第29話 禁忌と約束の一杯

 シルクがマリナとネネ、それにジェミーを連れて帰ってくるのにそう時間はかからなかった。

 後について、ニーベルンもついてきていたのには少し驚いたが、むしろ彼女には話を聞いてもらうべきだろう。

 なにせ、彼女は俺と共に『無色の闇』の中を歩いたのだから。

 つまり、彼女も〝存在証痕スティグマタ〟を保有していると考えて間違いない。


 談話室のソファに腰を下ろした仲間たちを軽く紹介し、俺は叔父に向き直る。


「話してくれ、おじさん」

「その前に確認させてもらうよ。今から僕が話すことは君達にとって望まぬ結果を知らせるかもしれない。それでもいいかい?」


 『クローバー』全員の顔を見回して叔父が確認の言葉を口にする。

 それに、仲間たちは黙ってうなずいた。


「じゃあ、〝存在証痕スティグマタ〟のおさらいからにしよう。これは、僕ら〝渡り歩く者ウォーカーズ〟に刻まれた存在定義だ」

「〝渡り歩く者ウォーカーズ〟?」


 また新しい言葉が出てきた。


「〝存在証痕スティグマタ〟を持つ者。その中でも、次元渡りを成した者をそう呼ぶ」

「誰が決めたの?」


 マリナの無邪気ともいえる質問に、サーガおじさんが困った顔をする。


「さて、誰だろうね。僕も知らない。他の渡り歩く者ウォーカーズにそう教えられただけだから」

「……ちょっと、待って。じゃあ、サーガさんは、別の次元に、渡った、の? 他にも、たくさん、そういう人が、いるの?」

「そうそう出会うことはないから、たくさんかどうかはわからないかな。僕が知っているのは三人だけだし」


 指を降りながらレインの質問に答えた叔父が続ける。


「事実として、〝存在証痕スティグマタ〟を持つ僕らは次元を渡るための特別な素質を持つ。手段さえあれば、近接世界に移動したって裏返ったり消えたりすることはない」

「つまり、ユークさんは『反転迷宮テネブレ』に触れても大丈夫と言う事ですね?」

「そうなる。レインちゃんもね」


 おじさんの言葉に、俺はぎくりとする。

 先ほどのお説教もの、という言葉がどうにも引っかかるのだ。


「どうしてレインも大丈夫なんすか?」

「それだよ、僕が知りたいのは。ユーク、何をやらかせばこんな恐ろしい真似ができるんだい?」


 静かな声の質問だったが、明らかに俺を責めている。


「あの。待って、ください。これはボクが、望んだこと、だから。ユークを、責めないで」


 返答に詰まった俺の代わりに、レインが口を開いた。


「ユークはいつも、一人で背負いこんで、一人でできちゃう、から。だから、ボク……ずっと、一緒に居たくて、無理を頼んだ、の」

「君は〝存在証痕スティグマタ〟が何なのかわかってるのかい? 『ペルセポネの祝福』なんて言ってたけど、〝存在証痕スティグマタ〟というのは人間が道を踏み外すための免罪符みたいなもんだよ? 人間を捨てて、人間がやってはいけないことをするための免罪符だ」


 静かながら、強い口調で話す叔父。

 実際のところ、ペルセポネから受けたモノが一体何なのかを理解していなかった。

 レインが望み、俺が甘え、二人だけの秘密として共有をしていたものが、そんな厄介なものだとは知らなかったのだ。


「そもそも、どうやって〝存在証痕スティグマタ〟を複製したんだい? 特性は様々とはいえ、他者に譲ったり共有したりできるものじゃないはずだよ?」


「……」

「……」


 レインと二人、黙り込む。

 これをみんなの前で説明するのは憚れる。できてしまったものは、できたのだ。


「なんか、あやしい……」


 ジェミーがなんとかポーカーフェイスを保つ俺と、いたたまれなくなっておさげを揉むレインを交互に見てくる。やめてくれ。


「とにかく、おじさんの言いたいことはわかったよ。でも、この──〝存在証痕スティグマタ〟があれば、俺は『反転迷宮テネブレ』に入れるんだろ?」


 この情報は有益だ。

 今の俺にとっては、とても。

 つまるところ、俺が単独で行動する理由になりえる。


 あの恐ろしい『反転迷宮テネブレ』に仲間を近づけなくて済むのだ。


「質問をよろしいですか」

「何かな、シルクちゃん」

「その〝存在証痕スティグマタ〟という特性があれば、わたくし達も『反転迷宮テネブレ』に影響されなくなるんですよね?」

「理解は正しい。でも、手段として正しいとは言えないね」


 おじさんにシルクは首を振って応える。


「わたくし達は、ユークさんを一人で行かせはしません。家族だと言ってくれたユークさんと、最後まで一緒にいます」

「うん! あたしも。難しい話はよくわかんないけど、みんなで『無色の闇』に挑むのは、『クローバー』の目標だもん!」

「ここにきて仲間外れはナシっすよ」

「ユーク、アタシも行くわよ。もう決めたから」


 シルクの宣言に、仲間たちが続く。


「お嬢さんがた、よく考えての発言か? 若さゆえの勢いじゃないか?」

「あなたは、みんなの事をよく知らないから」


 ふわりと黄金の光を纏って、ニーベルンが口を開く。


「知ってる? 七葉の『クローバー』には無限の幸福が宿るの。ルンたちは、お兄ちゃんを信じる。何があっても不幸になんてならない」

「……やれやれ。頑固なむすこの恋人たちは、揃って頑固だな」


 頭を掻いて、おじさんが息を吐きだす。

 俺が「冒険者になる」と意固地に言ったあの日と同じ顔で。

 そして、やはり続く言葉はこうだった。


「覚悟できてるなら、好きにするといいさ」


 軽く笑って、手を振るサーガおじさん。


「じゃあ、難しい話はここまでにしようか。ユーク、酒だ。冒険者になる時の約束だったろ?」

「ああ。一杯奢らせてもらうよ」


 差し出された杯に、果実酒を注ぐ。


 ──「お前がいっぱしの冒険者になったら、奢られてやるよ」


 サーガおじさんは旅に去る前、そんな風に言っていた。

 そのサーガに、酒を注ぐこの瞬間……俺は少し誇らしい気持ちになっていた。

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