第7話 救出と異変
「ユーク? いる?」
何とか暗黒魔法を使わずにこの『木の牢獄』から抜け出せやしないかと四苦八苦して数刻……いよいよ、もう手段がないと呪いの力を指先に集め始めた頃。
外からそんな声が聞こえてきた。
「マリナ?」
「あ、やっぱりここだった! ちょっと離れててね」
言葉が終わった矢先、ほとんど間髪入れずに鼻先を何か鋭いものが掠めた。
壁が鮮やかにスライスされてから、それがマリナの太刀であったと理解する。
「迎えに来たよ、ユーク」
「どうしてここに?」
「シルクがね、きっとトラブルに巻き込まれたんだろうって。それで、ネネと一緒に助けに来たんだ」
太刀を鞘に戻しながら、マリナがにこりと笑う。
その背後には、同じくほっとした様子のネネ。
「ありがとう。それと、すまない……心配をかけたな」
「もう、すっごく心配したんだから! ランチだって食べてないし!」
「悪かったよ」
それは食いしん坊のマリナにとってなかなか大事だ。
頬を膨らませるマリナの髪に触れて、苦笑を返す。
「シルクは?」
「お爺さんのところに行ってくるってさ」
「……そうか」
エルラン長老の元に向かったと言うなら、そばにイルウェンもいるはずだ。
あの男の強いこだわりを見ると、些かシルクが心配になる。
今すぐ、長老邸に足を向けるべきだろうか……と考えた瞬間、首筋がチリリとした反応を俺に伝えた。
「これ、は……!」
思わず首筋──ペルセポネの接吻跡に手を触れる。
その様子に、ネネが小さくうなずいた。
「やっぱり、っすね。ユークさんが拘束されている間にちょっとした異変があったっす」
「この感触、異界のものか?」
木の中に囚われている時は感じなかった。
おそらく、イルウェンの強力な精霊魔法によって形成されたこの部屋は、ずいぶんと外界の気配を遮ってくれたようだ。
「その可能性が大きいっす。シルクさんや数人の住民は『精霊の流れが歪んでいる』と」
精霊は世界の在り様に強く影響される。
この世界の
そして、『透明な闇』の濃い部分では、
あの透き通った混沌は、この世界ではないから。
たった数時間で事態が動き過ぎに思える。
例え、あの書状を直接エルラン長老に渡せていたとして、この状況には対応できなかっただろう。
「レインとジェミーは?」
「持ってきた計測用
さすが、と心の中で仲間たちに称賛を送る。
ジェミーはともかく、もうみんなを駆け出しだと侮ることはできないな。
「俺はこのままエルラン長老のところに向かってシルクと合流する。二人は戻ってレインたちのサポートを」
「了解っす。私は周辺の様子を探ってくるっす」
「あたしは準備、しとくね?」
マリナの言葉に、一瞬考えてから頷いて返す。
「ああ、頼む」
これがどこまでの事態なのかはわからない。
だが、少なくとも異常であることは確かなのだ。
『琥珀の森』を治めるエルラン長老の対応がどういうものになるかはわからないが、俺達は冒険者としていつでも動けるようにしておく必要がある。
「それじゃあ、行ってくるっす!」
ネネが静やかに跳躍して姿を消す。
猫人族である彼女にとって、森は動きやすいフィールドなのだろう。
おそらく、何か情報を持ち帰ってくれるはずだ。
「それじゃあ、あたしも行くね。お屋敷の壁と、このお家を斬っちゃったの、謝っといて」
小さく舌を出して、マリナも駆けていく。
どうやって侵入したのかと思えば、なるほど。壁ごと切って抜けたか。
エルラン長老にはどやされるだろうが、今は俺がすべきことをしよう。
「よし、いくか」
気合を入れる代わりに独り言ちて、俺はエルラン長老がいるであろう屋敷に向かって歩き始めた。
◆
「先生!」
混乱するダークエルフの達が忙しそうに走り回る中、屋敷の大扉が見えてきたところで俺はシルクと合流することができた。
そばには、あのいけ好かないエルフの姿もある。
「フェルディオ卿? どうやって……」
「それについては、説明を省かせていただく。それよりも、まずはその手を離してもらおうか」
シルクを背に庇うようにして二人の間に体をねじ込み、彼女の肩を掴んでいたイルウェンの手を振り払う。
それが心底気に入らなかったのか、エルフらしからぬ目つきで俺を睨むイルウェン。
「邪魔をしないでもらえるかな?」
芝居がかった口調のエルフ男を無視して、俺は背後のシルクに問いかける。
「状況は?」
「よくわかりません。ただ、よくないのは確かです」
「エルラン長老には?」
「この人に足止めされて、まだ……」
「よし、なら今から二人で行こう。緊急事態だ、無礼講にしていただこう」
シルクが「はい」と頷いて、俺の隣へと並ぶ。
そんな俺達の行く手をイルウェンが阻んだ。
「待っていただこうか」
「あなたには関係ないことです。イルウェン・パールウッド」
はっきりとした口調でシルクにそう告げられ、一瞬たじろいだイルウェンだったがすぐに笑顔を張り付かせる。
「僕は次期族長の立場として君達を行かせるわけにはいかないな。特に、そこの人族は論外だ」
「西のライトエルフが、出しゃばらないでください」
「……ッ。僕はこの『琥珀の森氏族』の次期族長だよ?」
「今はただの客分でしょう。それに、わたくしはあなたと双葉にはなりません」
シルクの返答に、イルウェンの顔から少しずつ余裕が消えていく。
本人にこうも拒まれるとは、思っていなかったのかもしれない。
「あなたとの問答に益はありません。これは『琥珀の森氏族』の問題ですから」
「なら、その人族は──」
「先生は、わたくしの大切な人です。あなたのような他人ではありません」
ぴしゃりと言われて、いよいよイルウェンの顔が歪む。
その表情は、どこか癇癪を起したときの幼馴染の顔に似ていた。
「どうして君は……ッ」
「埒があきませんね。行きましょう、先生」
「あ、ああ」
口を挟めずにいた俺の手をシルクが引く。
その手に導かれるまま、俺はイルウェンの隣をそのまま通り過ぎた。
「急ぎましょう、先生。手遅れになる前に」
「あいつ、あのままでいいのか?」
「いいんですよ。わたくしには先生がいますから」
握る手に力を込めて、シルクが小さく笑う。
突然現れた
「期待に応えられるように頑張るよ」
「先生はいつだって期待以上ですよ。お爺様も、あの人もそれがわかってないんです」
シルクの重い期待に少し苦笑を漏らしつつも、彼女に相応しい者にならねばならないと気を引き締める。
少なくとも、
「……もしかして、わたくしったら重かったです?」
黙りこくった俺に、シルクが小さく首をかしげる。
そんな彼女に軽く笑いながら、俺は「いいや」と返事する。
「そんな風に君が言ってくれるから、やれる気がするんだよ。俺はさ」
俺の言葉に顔を赤くするシルクの手を握り返して、今度は俺が手を引いて長老屋敷へと二人で向かった。
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