第18話 彼女の待つ家

 放課後になり輝臣が校門を出ようとしたところ、


「輝臣」


 背中から声がかかった。


「ああ、ツバキか。お前も今帰りか?」


「残念ながら。最近ここの周辺の治安が悪いみたい。これから生徒会でいくつかの駅の防犯パトロールなの」


 花椿が肩を竦めた。


 彼女がやるとどんな所作でも絵になる。


「そりゃ面倒くせーな。じゃあ遅くなりそうだな」


「ええ。そうね」


「メシ作っててやろうか?」


「ええ!?」


 輝臣が提案すると、花椿は驚いたように手を口に当てる。


「なんか珍しいね。輝臣がそう言ってくれるなんて」


「別にひとり分増えるくらい大したことないからな。お前だって時間がある時作ってくれることあるだろ」


「それは別の意図があって……」


「別の意図?」


 首を傾げる輝臣に「ううん。気にしないで」と花椿が慌てている。


 こほん。彼女がひとつ咳ばらいをしてから続ける。


「輝臣、ちょっと変わったね」


「変わった……俺が?」


 何故か一瞬シャノンの顔が輝臣の脳裏をよぎる。


 しかし、それ以外は考えてみるが思い当たる節はなかった。


 そんな彼に花椿が笑みをこぼす。


「私は良いことだと思うわ。それじゃあ晩御飯楽しみにしてるね」





 花椿と別れた後、輝臣は環を迎えに行ってからアパートへと戻った。


 ――――――♪


 そのとき、輝臣のスマートフォンが鳴る。


 巴だ。


「環、ほら鍵。開けてくれ」


「あーい。のんちゃんただいまー」


 輝臣は鍵を渡してから電話に出る。


『遅いわね。私からの電話はワンコール以内に出なさい』


 相変わらず開口一番の理不尽だった。


「ブラック企業か。それで何の用だ? 最近よく電話してくるな」


『はぁ!? 私が暇人だとでも言いたいの? 学生風情がクソ生意気ね。あー久しぶりにキレちまったわ。屋上――』


「面倒くせー絡み方すんじゃねぇよ。愚痴でも聞いてほしいのか?」


『あんたに愚痴って何の意味があるのよ。それなら畑のカカシにでも言った方がまだ有意義だわ』


「ぐむ……っ」


 あながち間違いでもないので輝臣は言葉に詰まってしまう。


 それに満足したのか巴が口を開く。


『昨日はどうだった? シャノンさんをどこか連れて行ってあげたんでしょうね』


「あー。駅前のモールに行ったぞ」


 電話越しから『相変わらず気が利かない』と舌打ちが聞こえる。


『まあ及第点ってところかしらね。近所の牛丼屋とかだったら今からぶっ飛ばしに行くところだったわ』


「なんでだよ……」


 彼女なら本当にやりかねないので輝臣は笑えなかった。


『それで喜んでもらえた?』


「まあ、な。あいつならどこ行っても楽しそうにするだろ」


『あら。あんたが他の人のことそんな風に言うなんて珍しいわね。もしかして何かあった?』


「な、なんもねーよ」


 輝臣は昨日の夜のことが脳裏に過り、少し言い淀んでしまう。


『まあいいわ。ここからが本題ね。私、出張から早く戻れそうなのよ。それでシャノンさんのことだけどどうする?』


 どうするとは彼女の住まいについてだ。


 最初の約束では巴の出張が終わるまでは輝臣のアパートで預かるということになっていた。


「あー、それだけど――」


 電話をしながら玄関を入った輝臣の足に何かがぶつかる。


 それは佇んでいた環だ。


「悪い、環。て、どうした?」


 呆然としており、その表情はやや硬い。


 輝臣はその視線を追って顔を上げる。


 そこにはがらんどうとした部屋が広がっていた。



 シャノンの姿はどこにも――ない。



※※※



 シャノンは輝臣たちのアパートがある町の郊外をひとり歩いていた。


 ――「留守番よろしくな」


 そう輝臣から留守を任されたときにはもう、彼女は家を出ることは決めていた。


 朝はバタバタしていたので布団や朝ご飯を食べた後の皿などがそのままになっていた。


 シャノンはまずその後片付けを始めた。


 これは驚くほど世間知らずだった彼女がこちらに来て学んだことのひとつだ。


 その後、荷物をまとめてから置手紙を書く。


 すべてが終わり、アパートを出たのは正午を大分過ぎた時間になった。


 いや、なってしまっていた。


 本当はもっと早く済ませることが出来たのだが踏ん切りがつかなかったのだ。


 ここでの暮らしを断ち切ることに。


 手紙には大丈夫と書いたが、どこかに当てがあるわけでもなかった。


 それでもアパートにはもう戻らないと心に誓っていた。


(……ごめんなさい)


 歩いているシャノンの頬に一筋の涙がつたう。


(ごめんなさい、ごめんなさい)


 両手でいくら拭っても涙はとめどなく溢れてくる。


 ――「俺にはもう家族を持つ資格なんてないんだ」


 過去の失敗は今でも輝臣を蝕んでいた。


 ――「お初にお目にかかりますっ! わたしはシャノンと申します。不束者ではありますが末永くよろしくお願いいたしますねっ」


 シャノンはそんな彼の心の一番脆い部分を傷つけていたのだ。


(わたしはこの生活に浮かれていました、あなたの気持ちも知らずに)


 何も知らなかった自分への羞恥心と懺悔の気持ちで彼女の胸は今にも張り裂けそうだった。


(わたしのわがままのせいで……)


「わたしがあんなことさえ思わなければ――……」


 その時の光景がシャノンの頭に蘇った。

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