第52話 化物の正体と常識改変

 確かな手ごたえを感じて、俺は胸をなでおろす。


 得体の知れない化物ではあるが、生き物ではあるらしい。

 多少の魔法抵抗レジストを感じはしたが、アンデッドや魔法生物ほどではない。

 放ったいくつかの弱体魔法は正常に機能し、怪物の動きを止めることに成功していた。


 転倒したところに麻痺と毒を撃ち込まれたことで、化物はもがき苦しみ、口から血を吐き出している。

 さて、あれにどう止めを刺すかが問題だ。


 そう考えていると、化物は叫び声以外の何かを口にして……俺の弱体魔法を解除した。

 驚いてから、思わず舌打ちする。

 有意味語を口にしないことと姿から、低知能な魔物モンスターと判断したが、間違いだった。


 今のは間違いなく魔法だ。何か魔法を使って、俺の弱体魔法を打ち消した。

 僧侶の職能に在る者が祝詞によって対象者の悪疫を取り除くように、邪神あたりに乞い願って俺の魔法を解除したのかもしれない。


 判断が甘かった。アレは侮れない強敵だ。

 少なくとも、目の前の気味の悪い化物は魔法を使うタイプの魔物モンスターで、俺の弱体魔法を解除できるくらいにそれに精通している。

 あのおぞましい姿……おそらく、悪魔か魔神の類だろう。


 しかし、まずい。

 あれが邪神の使徒の類なら、僧侶と同じく傷も毒も即座に治癒されてしまう。

 赤魔道士の俺に、これを討伐する決定打がない。


 ──いや、一つだけあった。


 〈歪光彩の矢プリズミックミサイル〉であれば、あれを仕留めることができるはず。

 強力な複合呪毒となっているあの魔法は、通常の治癒魔法では解除できない。

 たとえ、邪神の使徒とてあれには耐えられないはずだ。


「ゥクゥィッ!!!!」


 またしても叫び声をあげる化物。

 なんて気味の悪い奴……! 

『グラッド・シィ=イム』でも、得体の知れない化物に遭遇したが、こいつはそれ以上だ。


 ──……待て。


 待て。待て。

 『グラッド・シィ=イム』……?


 何だ? 何かが引っかかる。

 俺は、何に引っかかりを感じている?


 『グラッド・シィ=イム』。

〝斜陽〟に冒された化物たち。

 影の人シャドウストーカー化を避けるために変質し、歪んだ人々。


 ああ、思考が濁る。

 なんなんだ、この違和感は。

 不安がはっきりしない。まるで答えのない禅問答をしているような気持ちだ。


「……!」


 頬に触れて、俺はそれに気付く。


 違和感がのではない。

 違和感がことが違和感なのだ。


 迷宮ダンジョン、特に『無色の闇』の中でいつも感じていた拒否感のような感覚が、いつのまにか失せている。

 いつも頬を疼かせていた、あの感覚がだ。

 それに気が付いてしまえば、現状に推測が立った。


「そうか、俺か。俺が──」


 そこまで口にして、目の前に佇む怪物を見る。

 奇妙なことに怪物は、俺をじっと見つめて近寄ってくることもしない。


「少し、待ってくれ」


 そう怪物に告げて、俺は自分の胸に手を当てる。

 こんな事をしていいのか、あるいはできるかどうかわかったものではないが、やるしかない。

 愚かなユーク・フェルディオは、過ちを犯したのだから。


「ぐぅッ……あ」


 自らに在る〝存在証痕スティグマタ〟の存在を認識して、そこにはびこる何かに意識を集中させていく。

 まるで自分の心臓をわし掴みにしたような苦しさを感じるが、これを緩めるわけにはいかない。

 こんな得体の知れないものが入り込んだばかりに、俺は判断を誤った。


「が……あっ……は」


 苦しみと痛みが全身を苛む。

 しかし、ようやく意識の指先が〝存在証痕スティグマタ〟に触れる。

 そして、そこに介在する何かにも。


 推測するに、あの時……〝存在証痕スティグマタ〟に頼ったあの瞬間に、迷宮ダンジョンがこぼしたあらぬ世界の『常識』に触れて、俺という存在は外世界にしてしまったのだ。


「……ぐっ、は。ぁ……!」


 息も絶え絶えになって膝をついたところで、ようやく〝存在証痕スティグマタ〟は元の俺を思い出してくれたようだ。

 頭のもやが晴れるような感覚と共に、俺は大量の黒い血を吐き出す。


「ユーク!」


 小さな足音が、こちらに近づいてくる。

 霞む目に見えるのは、空色の髪を揺らしながら駆け寄る愛しい人の姿。


「レイン。ごめん、俺は──」

「今は、しゃべっちゃ、ダメ。影の人シャドウストーカーに、なりかけてた」


 レインの服は血に汚れ、膝には擦りむいた傷痕がある。

 俺が容赦なく魔法を撃ち込んで彼女を転倒させ、毒と麻痺を浴びせた。

 たゆたう異世界の感覚に支配された俺は、認識を混濁させて……あろうことか、彼女を化物に見立てて傷つけたのだ。


「ごめん……ごめん、俺は、なんてことを」

「大丈夫。ボクったら、意外とできる女、なんだよ」


 俺の頭を抱きかかえて、そっと撫でてくれるレイン。


「でも、本当に、良かった。ユークが、影の人シャドウストーカーになっちゃったら、どうしようって……」


 いや、事実なっていたのだろう。

 あれこそが、自分の世界から裏返るということ。

 価値観も認識も何もかもが変わってしまって、正常が別なものへとすり替わる。


 ひどく恐ろしい体験だった。

 レインをレインだと認識できず、殺さなくてはならぬ敵と刷り込まれた。

 なるほど、影の人シャドウストーカーが俺達を積極的に殺そうとするわけだ。


 あのような憎悪を与えられれば、たとえ家族や隣人だって、世界だって滅ぼそうとするだろう。

 いま、それが世界に広がろうとしている。

 そんな事、絶対にあってはならない。


「みんなは無事だろうか?」

「わかんない。でも、ユークは、無事、だね?」


 涙をためたまま微笑むレインをそっと抱き寄せて、俺は「ああ」と頷いた。

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