第8話 戦闘技能
何事もなく、三日間が過ぎた。
整備された石畳の上を進む。徒歩のリアが先頭に立ち、ロバの背にはルルーが揺られている。
のどかな旅だった。さしあたっての目的地は決めてあるが、差し迫ったものでもない。周囲の風景を楽しみながら、旅の醍醐味を味わっている。
「武者修行というからには、もっと急ぐかと思っていました」
「ん? せっかくなんだからのんびり行こうよ。修行と言っても、ずっとぴりぴりしている訳にはいかないしね」
リアはご機嫌である。ただ歩いているだけでご機嫌である。
理由はその腰に差した刀にあった。
木刀でも模造刀でもない、正真正銘の刀の大小である。日本であればそれだけでアウトな凶器である。
それを日中堂々と携帯して歩く。これだけで嬉しい。何せ今までは、木刀をメイン武器に使っていたのだから。
日本刀を差して旅するというのは、男のロマンである。もちろん女で武人でもないルルーには理解出来なかったが。
ちなみに撲殺用の木刀も魔法の袋に入っている。ゴブリンさん相手に刀はもったいない。手入れも大変だしね。
そんなこんなで携帯食の食事を終えて、昼過ぎまでは平和に過ごしていたのだが、不意に頭上を影がよぎった。
「あ、竜騎兵」
「追っ手ですかね?」
竜騎兵は飛竜に乗った兵種である。飛竜とは一応亜竜に分類される生物であるが、正確にはちょっと竜に似た全く別の生物である。竜と亜竜の違いとは、人間とネズミぐらいには違うものだそうだ。
その竜騎兵は、二人の前方を旋回すると、元の方向へと戻っていく。直線では王都の方向だ。
「見つかりましたね」
「うん、そうだね」
「連れ戻しに来ますかね?」
「来たら返り討ちにしてくれる」
「穏便な方法を希望します」
「じゃあ穏便に返り討ちにしてくれる」
にっこりと笑うリアは冗談を言っている訳ではない。
まずたいがいの相手ならば、ほどほどの手傷を負わせて諦めさせる自信があった。
だが事態はリアの予想を超えてくる。
それからも一行の歩みは変わらない。ルルーだけが時々後ろを振り向いている。
背中の荷物の動揺を感じるでもなく、ロバは黙々と歩く。
夕暮れ前、五感鋭敏のギフトを持つリアの耳に、馬蹄の音が響いてきた。
「来たね。数は三つ」
「よく分かりますね。私も耳はいいはずなんですけど」
ハーフエルフと言えどもエルフはエルフ。目も耳も人間よりは優れているはずだが、リアは更にその上を行く。それが竜の血脈である。
「どうします? 隠れてやり過ごしますか?」
「いや、今回だけはそれでいいかもしれないけど、何度も旅人とはすれ違っているし、魔法で探索されたらいずれは発見される。やはりここは、少し痛い目にあってもらおう」
腕組みをして、街道の真ん中に立つ。幸いほかの旅行者はしばらく来そうにない。
やがて視界に入ってきたのは、騎乗した三人の騎士だった。が…。
「げ、ライアス」
「げ、カルロス」
理由は違えど、二人の顔が歪んだ。
まさか副騎士団長直々に追跡にかかってくるとは。そしてもう一人の騎士は、ルルーにとっての鬼門であった。
ちなみに残りの一人はどうでもいい。
「エルフスキーのカルロスか…」
「あの人、いつもあたしの耳ばかり見ているんですよね」
騎士団の若手では最も腕が良く、家柄も性格も申し分ない男であるのだが、とにかくエルフにドリームを抱いているのは有名だった。年齢は今年で20歳だったか。
ちなみにルルーは今年で24歳になる。ハーフエルフゆえに、それよりはずっと若く見えるのだが。
ルルーもロバから降りると、追跡者の到着を待った。
先頭を来るライアスは、少し距離を置いたところで下馬する。残る二人もそれにならった。
「姫様…」
呆れ顔でそう口を切ったライアスには、戦意は見えなかった。
「一刻も早くお帰りください。陛下も心配されております」
「可愛い子には旅をさせろ、って言うからなあ。ライアスから説得してくれない?」
「そんな格言は知りませんな。それに書置き一つ残して失踪されても、こちらとしては探さないわけにはいきません」
「とりあえず迷宮都市に行くから、心配するなと伝えておいてほしいんだけど」
はあ、とライアスは溜息をついた。
「失礼ながら、姫様は今の宮廷の事情を分かっておられますか?」
「分かっているよ。だからこそ、利用されないために王都を離れたんじゃないか」
そう言われて、ライアスの表情に感心の色が浮かぶ。
「意外です。てっきりそんなことには関心が無いと思っていました」
「まあ、巻き込まれるのは不本意だからな」
肩をすくめてみせるリア。和やかな雰囲気である。
「それでも一度は戻ってもらいます。なんなら私が迷宮都市まで同行しても構いません」
「ルーファスじいちゃんのいない今、王国最強の騎士までいなくなるのはまずいだろう」
「そのあたり、意見の相違がありますね」
空気が重くなる。
「多少痛い目に遭わせても、連れ帰ります」
「うん、分かりやすくていいな」
ライアスが剣を抜く。普段訓練で使っている木剣でなく、ミスリルの輝きを発する剣だ。
斬られたらもちろん血が出るだろう。革鎧しか着用していないリアならば、やすやすと体に刃が達するだろう。
だが正直、リアには勝算しかなかった。
負ける要素が見当たらなかった。
まず、用意した武器が悪い。ミスリルの魔剣なぞ、手加減のしようがない。リアのスキル剛身を使えば普通の刃ならば皮膚で止められるが、それをライアスは知らないのだ。
つまり狙うのは四肢の末端、急所以外となる。これなら木剣の方がまだマシだろう。
いくら痛い目に遭わせると言っても、王女に大怪我を負わせる訳にはいかない、この時点で既に大きな不利がある。
対してリアは、極論すればライアスを殺しても構わない。もちろん殺す気は全くないが、急所を狙うという選択肢がある。
「言っておくけどな、ライアス。私は今まで、お前との訓練の中で一度も、実力を出せたことはないぞ」
手加減がどうとか、訓練がどうという話ではない。持っている技術を全く使えていなかったのだ。
「私もこの間負けたのを含めて、本気ではありませんでしたけどね」
実は負けず嫌いなライアスであるが、そういうことではないのだ。
「私が勝ったら、素直に王都に戻ってもらうぞ。父上の説得も任せる」
「ええ。元々私が負けるようであれば、あなたを止められるような人間はいませんからね」
ルーファス亡き今、その言葉は正しい。ルーファスにはそもそも止める気がなかったが。
「では、始めるとするか」
そう言って、リアは魔法の袋から槍を取り出した。
槍である。十文字槍である。
「え?」
「え?」
「え?」
「え?」
白兵戦に関しては門外漢のルルーでさえ、予想外のことであった。
リアと言えば刀。刀と言えばリア。それぐらい、王宮でのイメージは固まっている。
言葉もなく、踏み込み、リアは槍を突き出した。
ライアスの盾がそれを防ぐ。引き戻された槍は、足元へ突き出される。
「くっ」
剣を地に突き立て、それを防ぐ。すぐに槍はライアスの顔面へと向けられる。またそれを盾で防ぐ。
ほとんど突きの攻撃だけで、ライアスは防戦一方になっていた。
今まで一度として、リアが槍を使っているのを見たことはなかったからである。
だがリアは槍術のスキルをレベル6で持っている。わずかに剣術のレベルの方が高いが、そもそも剣よりも槍の方が強いのは、前世では常識であったし、リアも刀の取り回しと同じぐらい、槍には力を入れて修行していた。
この世界でも、戦争での歩兵の主武装は槍である。ライアスにしてみても、騎乗して戦う場合は長柄の武器を使う。
だが地面に足につけての訓練で主に剣を使うのは、その取り回しの良さと、携帯性に理由があった。
この戦いにおいても、なんでもありだと最初から分かっていれば、ここまで一方的な展開にはならなかっただろう。
そこがリアに言わせれば、ライアスの甘さである。心構えの違いと言ってもいい。
この世界には、常在戦場という概念がない。武装の禁止された現代日本の武術家でさえ持っている、即時に戦いに移行する覚悟というものが、そもそもないのだ。
リアにはそれがある。王宮の中で、刀はもちろん短剣でさえ持っていない時でも、襲われたら相手を殺す覚悟と、技術を持っていた。
リアとライアスでは、そもそもレベル以外ほとんどリアの方が高い能力を持っている。
ライアスはたまらず魔法で肉体を強化し、鎧や盾の防御力を上げたが、すぐさまそれは、より高い魔力を持つリアの魔法で解呪されていった。二人の能力値を比べてみれば、実は最も差が大きいのが魔力である。
もしライアスがリアに優るものがあるとすれば、それは戦争の経験だけであった。しかしここは、戦場ではない。そして単に殺し合いの経験に関して言えば、暇さえあれば魔物を虐殺しているリアもそうそう劣るものではない。
結局、ライアスは肉を切らせて骨を断つという戦法を取らざるをえない。
突き出された槍に対して垂直に盾を構え、わざと貫かせたのだ。
「ぐうっ!」
左手の甲を貫き、槍の穂先が肉に達する。それでもそこから肘を回して、盾で槍を絡め取る。
リアは簡単に槍を手放した。武器を失ったが、槍で貫かれた盾は、取り回しが効かない。ライアスも防御の手段を一つ失ったのだ。
しかしライアスが左手に傷を負ったのに対し、リアは無傷。
ここでライアスの有利な点は、既に武器を手にしているということ。対してリアは、刀を抜いて構えるまでに、一つ動作が多い。
そう考えたライアスが片手のまま剣を振りかぶり、リアを狙ったのは当然のことだった。
だがライアスは知らなかった。
リアは剣術スキルをレベル7で持っている。しかしそれと同じレベルのスキルを、もう一つ持っていたのだ。
居合抜刀。
リアの右手が腰に差した刀に触れた次の瞬間、刀は既に振り切られていた。
肘の部分で断たれたライアスの右腕が、剣ごと宙に舞った。
返す刀でリアはライアスの脇を抜いていった。金属の鎧を断ち、脇腹をえぐった。
「ぐふっ」
空気を漏らすような呻き声と共に、ライアスは膝を着いた。
リアは間合いを取って、相手の戦闘力が喪失したのを注意深く確認してから、ようやく刀を下ろした。
「ルルー、治療を」
「は、はい!」
何が起こったのか、結果しか見えなかったルルーだが、治療の必要性は分かった。
供の騎士と一緒にライアスの鎧を脱がせ、まず脇腹を簡単に治療した後、切断された右腕を繋げる。
幸い腹部の傷は内臓には達していなかったし、右腕もこれだけ綺麗に斬れていれば、問題なくくっつくだろう。
「姫様…いつも…手加減をされていたのですか?」
寝かされた姿勢のまま、小さな声でライアスは尋ねた。
自分とリアの間には、圧倒的な差があった。それは、普段の訓練では全く感じられなかったものだ。むしろ、剣技では自分の方が上回っていると、今でも思っている。
「そういうわけじゃない。いつも真剣だったよ。でも、なんというか、訓練で使う技術と、殺し合いで使う技術は違うだろう?」
「そういうものなのでしょうか…」
納得いかないライアスであったが、とにかくリアは自分より強い。丁度良く戦闘力を奪う程度に、技量の差があった。
「陛下には、上手く報告しましょう。どのみちさっきも言いましたが、姫様を連れ戻す手段などありませんからね」
「すまない。助かる」
素直にリアは頭を下げた。
「ただし、条件があります」
ライアスの顔が向けられた方には、エルフスキーとして騎士団中に知られる男がいた。
「カルロス、姫様のお供をしろ。護衛などと考えるな。旅をするなら、男手が必要なことは必ずあるからな」
「え、いいんですか!?」
嬉しそうにカルロスは問う。ルルーは複雑な顔をしているが。
「姫様も、よろしいですね?」
「私はいいけど…」
視線はルルーに向かう。エルフスキーというのは一種の病気だ。ハーフエルフのルルーがどう思うのか。それが問題だ。
「まあ、仕方ないでしょう。姫様が戦っている間、あたしを守ってもらう人は必要ですし」
その台詞にカルロスは思わず片膝を付けた。
「騎士の誇りにかけて、あなたを守りましょう!」
その場の一同は苦笑い。騎士ならば当然、主筋の姫を守らなければいけないのだが、守られる対象の方がずっと強いのだから仕方がない。
かくして旅の一行は三人に増えたのだった。
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