第6話 いわゆるひとつのお風呂回
輝臣が環の生活リズムに合わせているので桐ケ谷家の就寝時間は早い。
基本的には21時にはもう布団の中。
寝る子は育つというやつだ。
「そう言えば風呂はどうする?」
今日も元気いっぱい活動していた環がうとうとし始めた中、輝臣は尋ねてみる。
「湯浴み……お風呂に入れるんですか?」
「まあそりゃな。そんな大した風呂でもないけどな」
「わぁっ。わたしお風呂が大好きなのでとても嬉しいですっ」
輝臣と同い年のシャノンが桐ケ谷家で入浴する。
それには少々の問題があった。
(やっぱり俺が入った後とかだと問題あるだろうな。『男子の後とかキモい』とか言われたら普通に傷付く。かと言って後から入って残り湯を悪用したとかで裁判沙汰されても困るしな)
過剰な自意識のアレだ。
これは16歳の少年には国立大学の入試も真っ青なほど難しい問題だった。
「あのー……輝臣くん。どうかしましたか?」
考えを巡らせ沈黙していた輝臣を、シャノンが呑気に覗き込んでくる。
(そうか! まずはこいつに先に入ってもらい、その後に俺と環が入浴。妹とふたりという組み合わせにより同い年の女子の後に男子が入るというイメージを薄れさせ、なおかつ少し頼りないが残り湯を悪用していないと環に証人になってもらう。これだ!)
「ああ、問題ない。風呂場の説明も必要だよな、じゃあ行くか」
たったひとつの冴えたやり方――かどうかはわからないが、護身を確信した輝臣は颯爽と風呂場へと向かうのであった。
「――て、感じだけど大丈夫か?」
輝臣は浴室の使い方をシャノンへと教える。
その間に湯船を溜めておき、もう十分に満たされていた。
「えーっと、はい。なんとか……」
彼女の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいたが輝臣は気にしないようにした。
(まあ実際に使ってみればわかってくるだろ)
「風呂は別に急がなくていいぞ」
「はい。ありがとうございます」
「それじゃ」
ぴしゃり。
輝臣は風呂場に面している洗面所の引き戸を閉めた。
そして、大きく息を吐く。
シャノンがここに来てから初めての別行動だ。今までの疲れが一気に出てしまう。
(やっと落ち着けるな……)
部屋の中央ではもう環が眠りかけて丸まっていた。輝臣が近くに座ると、環は芋虫のように身体を伸縮させて彼の膝に頭をのせて枕代わりにしてくる。
「あいー……」
「重いっての。ったく」
「……」
「すー……すー……」
ふたりだけの部屋はまるで水を打ったように静まり返っている。
壁に掛けてある時計の秒針の音が輝臣にはやけに響いて聞こえた。
このアパートの部屋はひとつしかない。そして、一枚のドアを隔てた向こう側では同い年の異性が今これから入浴しようしている。
こんなもの意識するなと言う方が無理というものだ。
落ち着けると言った彼だが、その感覚は限りなく研ぎ澄まされていた。
するり。
衣擦れの音に輝臣の肩が跳ねる。
(おいおいおいっ。落ち着け、俺! 壁の向こうであいつが風呂に入ってるからって何意識してんだよ! 相手はあれだぞ? 今日いきなり転がり込んできたわけのわからない女だぞ? いやでも普通にかわ――ておいやめろマジで!)
環のほっぺをツンツンして雑念を振り払おうとする。
「あいー……」
そのせいでなんだか寝苦しそうだった。
輝臣が考えるのをやめようとしたとき、それは起きた。
がらり。
不意に背後から戸が引かれる音がする。
「輝臣くん」
「はあ――?」
振り返った輝臣は目の前の光景に息を呑む。
なんとシャノンがいたのだ、しかも彼女は一糸まとわぬ姿だった。
なだらかな胸元。
ほっそりとくびれた腰回り。
そしてそして――…。
もう色々なものが無防備な状態でシャノンはそこに佇んでいた。
(………………)
「輝臣くん?」
彼女にもう一度呼ばれることで輝臣ははっと我に返る。
そして、慌てて顔を背けた。
「ちょ、おま、何してるんだ、ほんと!」
「はい。ですからお風呂に入ろうかと思いまして」
輝臣が今日一番の動揺を見せるのと対照的にシャノンはきょとんとしていた。
「だったら風呂場はあっちだ。さっき教えただろ!」
「それは教えてもらったんですが、誰が髪や身体を洗ってくれるのかと思いまして」
「はぁ?」
どうも会話がかみ合わない。
「「……?」」
輝臣とシャノンが鏡写しのように傾げる。
(もしかして――)
輝臣は浮かんできた疑問を投げかけてみる。
「あんたひとりで風呂に入ったことないのか?」
「はい。お風呂ってお付きの方と入るものじゃないんですか?」
ここに来てまさかの世間知らず炸裂だった。
(マジかよ……ものを知らないって限度があるだろ)
「えーっと、なんて言ったらいいんだ? てか、どこから説明する? あーくそっ。マジで面倒くせーな」
「輝臣くん。もしかしてまたわたし何かやってしまいましたか?」
「だ、だ、だ、だからこっち来るなって」
ずいずいっと寄ってこようとしたシャノンを慌てて制止する。
「どうしたんですか? 顔が赤いように見えますけど」
「そりゃ素っ裸でいきなり出てこられたら誰でもこうなるわ! あんたも恥ずかしくないのか」
「恥ずかしい? 何がでしょうか」
「だから今の姿だよ!」
「……?」
シャノンが小首を傾げる。
付き人と風呂に入ることが当たり前だったからだろうか、彼女は本当に今の姿でも羞恥心を抱いていないらしい。
輝臣は大きくため息を吐く。
(本当に何も知らないんだな。別にこいつのせいじゃないんだろうけど……)
そして、少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。
「今はわからないかもしれないけどさ。目のやり場に困るからとりあえずバスタオル巻くなりしてもらっていいか?」
「は、はぁ」
彼女はそそくさと洗面所へと戻り、用意していたバスタオルを体に巻く。これでもまだ刺激的なことには変わりないが、先ほどまでと比べたらまだましと言える。
「す、すみません、勉強不足で。裸は皆さん困るんですね。お目汚し申し訳ありませんでした」
「いや、別にお目汚しってわけじゃ――」
先ほどの彼女の姿が脳裏に蘇る。
(くそっ。思い出すなって)
それをかき消すように頭を振った。
何も知らない彼女に欲情することは輝臣の性分が許さなかったのだ。
「それでですね、輝臣くん。わたしの知ってるお風呂の入り方ってちょっと特殊だったんですよね。わたし今日はひとりで頑張ってみたいと思いますっ」
そう意気込んで見せるシャノンだがやはりどこか不安そうではある。まあ彼女からしたらどこがわからないかわからない、というような状況だ。無理もないだろう。
(どうしたもんかな)
ふと、自分の膝で寝ているそれを見つけ、輝臣が閃く。
「お、そうだ。起きろ、環っ」
「あいー……どうしたのテルくん」
眠そうに目を擦っている環。
「お前もうひとりでも風呂に入れるよな。悪いんだけど風呂の入り方をこいつに教えてやってくれ」
「たまきがおしえるの?」
「おう。お前は風呂の先生だ」
「せんせー! たまきやる!」
先ほどまで眠そうにしていた環の眼光が鋭く光る。
そしてすっくと立ちあがると、後ろ手に組んでゆっくり歩を進める。
「ノンちゃん。たまき、せんせーになっておふろの“ごくい”おしえる」
「は、はいっ。たまちゃん先生よろしくお願いします」
「たまきのおしえ、きびしいがついてこれるか」
「はいっ。不肖シャノン励ませていただきます」
わいわいとしながらふたりは風呂場へと消えていった。
それを見送ってから輝臣は大の字に寝転がる。
「あ――……マジで今までで一番焦ったわ」
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