第10話 元女神さまと修羅場回

 一方その頃、シャノンはというと――。


「メ、メトロポリタンミュージアム……はわわわわ」


 某教育番組にトラウマを植え付けられそうになっていた。


(はわ、はわ、どうしましょうどうしましょう――)


 得体の知れない不安感に襲われ慌てふためいていたシャノンの目にあるものが止まる。


 ちゃぶ台の上のおにぎり。


 これはシャノンの昼ごはんにと輝臣が作り置きしてくれていたものだ。


 時計の針は12時を過ぎたくらいだったので、さっそくご相伴にあずかることにした。


 ぱくり。


「やっぱり輝臣くんの手料理は美味しすぎます~。こんな素晴らしいものをいただけるなんてわたしは幸せ者すぎますね」


 先ほどまでの不安は何処へやら。


 寸でのところでトラウマ回避に成功した。


「どうやら生きてるようだね」


 不意に背後から声を掛けられる。


 シャノンが振り返ると、玄関のドアに寄り掛かるようにしている文子がいた。


「まあおばさま。はいっ、元気いっぱいです! この輝臣くんが作ってくれたおにぎりとても美味しいんでしょ。よかったらおひとついかがですか?」


「へぇ。他人には全然興味ないあのクソガキが珍しい」


 皿を差し出してくるシャノンにやんわりと断りを入れてから文子がタバコを取り出して咥える。しかし、思い直したのかそれをもとに戻した。


「それにしてもあんたも大変だねぇ。国の女神さまから一転してこんなところで暮らす羽目になるなんて」


「? そんなことありませんよ。輝臣くんは素敵ですしたまちゃんはかわいいですし、ここはまるで天国みたいな場所です」


「……義昭さんの孫は好きかい?」


「はいっ。大好きです!」


 シャノンが迷いなく答えると、彼女が肩をすくめる。


「あのクソガキも色々あったみたいだけどあんたならもしかするかもしれないね、シャノン」


「おばさま?」


「そこでだ、老婆心ながらひとつ良いことを教えてあげるよ」


 そう言った文子が不敵な笑みを浮かべる。




※※※




 少し時間が過ぎて夕方、場所は桐ケ谷家だ。


 居間の空気はこれでもかと言わんばかりに張り詰めていた。


 そのプレッシャーを生み出しているのはこのアパートの二階に住んでいる花椿だ。


 彼女は何か思案するように目を瞑っている。


 その前には何故か正座をさせられて不満げな輝臣。


 そして、ニコニコとまったく状況がわかっていないシャノンだ。


 ちゃぶ台を挟んで三者面談のような形になっている。


 そう、いわゆるひとつの修羅場というやつだ。


 ついさっきまで輝臣が事の発端を説明していたのだが、全てを聞き終わった花椿は考え込むように沈黙している。


 ちなみに環は三人の後ろでキッズアニメを観賞している。部屋に充満する緊迫感との温度差から、アニメののんびりとしたBGMが輝臣には不気味に感じられた。


(ちくしょう、なんだこの状況は! ツバキのやつすげー怒ってるしどうなってんだよ)


 ついつい。心の中で愚痴っていると制服の袖をシャノンが引いてくる。


「ん? なんだよ」


 何故か声のボリュームを絞る輝臣。


 そしてそれにつられてかシャノンも小声だった。


「輝臣くん、輝臣くん。この方はどなたでしょうか」


「ああ。俺の同級生でこのアパートの住人だ」


「まあっ。わたし同い年の女の子とお話するの初めてです。しかもご近所さんだなんて素敵すぎます! 輝臣くん、ご挨拶してもいいですか?」


「あー、今は止めたほうがいいと思うぞ」


 輝臣が様子を窺っているのをよそに、環がおもむろに花椿へと近づく。


「はなちゃん、なにしてるのー?」


「はなちゃん言うな。花椿お姉ちゃんって呼んでって言ってるでしょ」




「えー。それはなんかやだー」


「もう。環、今考え事してるからちょっと大人しくしてて」


「あいー」


 軽く窘められると環がつまらなそうに口をとがらせUターンし、正座しているシャノンの両ひざの間に顔をうずめてうつ伏せになった。


「まあっ。たまちゃん~~~~」


 シャノンがその頭を撫でまわしている。


 そんな彼女を見ながら花椿は観念したように大きく息を吐いた。


「……話はわかったわ。おじいさまの遺言だものね、仕方ないわ。私にも手伝えることがあれば遠慮なく言ってちょうだい」


「おおマジか。そりゃ助かるよ」


「もとより私も無償で住まわせてもらっている身だもの。文句を言う資格なんてないけれど」


「それは気にするなっていつも言ってるだろ――」


 輝臣の言葉を遮るように花椿がぴっと人差し指を立てる。


「ただし、公序良俗に反する行為は絶対に駄目よ。アパートに女の子を連れ込んでいるなんて変な噂たったら私じゃ庇いきれないもの」


「アホか。するかよ、シャノンだぞ?」


「どうだか。同姓の私から見てもとても可愛いわ。それになんだか仲良しみたいだし」


「お前な……」


「名前――」


「あん?」


「だって名前で呼んでるじゃない」


 花椿が不貞腐れたように少し頬を膨らませてそっぽを向く。


「なんだよ。別におかしいことじゃないだろ」


「そうよね。輝臣ってそこら辺の割り切りかた清々しいものね」


 輝臣へと向けた避難の視線を切り、花椿がシャノンへと向き直る。


「今日はいきなりごめんなさい。私は深山花椿、このアパートの210に住んでいるの」


「は、はいっ。わたしシャノンって言います。よろしくお願いします、花椿さん」


「昨日の環のことありがとね」


「い、いえ、わたしは別に大したことは……」


 照れているのだろうか、シャノンが髪の毛をいじりながら答えている。


 花椿がシャノンの膝に頭を預けて眠っている環へと視線を落とし、


「環がこんなに懐くなんて珍しいけど、わからなくもないわね」


 ぽつりと呟く。


「これも何かの縁だと思うの。別に近くに住んでいるからというわけではないけど私とお友達になってもらえないかしら」


 花椿が優しく包み込むようにしてシャノンの手を取った。


 ちなみにこの行動において花椿には他意はない。


 彼女のこういう天然ジゴロなところが圧倒的カリスマ性の所以のひとつだったりする。


「おとも――っ」


「ツバキいいわ。仲のいい人にはそう呼んでもらっているの。私もシャノンって呼ばせてもらうから、ね?」


 ものすごい勢いでシャノンが首肯している。


 彼女の目はハートマークになっていた。


 もうメロメロだ。


「は、はい、ツバキちゃん……っ。な、なんでしょうか、ツバキちゃんのためならわたしなんでもできちゃう気がします」


 狂信者の出来上がりだった。


「ふふ、何言っているの。それじゃあ今日のところはもう帰るね」


「ええ!? もうですか? わたしツバキちゃんともうちょっとお話したかったです……」


「私もそうしたかったけど持ち帰った生徒会の仕事を片づけなきゃいけないの……いえ、そうじゃないかな。気持ちの整理がしたいだけかもね」


 花椿は少し困ったように首を横に振る。


「ツバキちゃん……?」


「でもシャノンと仲良くしたい気持ちは本当だから」


 花椿はシャノンの手をほどき、玄関へと向かった。


 しかし、ドアに手をかけたところで止まる。


「そうだ。輝臣」


「あ?」


「もう学校でもいつも通り呼んでいいから。私もそうするつもり」


「ん? ああ。でもなんでまた?」


 花椿はくるりと振り返り、


「ささやかな抵抗」


 挑発するように舌を出して見せた。


 そして、部屋から去っていく。


「なんのこっちゃ。やっぱ面倒事持ち込んだことに怒ってるのか……?」


 玄関の虚空を眺めながら輝臣は首をかしげた。


 そんな彼にシャノンが興奮した面持ちでずいずいっと近づいてくる。


「輝臣くん輝臣くんっ。み、みみみ、見ましたか、今のツバキちゃん! 舌をぺろってやって可愛かったですねぇ。あんなお茶目な表情もするんですね、素敵すぎます!」


「落ち着けって。お前どんだけツバキに夢中なんだよ」


「はい、大好きですっ。初めてのお友達ですから」


 満面の笑顔でそう答えるシャノン。


(ぐ……っ。顔が近いっての)


 輝臣は彼女の頬に手を当てて押しのける。


「おい。近いぞ。暑苦しいわ」


「うにゅ。しゅみましぇん」


 ――「公序良俗に反する行為は絶対ダメよ」


 そのとき、先ほどの花椿の言葉が頭をよぎった。


(アホか……そんなこと絶対ないだろ)


 輝臣は心の中で改めて否定する。




 しかし今夜、あんなことになるとは今の彼は考えすらしなかったのであった。


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