第19話 プレプロローグ
「もうおひとりで大丈夫ということですか?」
小さなアパートの前でスーツ姿のがっしりとした男シャノンへと尋ねる。
「はい。仲介してくれる巴さんとの待ち合わせにはまだ時間があります。あなたは忙しい方なのでしょう」
「いえ、そのようなことは……」
「そもそもあなたが直接送ってくださらなくともよかったのではないですか?」
「そうはいきません。これは国を代表する者としてのせめてもの償いです」
男が眉間にしわを寄せ、苦渋の表情になる。
「ですから気にしないでくださいと何度も言っているじゃありませんか」
そんな彼にシャノンは努めて明るく振舞ってみせた。
先日、ふたりの故郷では革命が起こった。
原因は皇国上層部の汚職と腐敗。
新体制は革命の指導者がそのまま担うことになった。
旧体制の象徴――“ロイヤル・レイ”だったシャノンは今まで崇められていた存在から一転、国民から憎悪の対象として吊し上げられてしまう。
そして、表向きには革命の際に死亡したことにしてはるか遠く離れた日本へと秘密裏に亡命することになった。
少女と男、今こうして話してはいるがその立場は対極にあると言ってもいい。
「この革命はシャノン様のご助力なければとても成しえませんでした。そんな貴女を私たち新体制は革命のスケープゴートにしてしまった……貴女も被害者だったというのに」
「んー、わたしは世間知らずで学もないからよくわからないのですが、これが国民の皆さんの幸せになるんですよね?」
「それは……」
男が言いよどむがそれは肯定を意味していた。
「ならこれでいいんです。ささ、こんな小娘のことなんてもう忘れてくださいな」
シャノンは微笑んで言う。
「シャノン様……貴女に非はありません。勝手な申し分だとは百も承知ではありますが、どうかこの地で幸せに暮らしていただきたい」
もう会うこともないだろう別れ際、男は最後に「申し訳なかった」と謝罪の言葉を残して車で去っていった。
シャノンは車が見えなくなるまで手を小さく振っていた。
その所在なさげな手をゆっくりと下ろす。
そして、振り返ってアパートを眺めた。
「ここが今日から住むところですか……」
(それで同居する方がいるんですよね、たしか輝臣さんでしたっけ?)
シャノンは先ほどの男と出国前にした会話を思い出した。
――「これから向かう先は我が国の良き相談役であった桐ケ谷先生のお孫さんが住まわれている場所です」
――「義昭さんの、ですか?」
――「生前から先生はこうなることを予想しておられたのか、シャノン様が日本で暮らせるように色々と手配しておいてくれていたようです。とりあえず貴女を引き取るにあたって便宜上“許嫁”ということになってます」
――「許嫁……?」
――「結婚を前提にお付き合いをする相手のことです。ただ、調整してくれている巴さんの話では“家族”という認識で構わないとのことでした」
――「は、はぁ。でもわたし家族なんていたことないのでどうしたらいいか……」
――「家族に手段や理屈なんてものはありません。シャノン様はシャノン様、ありのままでいればいいのです」
あのとき、男からの助言を受けてもシャノンとしては要領を得なかった。
「わたしは……」
シャノンはアパートの前から歩きだしていた。
彼女の世界は教会の中だけだった。
外はわからないことばかりだ。
(いえ、きっとわたしは何がわかっていないのかもわかっていないんでしょうね)
「どうやって生きるのかさえ……」
(それならいっそ――)
しばらく当てもなく歩みを進めていた、そのとき。
『環ちゃん。輝臣くんが迎えにいたわよー』
ふと、聞き覚えのある名前が耳に入ってきた。
(テルオミ……さん?)
シャノンは声の方へと振り返る。
彼女はまだわかっていなかったが、目の前には幼稚園があった。
『あー。てるくんだー』
出入り口前で待つ少年へと幼い少女が駆け寄っている。
シャノンは思わず電柱の陰に隠れた。
そして、ふたりの様子を窺う。
「あの方がこれから一緒に住むことになっていた人……?」
(えーっと、たしか義昭さんのお孫さんでわたしと同い年なんですよね。後姿は雰囲気似ているところがありますがお顔は全然違いますね。義昭さんは優しそうな感じでしたけどこの方は凛々しいです、キリっとしてます)
シャノンは新生活には前向きじゃなかった。
16歳の少女がいきなり見知らぬ地に連れてこられ、今日からここに住んでもらうと言われても困惑して当然だろう。
迷惑がかかるとわかっていながらも巴との約束を破り放浪してしまっているのはそのためだ。
アパートに戻るつもりはなかったのだが、偶然見かけた輝臣たちから目を離せなかった。
「そういえばもうひとりいると言ってましたね。可愛らしい方ですね~。タマキさんでしたっけ? 勝手ながらたまちゃんと呼んじゃいましょう」
『おー、迎えに来た。帰るぞ』
「あ……」
輝臣たちが幼稚園を出てからもシャノンはその後を追っていた。
ふたりは河川敷を横に並んで話しながら歩いている。
まあ、話しているといってもほとんど環が一方的に今日の出来事をまくし立てているだけなのだが。
(ふふふ、たまちゃん一生懸命お話してるのがまた可愛いです)
「でも……」
シャノンは輝臣へと視線を配る。
(あの方は「ああ」とか「そうか」とかばかりですね。表情も変わりませんし……もしかしてお腹が空いているんでしょうか)
『それでね、どろだんごをつるつるにするのであしたもいそがしい――タンポポ! たまき、ふーってふくさいのうがあるから! てるくんみてて』
さすが好奇心の塊である幼稚園児といったところか、環が今まで話していたことを中断してタンポポの生えている原っぱへと突撃していく。
それに輝臣がゆっくりと続く。
「あ――」
そこでシャノンははっとした。
先ほど環が民家の生け垣に咲いていたつつじに気を取られていたときもそうだった。
散歩に連れられた犬を環が撫でに行こうとしたときもそうだった。
輝臣は決まってその少し後ろで見守っていたのだ。
そもそもあれだけ年齢が離れているふたりが並んで歩いているという時点で、輝臣がペースを合わせていることが窺えるというものだろう。
態度や言葉にこそ出てはいないが、その行動の節々から輝臣が環を大切に想っていることが見て取れた。
(あれが家族というものなのでしょうか……)
ちくり。
シャノンは胸に小さな痛みを感じる。
「あれ? どうしたんでしょうか」
しかし、それは不快なものではなかった。
少し離れたところではちょうど環が杉の枝を持って輝臣に駆け寄っているところだった。
『よし環まず落ち着け。その危険物を置け。じゃないと死人が出る。俺という死人が』
『これふるとなんかでる! たまきふしぎパワーにめざめたかも』
『それ花粉な! ちょ、やめ――。鼻セ〇ブさん助け、は? 空? のおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
輝臣がバ〇スされた某王家の末裔よろしく目を抑えながら河川敷の傾斜を転げ落ちた。
そして、ひとしきりくしゃみをしている。
『何てことしてくれてんだお前は。鼻もげるところだったぞ。ほら、もう帰ろうぜ』
『んー。もうちょっとー』
『マジかよ、面倒くせーな……』
輝臣ががっくりと肩を落とし、ため息をついた。
そして――。
シャノンは目の前の光景に息を呑む。
言葉とは裏腹に、ずっと不愛想だった輝臣が屈託のない笑顔を見せたのだ。
瞬間、シャノンは自分の胸のうちでなにかがはじけたような気がした。
心臓が早鐘を鳴らす。
顔が上気する。
「え? え……?」
(わたし、どうしてしまったんでしょうか。あの方のことを考えるとわたし――。あの方、いえ……)
「輝臣、くん」
シャノンが呟くようにして初めてその名前を声に出す。
それだけで今まで感じたことのないような高揚感で彼女の身体が満ちていく。
(わたしも輝臣くんって呼んでみたい――)
想いが溢れてくる。
(わたしのことも呼んでもらいたい――)
溢れてくる。
(わたしも輝臣くんとお話してみたい――)
溢れてくる。
(「ああ」とか「そうか」とか相槌うってもらいたい――)
溢れてくる。
(一緒に暮らせるなら一緒に暮らしてみたい、そして家族になりたい――)
止めどなく溢れてくる。
まだ河川敷にいる輝臣たちを眺めていたい気持ちはあったが、シャノンは踵を返して来た道を戻りアパートへと急いだ。
「わたしにもあの笑顔を向けてもらいたい」
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