第25話 最後の階層
「えっ」
誰がその声を発したのか、分からなかった。誰でもありえたからだ。
第10階層。そこは滑らかな床を持つ、洞窟の広場だった。
青白い光が石から発されている。広さは10メートルほどの円形で、そしてその片隅に、下へと降りる階段があった。
そして背後には鏡があった。
今すぐに9階層へ戻れるということだ。そして以前の探索から言って、そこからさらに上の階層へ戻っていくのも難しくないだろう。
「ここは…休憩所か?」
疑問系でリアは呟いたが、それがしっくりときた。
9階層は密林のような場所で、休憩を取るのも難しかった。ここは見るからに敵はいない。罠もおそらくはない。
「魔力の偏りはありません。普通の場所です」
マールの言葉がそれを裏付けてくれた。
「最後のボスの前に、ここで準備を整えて行けってことじゃないかな」
サージはゲーム的に考えたが、この迷宮の性質を考えると、その通りなのかもしれない。
「とりあえず、休むか」
リアはそう判断した。先に進むにしろ、当初の予定通り一度戻るにしろ、ここで眠ることは出来そうだった。
残念ながら床の石が異常に硬く、風呂を掘ることは出来なかった。水で装備や体を拭くぐらいである。
毛布を敷き、横になる。一応見張りは、最初にマールとリアがついた。この二人が一番、消耗が少なかったからである。
「あたし、役立たずですね」
小さな小さな声で、マールは囁いた。
リアはマールの肩を抱くと、その耳をゆっくりと撫でた。
「そんなことはない」
リアの言葉に嘘はない。マールがいなければ、迷宮の探索には数倍の時間がかかっていただろう。だが、なぜそう言うかも分かっていた。
「マールは料理とか野営とかで、皆を気遣ってくれているだろう? 戦うだけが能じゃないんだ」
マールに対するリアは、とにかく優しい。撲殺リアちゃんとは思えない優しさである。
「でも、戦う役にも立ちたいです」
その気持ちも分からないでもないのだ。
「あたしも、仲間なんですから」
かつては単なる道具だった。罠を見つけ、解除し、宝箱を開けるための道具。
しかしここでは、リアの元では、皆が仲間だと思ってくれている。言葉にしなくてもそれは分かる。
ならば自分も道具ではなく、共に戦う仲間となりたい。
「じゃあ、帰ったら特訓だな」
「はい!」
「し。静かに」
慌てて口を押さえるマールだった。
「よーし、行こうか!」
睡眠を取って、数値に表れない精神的な疲労も抜け、一行は下に続く階段へと踏み入れた。
迷宮ではなく、やはりこれは通路のようだった。
幅はせいぜい3メートル。天井も低い。そして最初は直線と思ったが、ごくごく僅かずつだが左に向かって曲がっていっている。
「螺旋階段か~。なんだかDNAを暗示しているような、しないような…」
サージの使う単語はリアにしか分からないし、正直リアは理系の人間ではないのだが、それでも国民放送の番組はちょこちょこ見ていた。
「あれは二重螺旋だろ? これとは全然違うと思うが」
「うん、言ってみただけ。でも螺旋階段で地面の底に潜って行くのって、なんだか地獄に通じるみたいで、気分悪いね」
饒舌になっているのは、不安感からだろう。その気分は分からないでもない。
この迷宮は、閉塞感がある。今までの階層とは違い、どこか後戻り出来なくさせる雰囲気を持っている。
「あ、ちょっと待って」
途中でそうサージが一行を止める。しばしの精神集中の後、魔法を使って確認する。
「大丈夫、後ろの道が閉じてたりはしなかった」
「ついでに前がどうなってるかも見てくれるか」
「了解」
サージの魔法は時空魔法。たとえみえなくても、遮蔽物さえなければ空間がどうなっているのかは分かるのだ。
「深さは…城門五つ分ぐらいかな。多分だけど、突き当りには扉みたいのがあると思う。この壁の向こうが空間になってるとしたら、町の5区画分は軽くあるんじゃないかな」
そんなに広い空間に、おそらく守護者がいる。
「ドラゴンかな」
ぽつりとリアが呟く。一行が嫌そうな顔をする。
ドラゴンとは、地上最強の生物だ。ほぼたいがいの魔族よりも強い。
なにしろ二千年前と千年前の魔族の大氾濫では、暗黒竜バルスの力を借りてようやく、人類側が勝利したのであるから。
カサリアの始祖レイテ・アナイアはバルスの妻となり、二代目の王を産んだとされている。リアのご先祖様である。
「まあ、竜と言っても五大神竜ではないわけですから」
竜と戦う騎士、というモチーフの物語を良く知るカルロスは、そんなフォローをした。
「五大神竜が出てきたら、さすがに私も逃げ出すぞ」
強気一辺倒のリアでさえ、神殺しの竜と戦えるとは思っていない。人間に核弾頭と戦えと言っているようなものだ。
「地竜なら大丈夫なんですよね」
「ああ、あいつらはただの大きなトカゲだ」
ルルーの問いに、今度は胸を張って答えるリア。
「今なら50匹ぐらいいても倒せるぞ。武器がもてば」
相変わらず恐ろしいことを言うリアだが、オーガキングと比べれば、大きなトカゲなど恐れるに足りない。
普通の村なら一匹で蹂躙するほどの魔物なのだが。
「姉ちゃんは、本物の竜とは戦ったことあるの?」
撲殺リアちゃんの戦跡には、竜との戦いはなかった。
「ない。だけどヒュドラよりは強いはずだな」
「大きな街が一つ滅ぼされたという記録はけっこうありますね」
竜の怒りに触れるからである。
そんなことを言っている間に、一行は地の底へと着いた。
目の前には金属製の大きな両開きの扉がある。
「これは…ミスリル製ですね」
驚きの声でルルーが告げた。貴重なミスリルをこのように使うとは。
「それはラッキー」
にたりと笑ったリアは斧を取り出すと、扉の蝶番の部分を破壊した。当然、扉は向こうに倒れれる。
「サージ、ミスリル回収」
「了解、姉ちゃん」
抜け目なく、扉であった金属塊を回収し、一行は部屋の中へ入った。
暗闇が視界を閉ざしていた。
「ちょっと奥までは見せませんね」
夜目が効くマールにも分からない。
「大きな岩とかが転がっている」
サージはそう把握する。
さてどうするかと作戦会議である。
「まず、いざという時には、マールはサージを守って撤退すること」
「そんな!」
抗議の声を上げるマールに対し、サージは冷静だった。
「収納空間に戦利品をまとめて、たとえ死んでもいいようにしておくんだね」
これまでの戦いは、相手が分かっていた。だから退却するタイミングも計れた。
だがこの先、もしドラゴンがいれば。
「せっかく集めた武器や防具が、全部無くなることになるからな。そういうわけで、必要最低限の品物以外は、サージに渡すこと」
元々容量の少ない魔法の袋には、それほどの物も入っていなかったのだが、現金なども渡していく。
「一応私の分もな」
リアが渡したのは現金の他に、城から持ち出した宝石や貴金属、印章付きの短剣もあった。
「いざという時は、マール、頼んだ」
サージ一人では、迷宮の外まで帰還することは出来ないだろう。だがマールがいれば危険を回避し、脱出できる。
「分かりました」
覚悟の表情でマールが頷く。それは仕事を任された責任を悟った顔だ。
ルルーが全員に防御の魔法をかけていく。物理的、魔法的なものの他に、精神に働きかける影響を防ぐ魔法もかける。竜の咆哮が人々に恐慌をきたすのは、よく知られていることである。
サージが全員に加速の魔法をかける。離れていてもかけられるのだが、接触しているとより魔力の消費が抑えられれる。
「それでは、行きます」
ルルーの杖から光の玉が発せられ、それは闇を切り裂いて進み、そして破裂した。
その瞬間、巨大な空間が光に照らされた。
その奥に見えた、巨大な岩の塊。
否、岩の塊ではなく、小山にさえ見えたそれ。
巨人。
巨人が起き出し、戦棍を手に、立ち上がる。
巨体のギグより、さらに軽く20倍はあるであろう。
その目は一つしかなかった。頭には角が生えていた。
「サイクロプス…」
それは竜にも並ぶ存在。
堕ちた神々の末裔。
腰布と戦棍だけというその蛮族めいた姿も、より恐怖を呼び起こすこととなる。
巨人が息を吸い、吠えた。
空気が痺れた。
魔法の防御がなかったら、それだけで何人かは動けなくなっていただろう。
「ああああああっ!」
リアもまた吠えた。走り出す。太刀を手に、巨人へと。
そして戦いが始まった。
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