幕間2 2
『新歴二千五百年度の宮廷日誌に、帝室図書館蔵書目録。それに……‘皇宮内における呪法実験実施記録’?一体、何コレ?』
帝国の所有を示す朱印と禁帯出の印が押された本の一冊を手に取りつつ、少年がひょいと小首を傾げてみせる。いきなり横から割り込んできた無遠慮な問いに、形のよい眉が迷惑そうに曇った。
『……氷縛結界術の改良のため、百五十年ほど前の呪法実験記録と資料目録を調べていたのですよ。その途中、少し気になる記述を見つけたので』
『気になるって……何さ?』
黒檀の机の上に広げ散らされた分厚い本と巻紙達に目を注いだまま、ウォルメントは静かに薄い唇を開いた。
『……皇宮内で呪法の実験や儀式を行う際、届け出と記録が必要な事はご存知ですよね』
『それは……まぁ』
『千七百年前――今から五代前の帝の、即位式の前日の記録です』
麗人の長い指が示したのは、古びて退色した羊皮紙に書かれた文章の一節だった。
『新暦二千五百年、弐の月、五日。特筆すべき事例なし……。別に、普通じゃない?』
古色蒼然たる
『……その特に記すべきこともない日に、祭儀の間ではある儀式が行われていたのですよ。それも、相当の規模のね』
『ある……儀式?』
『‘
淡々と紡がれた言の葉の響きに、頁を繰ろうとした小さな手がぴたりと止まった。
『皇家の者にのみ使用が許される、最高位の禁呪です。数千年前までは皇位継承時の儀礼の一環として行われていたようですが……制御には、相当の力が必要だったのでしょう。発狂者や死亡者が続出し、千年程前には使用そのものが禁忌になりました。今では、むしろ知る者の方が稀でしょうね』
『……その門外不出の術の事を、どうして君が?』
いささか明度を落とした問い返しに、麗人は事もなげにふと肩を竦めてみせた。
『召喚術の実施には、膨大な呪力が必要となります。たとえ皇族でも、単独での使用は非常に難しい。その
皇家に迫る程の強大な呪力を誇る、
『その当家の記述と公文書の記述とが、どうしても合わないのです。そればかりか、召喚術に関する記録や資料そのものが、根こそぎ欠落している。まるで……そう、術の存在自体がなかったことにされているとしか思えぬ程にね』
『…………』
疏水のように恬淡たる科白に、何とも言えぬ沈黙と翳が懸かる。
『もしそうなら、由々しき事態でしょう。物が物だけに』
『……なるほど』
簡潔な相槌とともに響いたのは、ぱたんと本が閉じられる乾いた音。
不透明な笑みを浮かべた未成熟な貌が、ランプの光に合わせて揺れた。
『このこと、誰かに伝えたの?』
『……他言はしていません。おいそれと漏らしては、余計な混乱を招くだけです。
『……そう』
理路整然とした科白に応じた少年が、独白めいたため息とともに大きな目を伏せる。
その彩をふと過ったのは、何とも言えぬ複雑な惑いと……そして微かな安堵の色。
ほんのわずかに仄めいたそれを過たずみとめた麗人の目に、剃刀のように怜悧な光が点った。
『……何か、見当でも?』
『……まさか』
大仰な嘆き文句とともに、少年は芝居がかった仕草で肩を竦める。
いつの間にやらいつもの食えなさを取り戻したその視線が、美しくも鋭い氷の瞳を真正面から射た。
『あったら、こっちが知りたいくらいさ。もしバレたりしたら、大目玉は間違いなし!それこそ、洒落にならないよ。ともかく、調査は君がしてよね。もちろん、内密に。フィリックスあたりが知ったら、危機管理がなってない!!……とか言って、文書官を殺しかねないもの』
『……報告は?』
『当然、僕に。あのひとには、上手いこと伝えておくから、さ』
はたはたと手を振りざま呟きながら、少年はひらりと身を翻した。
そのまま歩み去るかに見えたその背は……しかしぼんやりと薄闇に浮いたまま。
深まる猜疑に険しさを増したウォルメントの貌を、ぽつりと漏れた呟き声が嬲った。
『……エリエナも、案外しぶといね』
『…………!?』
くすくす笑いとともに肩を縮めた少年の後ろで、唐紅色の双眸が大きく見開かれる。
思わずはっと振り向いたウォルメントを知ってか知らでか。ケレスの脚は、既に軽やかな動きで以てその歩みを進め始めていた。
思わず椅子を蹴りかけた麗人の挙動を、唐突にその眼前を過った一条の影が発止と制する。わずかに遅れてすいと流れた空気に煽られ、ランプの光が大きく揺れた。
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