第54話 温泉とマリナのわがまま

「はい、脱いで脱いで!」


 脱衣場まで一緒に入ってきたマリナが、俺の冒険装束を次々と引っぺがしていく。

 マリナの怪力の前に抵抗は無意味だ……と知りつつも、制止を試みる。


「待ってくれ。自分で脱げる。子供じゃあるまいし」

「ダメ。ちゃんと確認しないと!」


 勢いはそのままに、眉尻を下げるマリナ。


「体、チェックしないと。どこに怪我や呪いがあるかわからないもん」

「大丈夫だ」

「信用できない!」


 マリナの即答が心にぐさりとくる。

 すぐ戻ると約束して二週間も行方不明になれば、信用も無くすか……。


「だから、じっとしてて」

「あー……すまなかった。ほら、何ともないだろ?」


 上半身まで裸になって、くるりと回ってみせる。

 川で泥にまみれはしたが、ケガなどしていない。


「大丈夫……かな?」

「そう言ってるじゃないか」


 俺の背中をペタペタと触るマリナに苦笑してみせる。


「じゃあ、俺は温泉で汗を流させてもらうから、戻っていてくれ」

「うん。わかった!」


 納得した様子のマリナが、ぱたぱたと脱衣所の外へと出ていく。

 その様子に小さく息を吐きだして、俺は残りの衣服を脱いで棚に畳み置き、浴場へと向かう。

 マリナはどうにも無邪気が過ぎるので、危険だ。

 いくら冒険者とはいえ、もう少し年相応に恥じらいとか危機感とかを持ってほしいと思う。


「ふぅー……」


 湯につかって息を吐きだしながら目を閉じると、目まぐるしかったの事を思いだされる。


 『グラッド・シィ=イム』のことは、どう説明するべきか。

 『一つの黄金』とサイモンの関係についても。

 それに、マストマ王子の件もある。

 王家の秘密を知ってしまった以上、もう巻き込まれていると考えたほうがいい。


 ……考えることが多すぎて、どうにもまとまらない。

 もやもやと思考を高くしていると、突然の着水音と同時に水しぶきが……いや、湯しぶきが、盛大に俺に浴びせられた。


「おわっ!?」


 顔の水気を払って目を開けると、真っ赤な髪と肌色がうすぼんやりと目に映った。


「マリナ?」

「はい、マリナです!」

「元気で結構。それで、どうしてここにいるんだ?」


 目を覆いながらマリナに背を向けて、問いかける。


「ユークの様子を見に来たんだよ」

「大丈夫と言ったろ?」

「さっき大丈夫じゃない顔してたよ?」


 マリナの言葉に小さく詰まる。

 俺というのは、悩みが顔に出やすいらしいというのは、たびたび指摘を受けているところだ。

 シルクなどには「おかげでわかりやすくて助かります」なんて言われているが、どうにも釈然としない。

 リーダーたるもの、毅然としたポーカーフェイスでどっしりと構えていたい。


「シルクにも見張っててって言われたし!」

「だからってここまで来ることないだろ……」

「どーん」


 ぼやいていると、背後に柔らかな衝撃。

 さすがに温泉の中ではダッシュハグとはいかなかったらしく、おかげで衝撃は普段よりも随分と小さいものだったが、代わりにマリナの滑らかな肌の触れる感触は俺の心臓を跳ねあがらせた。


「心配したんだからね?」

「悪かったって。まさかそんなに時間がたってるとは思わなかったんだよ」

「どういうこと?」

「時間の流れが違ったらしいんだ。俺にとっては、この温泉も昨日ぶりだ」


 背中にマリナを感じながら、これについてもギルドでどう説明したものかと思考を捻る。

 そんな現象、これまで聞いた事もない。

 とはいえ、目下の問題は……。


「ほら、そろそろ離れてくれ」

「え、やだ」


 マリナが後ろでくっついたまま首を振るのがわかった。

 その鼻先が、柔らかな唇が、首筋に触れてくすぐったい。

 まったく、なんて無防備で凶暴なんだ。俺が男だってことを忘れてるんじゃないだろうな?


「心配させた二週間分、かまってもらうもんね」


 マリナらしからぬ、小さな声で紡がれたその言葉が、俺の心にチクリと突き刺さった。

 こう言われてしまうと、少しばかり弱い。

 少しの思案の後、俺は力を抜いてマリナに軽くもたれかかる。

 これでマリナに与えてしまった不安が払拭されるなら、安いもんだ。

 諦めてしまえば、そう悪い気分でもないし。


「あ、諦めた」


 バレた。

 どうしてこういう時だけ妙に勘がいいんだ、マリナってやつは。


「もう! あたしがかまってるだけで、かまってもらってない気がする!」

「それもそうだな。じゃあ、お姫様? ご要望は?」

「う、うーん……」


 後ろでマリナが小さく唸る。


「なんでもいいよ。心配かけたからな」

「急に言われてもわかんないよー。えーと……ホントになんでもいいの?」

「俺にできる事ならな」


 頷いてやると、マリナが後ろで再び唸る。


「じゃあ……」


 言葉と共に、マリナの柔らかな感触が背中から離れた。

 少しばかり名残惜しいなどとロクでもないことを考えながら、背を向けたままマリナの言葉を持つ。


「今から、お願いするね? いい?」

「いいとも」

「ホントのホントね?」


 念を押すマリナに苦笑しつつ、大きくうなずく。


「まかせてくれ」


 ──……この後、この安請け合いが俺を大いに困らせることになったのは、言うまでもない。

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