第8話 長老と語れぬ秘密

「フェルディオ卿、今お主にかかずらっている時間はない」

「お爺様、そんな言い方は……!」


 予想通りエルラン長老の態度はにべもないものだった。

 突然の異変とその対応に追われる立場であれば、それも仕方ないだろう。


「エルラン長老。いま起きている事態とこれから起こることについて、俺達はそれなりに知識があるつもりです」


 一国の王に口を出すようなものであれば、不敬だということも理解はしている。

 さりとて、ここで何もしないでは俺の道義にもとる。


「先生のお話を聞いてください、お爺様。わたくしは──わたくし達は、この異変について覚えがあります」


 シルクの言葉に、エルラン長老がじっと黙って言葉を待つ。

 ようやく話ができると察した俺は、本題を切り出した。


「エルラン長老……【深淵の扉アビスゲート】が、『透明な闇』に通づる道が、この島にあるんですね?」

「……」

「俺はこの異世界の空気に少しばかり敏感な性質なんです。今は精霊の乱れという形ですが、やがてこれが大きな歪みとなることをあなたもわかっているはずです」


 エルラン長老が小さくため息を吐き出して、ゆっくりと頷く。

 それはどこか諦めた風でもあり、決心したようでもあった。


「確かに、このヴィルムレン島には【深淵の扉アビスゲート】が在る。琥珀の森の奥深く、禁足地とされた場所にそこに至る迷宮ダンジョンが存在しておる」


 予想していたこととはいえ、こうして知らされるとやはり恐怖に似た不安がぞわりと這い上がってくる。

 あれの危険性は、十二分に理解している。いや、させられた。

 ……ほんの数か月前、大きな犠牲を伴って。


「数か月前、突然に封が解け活性化したのじゃよ。お主らが大陸の扉に挑んだ時期を同じくしてな」

「やはりこちらにも余波が……」

「じゃが、それに関しては儂が大精霊らの力を借りて抑え込んだ。この琥珀の森にある『世界樹』は我ら琥珀氏族と強く同期しておる故な」


 ──『世界樹』。


 その言葉に、俺は思わず息をのんだ。

 死者をよみがえらせる実を成らせ、万病を癒す霊薬となる葉を茂らせるという伝説の大樹の名である。

 それが、このヴィルムレン島にあるというのだ。


「お爺様、それは本当なのですが……?」

「いまさら隠し立てはすまい。シルクが戻ってきたことは、まさにこの地にとって僥倖であったよ。お前は〝琥珀の瞳〟を持つ、この森の愛し子なのだから」


 俺にとって理解の及ばない言葉がエルラン長老の口から発される。

 〝琥珀の瞳〟についてはシルクが時折見せる特異体質のことを指すだろうことは容易に想像がついたものの、それと『この森の愛し子』についての関係性がわからない。

 そして、それはシルクも同じだったようだ。


「わたくしと琥珀の森にどんな関係があるというのですか……!?」

「それを教える前に、出奔したのはお主なのじゃがな? シルク」


 苦言を口にするエルラン長老に、シルクが目を逸らす。

 その仕草はどこか、悪戯を見とがめられた子供のようでしっかりした彼女が子供に見えた。


「長老筋の血族には、〝琥珀の瞳〟を持つ者がときおり生まれる。儂もそうじゃ。その力については、自分でよくわかっておるじゃろう?」

「はい」


 精霊交信の高速同期、交信可能な精霊数増加、そして交信深度。

 俺がシルクから教えてもらった〝琥珀の瞳〟の力はこんなところで、彼女曰く「まるで環境マナと同化して精霊になったような感覚」になるらしい。

 だが、もしかするとそれ以上の意味があるのかもしれない。


「これ以上は口にできぬ、部外者がおる故な」

「先生──ユークさんは、部外者ではありません。わたくしの家族で、大切な男性ひとです」

「人の生は短い。その様な者にお主を任せておけぬ」


 昨日合った時のような苛烈さはなりを潜め、エルラン長老はどこか諭すような口調でシルクの肩に触れる。

 その手に自分の手を重ねて、シルクは首を横に振った。


「いいえ、お爺様。ユークさんは、わたくしの何もかもをおまかせした人です。彼と共に在ると、誓いました。それは、ユークさんが生涯を終えられた後も変わりません」

「……」


 シルクの言葉に、しばし沈黙するエルラン長老。

 表情は変わらないが、葛藤があるのは手に取るようにわかった。

 彼もまた、シルクを心の底から大切に思っているのだ。


「ユーク・フェルディオ」

「はい」

「お主は、シルクに相応しいか?」


 突然の問いに、心臓が跳ね上がる。

 どう答えるべきが、慎重に考えねばならない。

 ならないのだが、あっさりと俺は答えを口にした。


「シルクにそう乞われるのなら」


 俺が相応しいかどうかなど、わかりはしない。

 〝勇者〟だの〝赤魔道士ウォーロック〟などと言われるが、それだって俺が名乗るものではない。

 俺の評価は、俺自身でなく……俺が愛する人が決めればいい。

 そして、俺はそれに応えてみせる。


「……はぁ、食えぬ奴よの。じゃが、ここはよしとしよう」

「お爺様!」


 シルクが、長身のエルラン長老に抱きつく。

 そんなシルクを見るエルラン長老の顔には、穏やかな笑みがあった。

 俺のことを認めたというわけではないだろう。

 ただ、シルクを信じたのだ。この御仁は。


 それに応えるべく、俺は膝をついて頭を下げる。


「フェルディオ卿……孫娘の見込んだ男じゃ、あてにさせてもらう。勲を立て、シルクに相応しき者であると証明せよ」

「……はい!」


 返事する俺の手をとって、シルクが俺を立ち上がらせる。

 その顔は嬉しさと少しばかりの恥ずかしさが入り混じった、年相応の少女の顔をしていた。


 ……ああ、そうか。

 俺は今、シルクの育て親に「娘さんをください」と啖呵を切ったのだ。

 そう思うと、顔が熱くなってしまった。


「……早速ですが、私からの書状を受け取っていただけましたか?」

「書状?」

「イルウェン殿に閉じ込められる直前に手渡したのですが……」


 俺の言葉を聞いて、エルラン長老が眉根にを寄せた。


「閉じ込められた、じゃと?」

「はい。エルラン長老もご存じのことかと……」

「……見つけたよ、シルク!」


 長老の表情が険しくなる中、当の本人が俺達の目の前に姿を現した。


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