第7話 シャノンのふしぎなちから

 風呂の問題がどうにか片付き、時計の針は21時を回ろうとしていた。


「あいー……」


 おそらく風呂場で張り切りすぎたためか、環はもう完全にお眠な状態だった。


 就寝にあたっては布団はスペアがあったので問題なかった。ただ、このアパートはワンルームなのでシャノンと同室で寝ることになってしまう。

 

 そこで輝臣は緊急的な措置として、部屋を半分に区切ったビニール紐にシーツをかけてカーテン代わりにした。


 そして布団を輝臣、環、間仕切り挟んでシャノンという順で川の字に並べる。


「これでよし、と」


「あのー、別に仕切らなくてもいいんじゃないでしょうか」


「俺が気にするんだよ。俺、パーソナルスペース広くて電車とかでも周りの人間が気になって居眠りとかできないし」


「は、はぁ……」


 聞きなれない言葉に首をかしげるシャノン。


「つーかさ、そのカッコなんとかならない?」


「恰好、ですか」


 シャノンが瞳をぱちくりさせながら視線を落とした。


 彼女は艶やかな黒色のネグリジェ姿だった。


 ノースリーブで股下の丈も短く、彼女のすらりと伸びた四肢の眩しい。純真無垢なシャノンとのギャップも合わさり、ネグリジェ姿の蠱惑的な魅力をより増大させていた。


「わたし、小さい頃から寝るときはずっとこれだったですよ。だからこれじゃないとよく眠れないんですよ。この寝間着、どこかおかしいですか?」


「ば、ばか、そういうのやめろって!」


 シャノンがネグリジェの裾をひらひらさせるので、輝臣は慌てて制止した。


(目のやり場に困るっての……)


 実はこれも輝臣が仕切りを作ろうとした理由のひとつだったりする。


「電気消すぞ」


「はいっ。おやすみなさい、輝臣くん」


「おう。じゃあな」


 輝臣が照明のスイッチを切ると部屋中が一気に真っ暗になる。


 静寂が落ちる。


(どうしてこうなったんだ……面倒くせ)


 輝臣は大きくため息を吐いた。


「ふふ」


 ふと、シャノンの笑い声がする。


「どうした?」


「あ、すみません。こうして誰かと一緒に寝るのが初めてで楽しくてうれしくて」


「嬉しいねぇ……」


 これまでの話からシャノンの境遇に、理解と共感が出来る部分が少なからず輝臣にはあった。


 彼女が悪い人間ではないことも接しているうちに薄々わかっていた。


(どちらにせよ俺は――……)


 しかし、輝臣はある理由からシャノンと一緒に暮らすことへの抵抗は大きかった。


「このまま寝れねーとかは勘弁してくれよな」


「はいっ。今度こそおやすみなさい」


 輝臣が意識的に眠りに入ろうとした。



 そのとき。



「うっ……うっ……あー」


 隣ですやすやと寝ていたはずの環が突然泣き出した。


(うお……マジでか。よりによって今日なんて)


 輝臣はぎくりと身体を強張らせる。


「おい、環。大丈夫か?」


「うーあー」


 手を伸ばしてみるが、環はわずらわしそうに振り払ってしまう。


「あ、あの、たまちゃん泣いてるみたいですけど大丈夫ですか? も、もしかしてわたしがうるさくしちゃったからですかね……」


 カーテンの向こう側からシャノンが少し曇った声で尋ねてきた。


 輝臣は部屋の明かりを点ける。


「あー違う違う。これは夜泣きだから関係ない。一年くらい前は頻繁にあったんだけど最近は治まってたんだけどな」


 この夜泣きは病院で診てもらっており、その時は「引っ越しでの状況変化によるストレスでの一時的なもの」と診断されていた。


 環の夜泣きが起こるたびにアパートの住人たちも色々と手を尽くしてくれたのだが、それでも全く持ってお手上げ状態だった。


 こうなってしまうともうほとぼりが冷めるまで待つしかない。


「ほら環。おんぶするぞ」


「ううー」


 輝臣はぐずる環を背負うと立ち上がる。


「どちらに行かれるんですか?」


「少し外を歩いてくる。このままだと近所迷惑になるしな。あんたは気にせず寝てていいぞ、今日は色々あって疲れてるだろ」


「あの、ちょっと待ってもらってもいいですか」


 カーテンが引かれ、シャノンが姿を見せる。ネグリジェからのぞく透けるように白い太ももに、輝臣は思わず視線が向いてしまう。


 そんな彼をよそにシャノンが両手を差し出してくる。


「たまちゃんをちょっと預かってもいいですか」


「え? あー……これはどうこうなる問題じゃないんだわ。気持ちだけは受け取っとくよ」


 輝臣はやんわりと断りを入れるが、シャノンはそのままで微笑むだけだった。


 どうやら任せてほしいということらしい。


(実際に泣き止まなかったら諦めがつくか)


 輝臣は負ぶっていた環をシャノンへと預ける。


 シャノンは環を対面に抱きかかえると、ゆっくりと身体を揺らしながら背中を撫でた。


「よしよし。たまちゃん大丈夫ですよ」


 そして、ささやくように繰り返す。


 つま姿の先から頭の先まで。


 所作のひとつひとつ。


 言葉はもちろん息遣いさえ。


 その全てから神秘的なまでの優しさが溢れていた。


(これは――……)


 輝臣は彼女の姿に目が離せなかった。


 環にも変化がある、夜泣きがぴたりと止んだのだ。


「……すぅ」


 程なくして穏やかな寝息が聞こえてきた。


「はふー、泣き止んでくれたみたいですね」


 緊張が解けたようにほっと胸を撫でおろすシャノン。


 そこで輝臣ははっと我に返った。


「すごいな……もしかしてこういうのは慣れているのか?」


「いえいえ。小さな子供をあやすの初めてですよ。だからもういっぱいいっぱいで」


 どうやらそういうことらしい。


 今まで輝臣たちが手を尽くしても駄目だった環の夜泣きをおさめてしまったのだ。


(元生き神さま、か。あながち何もないってわけではないかもな)


「とにかく助かったよ。環は夜泣きした後体調崩すことが多くてさ」


「……それは確かに心配ですね」


「でも今日のこれならたぶん大丈夫だろ」


 輝臣は環から視線を上げる。


「ありがとな、シャノン」


 そして、続けた。


「はい!?」


 ぽしゅん。


 シャノンの顔が一瞬にして上気する。


 耳まで真っ赤になっていた。


「な、なんだよ」


「だって輝臣くんが今わたしの名前を……っ」


「こう呼んでいいって言ったのはお前だろ」


「それでも一度も呼んでくださらなかったのに……」


「意識するなって呼びにくくなるっての」


 感激しているのだろう、シャノンが瞳を潤ませている。


 なんだか照れ臭かったので輝臣は話を進めることにした。


「それでこの後なんだけどそのまま環と寝てもらっていいか? またぐずりだすかもしれないからな」


「はいっ、喜んで。不肖シャノン、たまちゃんの添い寝励ませていただきますっ」


 ひしり。


 自分の布団へと戻ろうと振り返ろうとしたシャノンだが、ぴたりと動きが止まってしまう。


 眠っている環が輝臣のシャツの袖を掴んでいた。


「「あ(まあ)――」」




 ……。


 …………。


 ………………。


 と、いう訳で(?)輝臣たちはカーテンで隔てることなく、環を中央にして川の字になって横になっていた。


「……なんかすまん」


「いえいえ。わたしはもともとこっちの方がよかったので嬉しいですよ」


「俺は嫌だけどな。なんか落ち着かないし」


「はわっ。そ、そんな~~~~」


 涙目になっているシャノンから視線を切るようにして輝臣は寝返りを打つ。


 こうして色々ありつつも同居一日目は幕を閉じた。


(……面倒なことはごめんだ)


 輝臣の気持ちは変わらない。


 ただ――。


(まあ少しだけなら我慢してもいいけどな)


 そんなことを考えつつ輝臣は眠りへと落ちていった。

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