第5章 8

『……昔、この国に尊き血を引く兄と妹がいた』

 燐水晶りんずいしょうが埋められた吊り照明の光に、金細工の幽玄な輝きが浮かび上がる。

 花と蝶とが彫り出された豪奢な額の中……鮮やかな色彩で描き出されたその肖像は、優雅な眼差しで此方を見下ろしていた。

『貴女たちと同じ、双子の兄妹だ。兄は他に代えられぬ宿命さだめを持って生まれ、その重責に全力で以て応えた。妹は兄に寄り添い、その重みを分かち合おうと支えた』

 無情の呟きを伴に、ほのかな微笑を浮かべていたのは、緩やかな巻き毛を背に流し、扇を持って立つひとりの女。

 年の頃はセレナよりも少し上か。綺麗に通った鼻筋と小作りな朱唇が、華やかな顔立ちを上品に引き立てている。

 天女もかくやと思われる艶やかな美貌の中、何よりもセレナの眼を引いたのは、涼しげに切れ上がったあか色の瞳。血の色よりも深く鮮やかな彩が、しなやかな肢体を覆うドレスの色と全く同じであることに気付いた時……乙女ははっと瞠目した。

『……兄妹にも、様々な形があるのだろう。ともに歩むうち、妹は兄を兄として以上に愛するようになった。許されざる思いに懊悩した彼女は、ついには我と我が身を投げ出し……やがて、狂気の果てに自ら命を絶った。己が罪の証たる、ひとりの子を残して』

――現皇帝の妹君の居室だったのだけど、二十年前にで亡くなられてね。

――なるほど、フィルナに置いておくには、確かに惜しい。

 不意にぐらりと揺れたセレナの脳裡を鮮やかに掠めたのは、弾むような少年の科白と……そして、この国で唯一の禁色いろを纏った婉然たる男の笑み。

 その酷薄な切れ長の瞳が、絵の中の美女の微笑に――そして目の前に立つ男の醒めた眼差しに……ゆっくりと重なった。

『……彼女をたのむ資格など、私にはない。だが、彼女が恋うた兄の――我が君の役に立つことで、その思いに報いることが出来るのなら……それでいい』

 衝撃に竦む緑の瞳が見つめた先で、組まれた右腕におさまる銀輪がひっそりと煌めく。遠目にも分かるその繊細な模様が、淑女とともに描かれた扇の細工と同じであることに、セレナは今更ながら気づいていた。

『……つまらぬ話だ。聞き捨てられよ』

 独白のような言とともに瞬きしたルスランの眼は、相も変わらず温度を失ったまま。取りつく島もない程に醒め切ったその彩は……一旦は鎮まったセレナの心裡を、再びざわりと突き動かした。

『……人を恃むのに、資格がいりましょうか』

 短い沈黙を切ったのは、小さいがしっかりとした響き。

 いささか不自然な仕草で眉を上げた男を真正面から見遣ったまま、セレナは再びはっきりと言葉を紡いだ。

『人が人を恋い慕うことは、ごく自然なことです。ましてや、貴男にとって、その方は……まことこの世でただひとりの、大切な方。その思い出をひっそりと胸に留め、よすがとすることを……一体、誰が咎めるというのですか』

『……彼女、自身だ』

 整然たる乙女の科白に反論したのは、相も変わらず平明な眼差しだった。

『彼女は私の存在故に狂い、そして死を選んだ。私がいなければ、彼女はまだこのうつつに身を留めていられたはず。そのような者からの追慕など、憎悪の対象ですらなかろう』

『……それは、違います』

 己が言葉を言下に否定した美しい声に、ルスランは今度こそその面を上げた。

『その方が貴男のことを心底憎み、呪っていたのなら……貴男は今、ここにはいません。生まれてすぐ――いえ、生まれる前に、その命を摘み取られていたはずです。でも……そうは、なさらなかったのでしょう?』

『……ただの、偶然だ』

 穏やかに瞬く緑の双眸は、相も変わらず冷ややかな視線に怯みもしない。その強さに驚きめいた色を浮かべながらも、ルスランの声はやはり皮肉じみた硬さをたたえていた。

『惑乱にすくわれた心が、正常な思考と判断を奪った。それだけの話だ。あるいは……自ら手を下すにも値しなかった、ということかもしれないが』

『違います!!』

 再度響いた声の強さに、ルスランが思わずはっと目を見開く。

 しかし……彼をそれ以上に驚かせたのは、セレナの瞳に勃然と出来した激しさだった。

『……貴男のお母上は、確かに貴男の存在に悩まれたかもしれない。でも、貴男を十月十日もの間育み、この世に送り出したことは紛れもない事実です。呪力ちからの強い者同士の婚姻は、女にとって命取りになることも少なくありません。その危険を冒してまで貴男を産んだ理由はただひとつ――貴男を、殺めることがからです!』

 詰問のような科白と視線にまといつくのは、静かな――しかし恐ろしく鋭いの糸。

 先程涙を流している時ですら表情を変えなかった乙女が初めて見せた顔と言葉に、ルスランはただ呆気にとられて立ち竦むほかなかった。

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