幕間2 黒歌鳥

幕間2 1

 静まり返った薄暗がりに、規則正しい雨滴の音が響く。細く揺らめくランプの光に半顔を晒したまま、ウォルメント・オースはふと秀麗な眉を顰めた。

 まろやかな細面にすらりと通った鼻筋に、唐紅色に輝く杏仁型の瞳、そして艶やかな絹糸さながらの長い黒髪。ルナン貴族が持つ美の概念をそのまま成形したかの如き凄艶な美貌は、もはや端正を通り越し、いっそ作り物めいた印象すら覚えさせる程。しかし今、‘氷の魔性ラィア・レイン’と綽名されるその横顔に掛かっていたのは、恐ろしく冷ややかな……そしてどういうわけかひどく不機嫌そうな影だった。

 ほっそりとした指先が複雑な文字の羅列をなぞり、青玉サファイアを戴く指輪が華麗な輝きを放つ度、苛立ちにも似た気色はいや増していくようにも見える。神経質そうに結ばれた薄い唇は、何とも言えぬ不信の念を持て余しているようにも見えた。

『邪魔するよ……って、暗っ!灯りぐらい点けなよ!!』

『……ノックぐらいなさい』

 突然薄闇を侵した光と悪態に、怜悧な双眸が不満げに細められる。不調法な足音を背中で聞き流しながら、ウォルメントは恬淡たる口調で言葉を紡いだ。

『先の会議のせいで、用事が立て込んでいるのですよ。話があるなら手短にお願いします』

『……くだらないって途中退室したくせに。よく言うよ』

 呆れたようにぼやきながら、小柄なシルエットがひょいと肩を竦める。開け放した扉もそのままに部屋の中へと滑りこんできた気配に、ウォルメントはようやく白い面を上げた。

『‘森’の件は、とりあえず緘口令を敷いたよ。捜索隊を出す出さないで、レジェットとフィリックスがずいぶんと騒いでいたけれど』

『出したところで無駄でしょう。そもそも、出す理由がありません』

『……相変わらず、殺生な事を言ってくれるねぇ。仮にも、の息子だっていうのに』

 揶揄めいた──否、揶揄そのものを乗せた嗤笑を受け流し、ウォルメントは再び静かに言の葉を継いだ。

『……いずれにせよ、あの辺りの水系は流れが速く非常に複雑です。仮に落ちた時に生きていたとしても、どの流れに乗るかは……』

『神のみぞ知る、かぁ』

 茫々と響く滴の音に、ため息にも似た呟きがふわりと溶けた。

『まぁ、仕方ない。とりあえずは、様子見だね。それとなく気をつけるよう、ルスランにも言っておくよ』

 困ったように嘯くボーイソプラノにはしかし、深刻そうな色は全くない。その証拠に、部屋の奥へと軽やかに歩を進めるの顔には、見間違いようのない微苦笑が張りついていた。

『……しかし、よくもまあ、こんな辛気臭い所に詰めていられるねぇ。‘支配者’なら部屋も選び放題なのに、よりによって地下だなんて。それに……いくら水が好きだからって、いくらなんでもこれはやり過ぎでしょう?』

 手近なカウチに勝手に掛け、闖入者――ケレス・ヒルズはけらけらと嗤った。

 皇宮の地下四層階――通称‘暗月あんげつきざはし’。

 最下層に在る‘真理の階’を除けば最も地中深くに設けられたウォルメントの執務室には、地下水脈から引かれた水源が至る所に巡らされている。水ランプに水壁、そして可憐な睡蓮が浮かんだ水盤。水の呪力属性を持つ彼ならではの設えはしかし、この上なく優雅であると同時に、恐ろしく複雑な計算のもとに組み上げられた呪力増幅装置でもあった。

 四人の支配者の中で最も新参であるウォルメントがその存在を知らしめているのは、ルナン随一とも称される美貌のみでは断じてない。ルナン貴族百五十余家の中で最も古く高貴な家柄に依る膨大な呪力容量と、それを制御し得る卓抜した技量、さらにはそれら両方を融合させ得る冷徹な頭脳。水や氷は勿論、時に天候をも操るとも言われるこの水術師の名は、ルナン──否、エリア全土で半ば畏れを以って囁かれていた。

 事実、室内のそこかしこで流れる水が纏う気配は、たとえ水の呪力を持たぬ者であっても背筋を凍らせるに違いない程の圧を秘めている。地下深く調えられた密やかな水の苑は、美しき主以外の存在を拒絶しているようにも見えた。

『そういえば、君の大叔母上──先々代の水の支配者の執務室も地下だったっけね。オース家の人間は、よほどお籠もりが好きとみえる』

『……‘上’は何かと煩いのですよ。面倒事ばかり持ち込む同輩がひっきりなしに騒ぎ立てていれば、萎れもします』

 部屋の片隅に置かれた水時計――ごく薄い硝子と金、そして瑠璃ラピスラズリで作られた、精緻極まりない芸術品――をいじりはじめた‘地の支配者’の皮肉を、平明な科白があっさりといなした。

『あはは。違いないや。レジェットには、一度しっかりお灸を据えなきゃねぇ……っと!』

 規則正しく落ち続ける水滴を眺めるのにもすぐ飽きたのか、勢いよく立ち上がったケレスがくつくつと嗤う。その悪戯な双眸が次に狙ったのは、思わず深く嘆息した麗人の手元だった。

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