第28話 『真なる森の王』と『琥珀の王』

魔物モンスターになっちゃった……!」


 マリナが太刀を構えながら、すっかり変わってしまったイルウェンを見据える。

 驚くのは無理もない。

 長身とはいえ痩躯だったあのエルフ男は、いまや巨大な狼の姿へと変貌していた。

 いや、狼の形をした樹というべきか。

 まるでステンドグラスのように複数種の植生でもって、狼の形をなしているのだ。


 さらに、そんなイルウェンに呼応するように【深淵の扉アビスゲート】からは嫌な気配が漏れ出ている。

 イルウェンが王であれば、あそこから這い出てくるのは彼が率いるべき軍勢であろう。


「でかすぎるっす」

「こんなの、どうしたらいいのよ」


 ネネとジェミーが『真なる森の王』を見上げて、そう漏らす。

 俺とて、このような巨大魔物モンスターと対峙するのは初めてとなる。

 なにせ、『無色の闇』の最奥に封じられていた朽ちた竜よりもさらに巨体なのだ。


 だが、ここでこれを止められるのは俺達だけで……怯んだところで逃げられるとも思えない。

 ここを突破せねば、【深淵の扉アビスゲート】の扉を閉めることもかなわないのだから。


「マリナ、ネネ! すまないが近接で足止めを!」

「うん!」

「了解っす!」


 少し腰が引けていた二人だったが、俺の言葉に力強くうなずいて得物を構える。


「レインとジェミーは二人のサポートを頼む」

「ん」

「わかったわ!」


 レインとジェミーは俺が指示するまでもなくいくつかの魔法をすでに準備し始めていた。

 本来、サポートとフォローは俺の役目だが……いまの俺には、やるべきことがある。


「シルク、君は……」

「わかっています。繋がって、ますから」


 俺の手を握り締めて、シルクが微笑む。

 お互いに琥珀に輝く瞳を交えさせて、頷き合う。


「撃破は狙わなくていい。時間稼ぎと安全優先で頼む!」

「秘策ありってことね? わかった! マリナ、行きますッ!」


 背中越しに頷いたマリナが、太刀を鞘に納めて勇ましく飛び出していく。

 教え子だった時から、まったく変わらない躊躇いのなさ。

 しかし、今の彼女には確固たる実力が備わっている。


「ま、落とせそうなら落としてくるっす」

「無茶は禁止だぞ、ネネ?」

「いまから無茶しますって顔に書いてある人が言う事っすかね?」


 そんな軽口を叩きながら、かき消えるように跳躍するネネ。

 伝説の忍者グレイハーミッツに鍛えられた彼女のことだ、心配するだけ野暮かもしれないが……俺にとって大切な女性ひとだというのは変わらない。

 彼女の無茶が現実にならぬうちに、俺の無茶を完遂させよう。


「ユーク、あんたね……あとで、説教だからね?」

「まだ何もやってないだろ」

「やるって宣言してるようなもんでしょ。……死なないでよ。まだ、全然返しきれてないだから」


 そう目を逸らしながら攻撃魔法の多重詠唱を始めるジェミーに、苦笑して返す。

 お互いに言い出したらキリがないいつもの話題。

 だからこそ、この先もずっと言い合っていたいと、ジェミーは伝えたかったのかもしれない。


「いつもの、こと。だいじょぶ、ボクが、ついてる」

「ありがとう、レイン」

「それに、ボクなら、。覚悟は、同じ」

「……無茶しないでくれよ?」

「それ、ユークが、言う?」


 くすくすと笑ったレインが背伸びして俺に抱きつく。

 相変わらず、俺を甘やかすのが得意だ。

 離れたレインが、杖を掲げて息を吸い込む。


「全力で、る。任せて、おいて」

「ああ。こっちも任せてくれ」


 そう返事をして、シルクに向き直る。


「それじゃあ、やろうか」

「はい。お任せください、先生」


 いつものシルクに、思わず苦笑が漏れる。


「先生?」

「それだよ、シルク。俺はいつまで『先生』なんだ?」

「え、あの……つい。わたくしにとっての先生はユークさんだけなので」

「君の片葉だっていうのに、どうにも締まらないな」

「……!」


 シルクが少し赤くなって目を逸らす。

 長い耳を細かに動かして、照れる仕草は相変わらずの可愛らしさだ。


「意地悪を言わないでください。ユーク」

「それでいい。せめて今だけでも……俺達は双葉として在ろう」

「いいえ、わたくしはいつまでもあなただけのものですよ、ユーク」


 お互い笑い合って、手を触れあわせる。

 静かにお互いを溶け合わせて、同調させていく。

 これがどれほど危険なことか、俺もシルクも理解しているが、これが最善手……これしか、方法がない。


 二人で声を合せて、旧い秘密の言葉を詠う。

『琥珀』に秘められた、ダークエルフ達の故郷の歌と祈りを。

 世界樹の真なる管理者のみが知る、封じられた始まりと終わりのキーワードを。


「Esiteks on valgus. Valguskuur soojeneb. Tuul puhub pärast põlemist. Tuul puhub pilvedesse. Pilved on paksenenud ja sajab. Vihm toidab maad. Seemnete idanemine……」


 まるで知らない言葉なのに、懐かしさを感じる。

 シルクと同調しているからだろうか。


「Tihe, kaetud, levinud. Koos, hõõruda, kukkuda. Kõik on ringis. Kõik läheb vooluga kaasa. Elame koos, sureme koos. Armastage koos, puudutage koos. Et naasta kõikidesse kohtadesse, mis peaksid olema varsti──!」


 シルクの紡ぐ精霊の力と俺が練る魔力マナとが、一つになって円環を成す。

 それが流れるように回転し……やがて、螺旋へと変じて一点に収束した。

 空間そのものを捻じってこよったような不思議な感覚と共に、何かが姿を現す。


「これ、は……」


 うっすらと輝きながらゆっくりと降りてくるそれは……琥珀の結晶だった。

 滑らかに磨かれた楕円形のそれは、握り拳より少し小さいくらい。

しかし、肌が引き攣るような存在感を俺達に浴びせる力の塊──つまり……手のひらサイズの〝淘汰〟であった。


 それを手にしたシルクがゆっくりと俺に跪いて、琥珀を差し出しながら恭しく口を開く。


「──琥珀の王よ。選択をあなたに」


 輝く琥珀を手に、俺は荒ぶる『真なる森の王』を静かに見つめた。

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