第4部
第1話 故郷と婚約者
「ならぬ」
緊張した空気の中、エルフの長が先ほどと同じ言葉を口にする。
「ですが、お爺様……!」
「森を黙って出たことはよい。興味を持て余した若いエルフであれば、一度は考えるものだ。特におぬしは『
そこまで口にして、「じゃがな」とエルフの長はシルクと、俺を見据える。
「人族の国の王に仕えるなど、到底許せるものではない」
「あくまで形式的にです。わたくしが人族の所有物になるわけではありません」
「形式上であっても、じゃ。己が立場をわきまえよ、シルク。しかも、番の葉となるのが、人族の男というのも許さぬ。おぬしは我ら『
「そんなこと、関係ないでしょう!?」
さて、どうしたものかと俺──ユーク・フェルディオは考える。
歓迎されていないのは承知していたが、まさかここまで頑なだとは。
シルクが帰郷をしたがらないわけが理解できた。
「お爺様は頑固すぎます!」
「落ち着け、シルク」
まあ、どちらかというと俺も同じ気持ちだが。
さりとて、エルフ氏族の長老筋であれば、俺達で言うところの王族と変わらない。
言うなれば一国のお姫様が、形式上とはいえ他国の人的資産になるというのだ。
それに納得いかないというのもわからないでもない。
──二週間前。
それに関して、シルクは「別に構わないんじゃないですか?」なんて軽い様子で言っていたが、出身が出身だけに筋を通すべきだろう──と、いう王の意向に従って、俺達は彼女の故郷である『ヴィルムレン島』に向かう事となったのだ。
それで、俺は『クローバー』のリーダー兼ウェルメリア王国特使としてシルクの祖父であるエルラン長老に謁見することになったのだが……この調子である。
この言い争いだって、俺が挨拶する前に長老の小言にシルクが押収する形で始まってしまった。
王の書状もまだ鞄の中だというのに、どうにも関係の悪化が先走っている気がする。
「シルクよ、いつになれば長老筋としての自覚を持つようになるのじゃ?」
「お爺様の頭が固すぎるのです。掟と伝統ばかりに縛られて。世界が大変だったことも知らないんでしょう?」
二人の気配がいよいよ危なくなったので、思わず俺は口を開く。
放っておくと、今にもつかみ合いを始めそうだ。
「『
「人族の若造よ、我らに悠久の時間があるとしてもおぬしに割く時間は少ない。手短に頼もう」
あからさまな敵意がこもった口調にシルクがまた眉を吊り上げるが、それを小さく目配せして制し、俺は鞄から書状を取り出す。
ウェルメリア王国の刻印が入った、正式な書状だ。
「我が王、ビンセント5世よりの言伝にございます」
エルフの礼節作法について詳しく知っているわけではないが、俺はその場で片膝をつき両手で書状を差し出す。
それを渋々といった様子で黙って受け取ったエルラン長老が、躊躇なく書状をその場で開いた。
彼が書状に目を走らせる様子を、俺は軽く胃を痛くしながらしばし待つ。
なにせ、その内容について俺は何も知らないのだ。
どんな反応が返ってくるのか、予想できない。
「ふむ。おぬしの仕える王の言葉については理解した」
「ありがとうございます」
幾分、言葉にとげとげしさがなくなった長老に少しほっとする。
いかなる内容かはわからないが、何かしらうまくいくような事が記されていたのかもしれない。
「シルク」
「は、はい」
「おぬしが成したことが、我ら琥珀の森氏族だけでなく、エルフ全体の益となることであったということが示されておった。それについては、善きことをしたと褒めることができよう」
エルラン長老の言葉に、シルクの顔に喜色が灯る。
しかし、続いて「じゃが──」と長老は言葉を継ぐ。
「やはり、この『えーらんく』とやらを認めるわけにはいかぬ。この男と『番の葉』となることもな」
長老の言葉は、俺にとってもシルクにとっても些かショックの大きいものだった。
俺にとってシルクは、もはや離れがたいパートナーである。
きっと、シルクも同じ思いのはずだ。
それをこのように否定されてしまっては、さすがに気落ちもするというものだ。
「わかりました、お爺様」
「ようやくわかってくれたか、シルクよ」
「はい。話しても無駄ということを、よく理解しました」
先ほどの怒気とは違う、どこか殺気じみた冷たい雰囲気を伴ってシルクが立ち上がる。
あまり家族に向けるようなものではないそれを撒き散らしながら、シルクが俺に向き直った。
「それでは、フィニスに帰りましょう。やはり、無駄だったようです」
「おいおい、シルク。短気を起こすな」
「あら、わたくし……気は長い方なんですよ?」
そうは言うが、君ったらどう見ても怒っているだろ?
俺としても色々予想外で言いたいことだってあるが、さすがにこのままこの場を辞するというのは国の使節としてどうなんだという気持ちがある。
「シルク。おぬしには、ここに残ってもらう」
「な……ッ」
驚くシルクに長老が小さく首を振る。
「もうよいじゃろう? 黙って島を出奔したと思えば、冒険者などという危険な仕事をし、あまつさえ人族の男と『番の葉』になるなどと世迷言を言い出す。おぬしには、まるで自覚が足りぬ。自分の立場も、成すべきことも。もはや幼子でもあるまいに」
「自分のことは自分で決めます! 生き方も、成すべきことも、誰を愛するかも!」
シルクが珍しく大声を出す。
だが、それを受け止めてなお、エルラン長老は「ならぬ」と首を振る。
「おぬしはな、シルク。我ら『
「横暴です!」
「そのようなことは己が責任を果たしてから言うものじゃ」
強硬な態度に、さすがに俺も口を開く。
「エルラン長老、シルクはシルクです。一人の人間として扱ってください」
「王国の代表として来ているのじゃろう? 勇者殿。内政干渉ではないのかね?」
さすがは何百年と生きるダークエルフの長老だ。迫力が違う。
さりとて、ここで退いてはシルクの隣に立つ資格はない。
「いまは、シルクの仲間として──そして、彼女のパートナーとしてここにいます」
「ならば儂はこの森のエルフ全てを束ねる長としてここにおる。エルフにはエルフの掟があり、使命がある。長老の血族ともなれば多くの責任もな。おぬしはそれを否定するのかね?」
「否定など……」
「では、忘れることじゃ。本来、この不肖の孫はこの森の次代を担うべき立場にある。君は……この先の百年、二百年と続く『
長老の言葉に、思わず詰まる。
エルフと人間では、寿命がまるで違うのだ。
ただの人間である俺は、あと五十年もすれば青白き不死者王のおわす灰色の野へ下ることになるだろう。
だからと言って、シルクの手をここで放すわけなどないが。
「話は終わったかな、エルラン殿」
俺が口を開こうとしたその瞬間──謁見場の扉をノックもなしに押し開けて、一人の男性エルフが入ってきた。
透き通るような白い肌に、碧い瞳、絹糸のような金髪。
『
「イルウェン殿。勝手に入ってきてもらっては困りますな」
「これは失礼。しかし、『番の葉』という言葉が聞こえてきてね? 少し聞き捨てならないと考えたわけだよ、私は」
イルウェンと呼ばれたエルフはそんなことを口にしながら、俺達の正面へと足を進める。
そして、覗き込むようにしてシルクの顔をまじまじと見つめた。
「なるほど、君が私の『番の葉』……花嫁というわけだね?」
「な……ッ!?」
「私はイルウェン。イルウェン・パールウッド。西の『
俺のことを無視したまま、見目美しい男エルフは信じられないことを口走って──にこりと笑った。
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