第9話 認知と不安


「イルウェン殿……!」


 エルラン長老の向ける視線に気づいたのか、相変わらず芝居がかった様子で恭しく礼の態勢をとるイルウェン。

 しかし、その視線はシルクにじっと向けられていた。


「エルラン殿、その不届き者をすぐに捕えましょう」

「それよりも聞きたいことがある。フェルディオ卿を無拘束したというのは本当かね?」

「その人族は我らが琥珀の森を荒らすつもりです」


 返答にならない返答を返すイルウェン。

 しかし……いけしゃあしゃあと、よくもそんなことを口にできたものだと呆れてしまった。

 この男のいけ好かなさの正体は、やはり幼馴染──サイモンに似た立ち居振る舞いだろう。

 自分に都合のいい解釈や嘘を、まるで事実のように口にする様などそっくりだ。


「イルウェン殿、勝手なふるまいをされるなと何度も申したはずじゃぞ」

「僕は憂いているのです。シルクの片葉として、次期族長としてね」


 舞台役者の様に両手を広げ、講釈を垂れるイルウェンに、エルラン長老が首を振って応える。


「今は見極めの時期であるとも言ったはずじゃぞ? それにの、西の森の申し出は今しがた固辞する運びとなった」

「んな……ッ!?」


 目を見開いたイルウェンが、ゆっくりとエルラン長老と俺達を見る。


「どういうことです? これは、我らエルフの結束を──」

「それは別の形で考えるとしよう。あなたがしでかしたことも踏まえての」


 エルラン長老の視線が鋭くなる。

 どうやら、俺の高速はイルウェンによる勇み足であったようだ。

 そして、それは随分と彼の立場を悪くしたらしい。


「お爺様、それよりも今は……」

「うむ。ゆくぞ、シルク。フェルディオ卿もついて来られるとよい。イルウェン殿は、しばし自室にて慎みを持たれよ」


 歩きだすエルラン長老の後に、シルクと共に続く。

 こぶしを握り締めたままうつむく、イルウェンをその場に残して。


 ◆


 屋敷に入った俺達は、長老の後に続いて歩く。


「まず、儂らの情報共有から始めるとしようぞ」


 やや奥まった部屋で、俺に椅子をすすめたエルラン長老がそう切り出した。

 部屋にはヴィルムレン島の地図や、見たことのない道具──おそらく魔法道具アーティファクトが置かれている。

 部屋の雰囲気からさっするに、ここはおそらく長老のプライベートな空間だろう。


「精霊たちの乱れ、それとこの気配は大陸各地で『反転迷宮テネブレ』が出現した時の状況と類似しています」

「『反転迷宮テネブレ』……ビンセント王の書簡にもあった迷宮の暴走じゃな?」

「はい。あの時は【深淵の扉アビスゲート】が他世界からの〝淘汰〟と結びつき、この世界のバランスを崩していました。同様の事案がヴィルムレン島でも起きている可能性があります」


 俺の言葉に、エルラン長老が目を細めて頷く。

 やはり何かしら掴んでいるようだ。


「〝淘汰〟か。なるほど、お主ら人間の観測と解釈ではそうなるのじゃろうな」

「俺の認識は、何か間違っているでしょうか?」

「そうさの。斯様に言うと誤解を招くかもしれぬが……儂らダークエルフも〝淘汰〟に由来しておると、お主は信じられるか?」


 老エルフの言葉に、俺は首を傾げつつ思考を加速させる。

 まず〝淘汰〟の認識について、整理する必要があるのかもしれない。


 ──〝淘汰〟。


 この世界を破滅に導く、異世界からの脅威。

 外界からもたらされる、認知外のルール。

 その多くは、迷宮ダンジョンから俺達の世界に解き放たれる。

 全ての迷宮ダンジョンが、『透明の闇』に繋がっているが故に。


 『無色の闇』最奥に封じられた、〝淘汰〟の竜。

 黄昏の城『グラッド=シィ・イム』の出現。

 そして、それらに端を発した『反転迷宮テネブレ』の出現。


 どれもが、この世界の平和を脅かす危機だった。

 そんな〝淘汰〟にこの世界が由来しているとは、どういう事だろうか?


 長考する俺の意識を、シルクの声が呼び戻す。


「どういう意味なのですか? お爺様。〝淘汰〟とわたくし達ダークエルフにどのようなつながりがあるというのです?」

「儂らもまた、外からこの世界に流れ着いた〝淘汰〟であったということじゃ」


 シルクと二人、驚いて言葉を失う。

 この言葉をどのように理解すればいいのか、わからない。

 固まる俺達に、エルラン長老は続ける。


「この世界は、薄氷うすこおりの上にある積み木のようなものなのじゃよ」

「それは、どういう……」

「お主らも冒険者なら、見たことがあるのではないか? この世界ではない文明の残滓を」


 そう言われて思い浮かんだのは、『クローバー』を結成して間もないころに潜った『アイオーン遺跡迷宮』の情景だった。

 特異な形状の迷宮のあちこちに、解読不明な文字がそこらかしこに見受けられるあの古代遺跡。

 研究者すら頭を抱えるあの遺跡の複雑な文字群は、俺達の歴史のどの次代ともマッチしない……という話を聞いたことがある。


「あるかも、しれません」

「この世界は、いくつもの〝淘汰〟を越えつつもそれらを飲み込んで形成された世界なのじゃよ。お主ら人族も、ややもすればその一つだったのかもしれぬほどにな」


 いよいよ思考が追いつかない。

 こんな世界の真実など、俺には些か荷が重すぎる。


「言ったじゃろう? 長く生きておると、知ってはならぬことも知ってしまうとな」


 目を伏せて小さく笑うエルラン長老が、地図の一か所を指さす。

 琥珀の森が簡易に描かれた森の中心、大きな木のマークがある場所だ。


「はるか昔……我ら琥珀の森の民──ダークエルフは、この『世界樹』を使ってこの世界に来た。世界のバランスを崩し、大きな争いの火種ともなった。この世界にとってはまさに〝淘汰〟であったのじゃよ、我々は」

「今は違います」


 俺の言葉に、エルラン老が少し驚いた表情で顔をあげた。

 そして、どこかシルクに似た笑みを浮かべて小さくうなずく。


「シルクよ」

「は、はい」

「お主がこの男を好く理由わけが少しばかり理解できた。人族にも、いろいろおるのじゃな……」

「ユークさんは、こういう人ですから」


 ダークエルフが二人、頷き合って小さく笑い合う。

 昨日は険悪な空気だった二人がこうして笑い合うことに心の中でほっとするが、今度は何かおかしなことを言っただろうかと不安にもなる。


「さて、ここからが本題じゃ。この異変についてのな」


 穏やかな雰囲気を切り替えて、エルラン長老が視線を鋭くする。


「おそらく、再び我ら『琥珀の森氏族』のダークエルフは……〝淘汰〟に変じるかもしれぬ」

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