第9話 黄金の馬

 リアは猫が好きだ。

 あの自由なところがいい。そのくせ時々気まぐれに、甘えてくるところもたまらない。

 だが王宮に住んでいる時は飼うことはなかった。他の貴族が飼っているのを、たまに撫でさせてもらっていたぐらいだ。


 前世では、野良の猫を餌付けしていた。


 庭の隅が猫の通り道になっていて、そこに餌を置いておいたのだ。


 長い付き合いの猫だったが、あれからどうなっただろうか。

 野良猫だから、たくましく生きていってくれているとは思うが。




 そしてリアは、猫の次に馬が好きだった。


 趣味で乗馬を習っていたが、古流の馬術も少し学んでいたし、何より世話をするのが好きだった。

 若い頃には数年、北海道の牧場で働いていたこともある。牧場の美人四姉妹に目がくらんでいたわけではない。


「私も馬が欲しい!」

 王都を旅立って七日目、リアは叫んだ。




「馬が欲しいって…」

 ルルーは呆れたように呟いた。ロバの背の上で。

「あなた、馬に乗るより走ったほうが速いでしょうに」

 そうなのである。身体強化のスキルに魔法の強化を重ねがけした場合、リアは時速100キロで半日を走行出来る。

 それも今までの経験則からの話であって、限界がどこにあるかは調べたことがない。

「なんなら、俺の馬に乗っても構いませんけど…」

「ジョニーはカルの馬じゃないか。私は、自分の馬が欲しいんだ。ブラッシングしたり、鬣を梳いたりしたいんだ」

 馬の世話は多くを従者に任せるが、毎日のブラッシングは騎士の役割であった。そうやってコミュニケーションを取らないと、馬は従ってくれない生き物なのである。

「リア、あなた、駄々っ子みたいですよ?」

 三人で旅をすると決まった時、リアをどう呼ぶかが問題となった。

 結局ルルーはリアとそのまま呼び、カルロスはお嬢と呼ぶと決めた。

「まあ、馬を買うのは構いませんが、この辺りではせいぜい農耕馬ですね。国境の辺りまで行けば馬市があったはずですが」

 騎士であるカルロスを仲間にしたのは正解だった。彼はこういった日常の知識を持っている。そのあたりも踏まえて、ライアスは同行させたのだろう。

「国境か。十日はかかるな」

「いえ、その倍はかかります。地図と道とは違いますから」

 実際に路程を辿った男の言葉だが、リアは例外である。

「ルルーのロバの足に合わせて行こう。私一人なら、一日で行ける距離なんだけどな」

「またそんな無茶な」

「いえ、本当です。リアが10歳の頃、私を背負って二日かかる道のりを半日で走りきりましたから。

「本当に人間ですか、お嬢…」

 いいえ、竜人です。




 旅は楽しいものだった。

 カサリア国内は治安が良く、盗賊などは滅多に出ないし、危険な動物や魔物も生息地域は限られている。

 話題が多いのは意外とカルロスだった。何しろ彼はごく平凡な秀才だ。一応貴族の生まれではあるが、子爵家の次男坊。武術に学問に苦労して、騎士団に入団している。


 ルルーの場合は成人するまでは山奥の村で引きこもりの生活で、王都に出てからはルーファスの無茶ぶりに付き合うことが多かったが、それは宮廷内では一般的に知られている。


 リアの場合はその武勇伝が独り歩きしていて、もうどうにも止まらない。ゴブリン集落虐殺事件、オーク軍団撃滅事件など、噂に尾ひれがついたものだ。

 いくらなんでも一国の王女の異名が『撲殺リアちゃん』というのはやりすぎだろう。


「噂の一つに『竜が踏んでも壊れない』ってのもありましたよね」

「ああ、それは事実だ。地竜の群れと戦った時、ちょっとしくじってな。さすがに地面にめりこむほど踏まれて痛かった」

 お気に入りの刀も一本折れたしな~と笑うリアの姿に、笑顔が引きつる二人だった。




 国境の川を越えるとなだらかな山地が広がり、その盆地に、無数の天幕で構成された集落があった。

「おお~」

 初めて国外へ出た女子二人は感嘆の声を上げる。対してカルロスは、騎士団の従軍でここには来たことがあった。


「ここはコルドバと我が国の他にも、幾つかの小国から商人が集まってます。馬以外にも色々と取引がされてますよ」

「よし! じゃあ私は先に行く。後からゆっくりついて来い!」

 そう言ってリアは急な崖を滑り降りて行く。カルロスはあわあわとルルーとリアを見比べるが、彼にこの崖を騎乗して降りていく技術はない。

 結局はルルーに合わせてなだらかな道をたどっていくのだが、その視線はルルーの耳へと向けられていた。




 カルロスの言葉通り、露天商を主に、様々な品がそこでは商われていた。

 食料から日用品、民芸品と幅広く、中には武器まで売っていて、思わずリアは目を引かれる。

 剣や槍といった物が主な取引品だが、そこにはたいしたものは売っていない。

 手にとったのは、この世界では暗器の類、前世では手裏剣と呼ばれていたような物だった。

(でもバランスが悪いなあ。やっぱりちゃんと鍛えた物じゃないとだめか)

 手裏剣術は古武術の中の一つである。


 寄り道をしながら、集落の端に出る。

 何百頭もの馬が、それぞれ集団を作って群れている。

 近くの小さな集落から、それぞれの馬を持ち寄って売っているのだ。おかげで大型の動物の匂いがたまらない。


 馬と言っても小さなポニーから農耕馬まで、色々な種類が売っている。

 もちろんリアが求めるのは軍馬だが、同時に旅に耐えるだけの耐久力も持っていないといけない。前世のサラブレッドのような馬はいない。

「お嬢ちゃん、馬を買うならポニーから始めたらいいよ」

 そう声をかけてくる馬喰がいるが、それは今必要とされてない。

「この白いのはどうだね? お嬢ちゃんにはぴったりだよ」

 外見だけで決める訳でもない。

「馴致が終わってる、2歳から3歳ぐらいの馬が欲しい」

「それならこっちだな~」

 ある程度こちらも見る目があると分かったのか、男は一角に連れて行ってくれる。20頭ほどの馬がいて、どれも牡馬だという。


 ここでリアはこっそりと鑑定の魔法を使った。

 頑強で体力があって、何より賢い馬がいい。一頭ずつじっくりと見ていく。

 足が曲がっている馬もいる。トモの薄い馬もいる。だがリアが見るのは、馬の目だった。


 そして一頭、極め付けに澄んだ目の馬を見つけた。


 毛の色は鹿毛。ずんぐりむっくりとした体型で、バランスは取れているが特筆すべき容姿の良さはない。

「そいつはなかなかいいよ。速度は出ないが長い距離を走れるし、女の子にはぴったりのおとなしさだ。馴致も済んでるし、賢いし我慢強い。ただ、ちょっと綺麗好きでな。飼い葉桶をしっかり洗ってやらないと、飼葉を食わないんだ」

 短所まできちんという男は、良心的な商人なのだろう。信用こそ第一と考えれば納得出来る。

「2歳?」

「ああ。値段はちょっと高くて、金貨7枚だ」

 交渉するつもりもなく、リアは購入を決めていた。だが、その前に一つだけ確認しなければいけないことがある。

「お前、私を乗せてくれる?」

 馬とリアの視線が合う。しばらくの後、ゆっくりと馬は頷いた。

「買った。ついでに馬具一式も頼む」


 かくしてルルーとカルロスが追いつくまでに、リアは乗馬を決めてしまっていたのだった。




「う~ん、こいつが金貨7枚ですか。まあ、丈夫そうではありますが…」

 カルロスは渋い声だ。騎士の目から見ると、この馬はごく平凡に見えるのだろう。まだ2歳ということを考えても、体格が雄大という訳ではない。

 だがルルーには分かった。何しろ彼女も、鑑定の魔法が使えるのだ。

「生命力で2倍…。体力も3倍、耐久力も平均の倍はありますね。それに筋力も相当のものですし、精神抵抗力が人間の平均を遥かに上回っています」

「ええ!? それって本当に馬なんですか!?」

 リアは鼻歌を歌いながら馬具を馬に着けている。その機嫌の良さは、お気に入りの刀を手入れしている時にも優るぐらいであろう。

「ライアス様の馬よりも、ずっと素質は高いですね。というか、知力が人間よりも高いんですけど…。2歳ですよね?」

「ええ~!? お、俺より賢いってことですか!?」

 カルロス君は決して馬鹿ではないのであるが、賢くもないのである。少なくとも能力値的には。

「あたしよりも高いです。姫様より少しだけ低いぐらいで」

「ええ~~~!!! 姫様ってそんなに知力高いんですか!? 嘘でしょう!?」

「おいこら」

 その驚きっぷりにリアの視線は冷ややかになるが、ぶるるる、と馬がいなないてご機嫌が直る。

「リアは知力は高いのです。ただ…ルーファス師もそうでしたが、知力が高いからといって、日常生活を利口に送れるという訳ではありませんから」

 非常に控えめな表現で、ルルーは師のことを評した。

「私は自分が馬鹿だという自覚はあるぞ。自分が馬鹿だと分かっている人間は、下手に利口ぶった人間よりよっぽど賢いんだろうが」

 それを『無知の知』という

「あなたは賢いですよ…。賢すぎて限度を知らないから、周りが迷惑するんです…」

 諦めた口調でルルーは呟いた。


「ああ、まあ、とにかくよろしくな。こいつは俺の愛馬のジョニー。ええとお嬢、この仔の名前は付けたんですか?」

 鬣を撫でていたリアはその手を止め、しばし考え込む。

「オルフェ…はちょっとバカだし…ルドルフも気性に問題があったみたいだし…ブライアンは臆病だったし…」

 ぶつぶつと呟いていたリアの記憶は、だんだんと前世を遡っていく。やがてたどりついたのは、この世界の人間なら意味の分からない名前だった。

「決めた! お前の名前はマツカゼだ!」


 名馬マツカゼ誕生の瞬間であった。

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