第28話 存在証痕と叔父の感慨

「これはいい屋敷に住んでいる。ユークは立派になったなぁ」


 フェルディオ邸を見上げたサーガおじさんが俺の頭をぐりぐりとなでくる。

 懐かしくはあるが、もう子供ではない。

 それにシルクの手前だ。よしてほしい。


「やめてくれ、叔父さん。俺だって成人してからずいぶん経つ」

「もちろん知ってるさ、〝勇者〟ユーク・フェルディオ。お前の噂はいろんなところで耳にしたからな」


 よりにもよってこの人の耳に入ってしまっているなんて。

 恥ずかしいなんてものじゃない。

 この後、どんなイジりが待っているのかと思うと、些か億劫だ。


「あ、おかえりユーク! シルク! と……だれ?」


 帰った俺達を出迎えたマリナが、サーガおじさんをみて首をかしげる。


「ただいま。こっちは俺の叔父」

「いつも話してる冒険者の師匠さん? 先生の先生ね!? こんにちは。あたし、マリナです!」

「マリナ、挨拶の前に何か羽織ってこい」


 湯あみを終えたところなのだろう。

 マリナの赤髪にはしずくが残り、薄着のシャツは豊満な体を強調するように張り付いている。慣れたとはいえ、さすがにこれは目に毒だ。


「あっ……あははは。ゴメン。じゃあ、後で!」


 サーガおじさんの手前、珍しく羞恥心が仕事をしたのか、マリナが小走りで去っていく。

 その後ろ姿を見送って屋敷に入ろうとすると、叔父さんが俺を胡乱な目で見ていた。


「なに、お前。シルクちゃん以外の女の子とも一緒に住んでるの? どういうこと?」

「……それも後で話すよ。とにかく、中に入ろう」

「わたくし、お酒の準備をしてきますね」


 玄関ホールに入ったところで、シルクがキッチンへと向かう。

 この屋敷のそういうことは使用人がしてくれるのだが、これは話がしやすいようにシルクが気を回してくれたのかもしれない。


「お帰りなさいませ。フェルディオ様。お客人でございますか」


 シルクと入れ替わる様に執事の一人が現れて、会釈する。


「叔父なんだ。ここに逗留することになるから、客間の準備をお願いできるかな」

「かしこまりました。用意が整いましたらお呼びいたしますね」

「よろしくお願いします」


 去り行く執事に軽く会釈して、サーガおじさんを案内しようとすると、叔父は横で固まっていた。


「おじさん?」

「久しぶりに旅から帰ってきたら甥がお貴族様になってた僕の気持ち、わかるか?」

「その旅の話も聞かせてもらうよ。……無関係ではないんだろ?」

「相変わらず勘のいいヤツだな」

「師匠が優秀だったからね」


 軽口に本音を混ぜて笑う。

 だが、このタイミングで現れた叔父のことをただの偶然と片付けるわけにもいかない。

 それに、のだ。

 頬のうっすらとした疼きが、サーガおじさんに反応している。


 つまり、敬愛する叔父もこの世界から外れた存在であるということ。

 信用も信頼もする。さりとて、警戒しないわけでもない。

 もう俺は大人サーガを妄信する子供ではないのだから。


 談話室に叔父を招き入れた俺は、ソファを勧める。

 勧められるまま深く腰を下ろした叔父は上着を脱いで、俺を真剣な目で見つめた。


「それで──どっちが本命なんだ」

「へ?」

「清楚系のシルクちゃんと元気系のマリナちゃん……どっちだ」


 この空気、懐かしいけど今はやめてほしい。

 そういえば、故郷にいた時もこの調子だった気がする。

 サーガ・フェルディオという男はゴシップ好きで好色な厄介すぎる男なのだ。


 思い出が美化され過ぎていて、すっかり忘れていた。


「ユーク、おかえり。紹介、してくれる?」

「だたいま、レイン。俺の叔父、サーガだ。今回の件で力を貸してくれる」

「ごきげんよう、サーガ様。『クローバー』のレイン、です。以後、お見知りおき、を」


 精一杯といった様子のレインの挨拶に、サーガおじさんは黙ったまま驚いたような顔をしていた。


「おじさん?」

「ああ、いや……失礼。ご紹介に預かり光栄だ。サーガ・フェルディオです。よろしく頼むね」


 そう返事してから、いままで向けられたことのない様な鋭い視線を俺に向ける。


「おい、ユーク。これはお説教ものだぞ」

「な、なんでだよ?」

「お前……こんな幼い娘に、〝存在証痕スティグマタ〟を複写コピーしたのか?」


 一瞬、叔父が何を言っているかよくわからなかった。


「失敬、な。ボクはこれでもユークより、年上」

「……マジ?」

「本当のことだよ。数か月だけどね」


 驚いた顔を真顔に戻して、サーガおじさんは小さく首を振る。


「いや、そこじゃない。問題は〝存在証痕スティグマタ〟のほうだ」

「〝存在証痕スティグマタ〟?」


 聞き覚えのない言葉だ。


「簡単に言うと、人間をやめる要素だよ。身に覚えがあるだろう?」


 そう言いながら、頬の部分を指でさすサーガおじさん。

 それにつられて頬に触れる俺に、叔父が頷く。


「……そう、それだよ」

「これ、『ペルセポネの祝福』じゃ、ないの?」


 首をかしげるレインに、おじさんが再び驚いた顔をする。


「〝青白き不死者王〟に遭ったのか? 災難だったな」

「以前、『無色の闇』……『塔』に調査攻略に入った際にね。でも、〝存在証痕スティグマタ〟って……」


 頭がこんがらがっている。

 この痣が迷宮に反応することから、いくつかの推測を立ててはいた。

 しかし、〝存在証痕スティグマタ〟なんて言葉は聞いたことがないし、自分が人でなくなったつもりなど毛頭ない。


「とにかく、それは……ここと異なる次元でもお前の存在を定義してくれる、証明書みたいなもんだよ」

「証明書……」

「そう。この世界の存在定義しか持たない者が、別次元の構成要素を内包する『無色の闇』に触れれば人としての在り方を失ってしまうんだ。だが、〝存在証痕スティグマタ〟を持つ者は違う」


 おじさんが、視線をちらりと俺の背後にやる。


「……続けてください、サーガ様」


 振り向くと、酒と杯、そして少しばかりのつまみをトレーに乗せたシルクが立っていた。

 その顔は複雑なもので、どこか恐怖のようなものが見え隠れしていた。

 シルクがこういう顔をする時は、だいたい無理をしている。


「ユーク。聞かせていい話かい?」

「迷うところだけど、隠し事はしないと数刻前に決めたところなんだ。シルク、悪いんだけど……みんなを集めてくれないかな。おじさんに紹介もしたいし」

「わかりました。少し、待っていてくださいね」


 トレーをテーブルに置いたシルクの後姿を見送って、小さく息を吐きだす。

 その様子を見て、正面の叔父が目を細める。


「どうしたのさ」

「いや。あの坊主が立派な男に育ったもんだと思ってね。僕は、嬉しい」


 親代わりで師匠だった男が、どこか満足げに、そして愉快気に笑った。

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