地は、この近くの森であった。エルフであれば、おそらく祖父母はまだ生きているだろう。

 迷宮探索の合間に、そちらを訪れるということを決めた。たまにはリア以外の都合に合わせてもいいだろう。


 山道をジェバーグへと戻っていく。

 危険なはずの道のりも、このメンバーなら大丈夫。

 リアという巨大な重力の中心に、パーティーはまとまってきていた。

 だが、誰もが知らない。

 



 千年紀。


 五大神竜。


 魔王と魔族。


 意図的に作られた強固なはずのシステムが崩れるまで、もうあまり時はないのだと。

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