第50話 再戦と記念日

 扉の先、静謐に包まれた広い円形闘技場のような空洞の奥。

 そこから、金属が軋むような音が小さく聞こえたかと思うと、そいつはゆっくりと姿を現した。


「……来るぞッ!」


 俺の声と同時にマリナとネネが飛び出す。

 それに合わせて、俺も動く。


「──〈麻痺パラライズ〉、〈鈍遅スロウ〉、〈猛毒ベノム〉、〈綻びコラプス〉、〈目眩ましブラインドネス〉……続けて〈重力グラビティ〉!」


 あの時の再現のように、俺は連続で弱体魔法を鋼鉄蟹スティールクラブに放つ。

 前回はこれに封殺された鋼鉄蟹スティールクラブであったが、今回はそうはいかなかった。


 よくよく見ると、その巨大な鋏が、甲羅の端が黒く染まっており、無機質な目は赤く光ってぎょろりとこちらを睥睨している。

 記憶から『ペインタル廃坑跡』が形成されたとはいえ、本質は最高難易度迷宮である『無色の闇』だということか。


 この鋼鉄蟹スティールクラブもまた影の獣が演じているという訳だ。

 どうせ化けるなら、戦闘力も模倣してくれればいいものを。


 だが、効いていないわけではない。

 動きは鈍くなり、巨大な鋏は緩慢となった。

 仕留めるのは、俺の仕事ではない。


「援護を!」


 シルクの声で、レインとジェミーが牽制の魔法を放つ。

 二筋の光輝が空を裂き、鋼鉄蟹スティールクラブの右鋏を直撃。跳ね上げる。

 さすが。威力、精度ともに申し分ない。


「足止めをかけます!」


 俺のすぐ横まぜ前進して、シルクが五本の属性矢を一気に引き絞る。

 一射で放たれたそれは別方向に飛翔し、鋼鉄蟹スティールクラブの目を焼き、関節を凍らせ、爪先を砕いた。


 冒険者予備研修の時から弓の腕は抜きんでていたが、ここまで来たら達人の域だ。

 少なくとも、俺は配信ですらこんな芸当を見たことがない。


 傷を負って興奮したか、さらに暴れる鋼鉄蟹スティールクラブの爪がマリナとネネに向かう。

 〈目眩ましブラインドネス〉が効いてるはずだが、別の感覚で捉えているのかもしれない。


「まずい! 〈硝子の盾グラスシールド〉!」


 破れかぶれのように振るわれた爪がマリナに迫る……が、直前でピタリと停止して

 塵のように崩れゆく爪には黄金色の光がちらついていた。


「これは……」

「ルンが〝お願い〟したの。ルンだって、みんなの役に立てるもん」

「助かった。だが、無理はしないでくれよ」

「うん!」


 〝黄金の巫女〟たるニーベルンは、その身に宿す〝一つの黄金〟の力……〈成就ウィッシュ〉の現実改変を自在に顕現させることができる。

 負担も大きく、何でも願いを叶えられるわけではないが、それでも彼女の〝お願い〟は強い力だ。

 できれば、〝配信〟で詳らかにするのは避けたかったが……今は、優しいニーベルンの想いを優先するべきだろう。


「シャァーッ」


 猫の威嚇のような声を上げて、ネネが小太刀を揮う。

 的確に脚の関節部を裂かれた鋼鉄蟹スティールクラブがぐらりと体勢を崩したタイミングを、マリナは見逃さなかった。


るッ!」


 背後にいる俺までぞわりと来るような研ぎ澄まされた殺気が一瞬マリナから放たれたかと思うと、次の瞬間……鋼鉄蟹スティールクラブが斜めにずるりと裂けた。

 そのまま静かに動きを止める鋼鉄蟹スティールクラブ


「……周辺、敵影なしっす!」


 ネネからの報告で、息を吐きだして脱力する。


「戦闘終了。みんな、損耗チェックを」

「魔力、だいじょぶ」

「アタシも問題なし」

「属性矢を五本使用。残数は各十本は保持しています」

「負傷なし! ルン、ありがとうね!」

「私も負傷なしっす」

「ルンもだいじょうぶ!」


 各々特に問題なし、と。

 袈裟懸けに真っ二つになった鋼鉄蟹スティールクラブを一瞥して、俺は心の中で小さくガッツポーズをとる。

 鋼鉄蟹スティールクラブは、たかだか低ランク迷宮ダンジョンの、しかも五階層のフロアボスだ。

 だが、思い描いたとおり『パーティでの討伐』がなったことに、俺は感慨を深めていた。


「どうした、の?」

「ちょっとな。いや……浮かれてる場合じゃないか」


 気を引き締め直して、暗闇の向こうを見る。

 まだ『無色の闇』は続くのだ。最深部まで何階層を降りる必要があるのかはわからないし、ここで気を抜くわけにはいかない。


「階段、発見っす」


 ボス部屋の奥を確認に向かったネネが、声を上げる。


「よし、進もうか。とりあえず階段エリアで小休憩して、軽く食事をとろう」


 俺の言葉に三人娘の目が輝く。


「じゃあ、あたし『あれ』がいい!」

「わたくしも同じことを考えていました」

「ボクも、言おうと思ってた」


 待ちきれぬ様子で、三人が俺の手を引く。


「ん? なんだなんだ?」

「ユークが、ボクらに始めて作ってくれた、ダンジョン飯が、たべたい」

「はい。ユークさんのはじめての手料理です」

「すっごく美味しかったんだよね!」


 その様子に興味がわいたのか、ジェミーとニーベルンも俺の背中を押した。

 仲間たちに運ばれるようにして俺は階段へと歩く。


「どんなのかな? ルンは楽しみです!」

「同感ね。迷宮の中だとユークの料理のありがたさは身に染みるのよね」

「そこまで大したものじゃないって」


 そう言いながらも、俺は脳裏で食材の確認を始める。

 卵、ソーセージ、チーズ……バゲットもあるはずだ。

 うん、人数分作れる。


「なんの話っすか?」

「ユークのご飯の話! 今日はちょっとした記念日みたいなものなの」


 マリナの言葉がすとんと心に落ちる。

 なるほど、記念日か。言い得て妙だが、違いない。

 そうとも、今この場所、この瞬間こそが『クローバー』の記念日だ。


 さて、あとは【常備鍋スープストック】次第。

 今日だけは魚介のスープをよろしく頼むぞ。

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