第55話 ネネタイムと控えめな猫
帰還から二週間。
『グラッド・シィ=イム』の件が、ようやく片付いた。
あの特別な迷宮の
ただ、その中で王立学術院に所属するベディボア侯爵が関心を示した項目がある。
それが、俺とルンが彷徨った『無色の闇』の空間である。
あの場所は、フィニス地下にある迷宮と名称を分けるために『透明の闇』という名称がつけられ、公式文書には俺が発見者として登録された。
そして、あの場所についてかなり詳しい聞き取りがなされることとなったのだが、あいにく俺が応えられることはそう多くない。
ただ、経験と推測を語るにとどまることとなった。
また、この二週間で大きく動いた件がもう一つある。
ウェルメリアにおける高位貴族が一つ、御取り潰しとなった
そう、クラウダ伯爵家である。
俺がしたことと言えば、レインの件に関して詳細な報告を行っただけだ。
これは、いわば苦情に近い。
貴族の力を使ってパーティメンバーの強引な引き抜きをされてはたまったものではない、とマニエラに伝えたのだが、後始末に残っていたベディボア侯爵の耳にそれが入ってしまった。当然と言えば当然かもしれない。
予想外だったのは、それがかなりの速度で国王の耳へと届けられたということだ。
驚くべきことに、俺と『クローバー』はウェルメリア王ビンセント五世のお気に入りの資産であるらしい。
前科や疑惑もあったのだろう……クラウダ伯爵家はあっという間に今回の件を調べあげられ、俺の陳情からたったの三日で由緒ある伯爵家の一つが歴史から姿を消した。
罪状は国家反逆罪および貴族法違反。
無断で王国資産を外国に売り渡そうとしたことに加え、今回の件でマストマ王子……つまりサルムタリアから正式な責任の所在を問う文書が送られたらしく、罪状がかなり重くなったようだ。
直接に動いていたクラウダは縛り首になるかもしれない。
……まあ、俺の知ったことではないが。
ルン──“黄金の巫女”ニーベルンについては、まだ方向性が定まっていない。
マリナ達は俺達『クローバー』の一員として引き取るべきだと主張し、ベディボア侯爵は異世界からの賓客として迎える準備があると言っていた。
どちらにせよその決定権はルンにあり、俺はそれを尊重しようと思う。
彼女がどうするにせよ、俺には『グラッド・シィ=イム』最後の王との約束がある。
だからこそ、この世界では自由であってほしいし、そうなる様に助けたい。
「──ユークさん?」
俺の思考を誰かが引き戻す。
気が付けば、葡萄酒の入ったジョッキを持ったまま俺は固まっていたようだ。
「ダメっすよ? また考え事をしてたっすね?」
「ああ、すまない。いろいろと起こったことが多すぎて考える癖が抜けないみたいだ」
向かいに座る
「
「そうだった」
苦笑を返して、冷えた葡萄酒を喉に流し込む。
まだ太陽は中天に差し掛かる前。こんな時間から酒をあおれる現状を楽しまねば。
何より、俺は今、目の前の可愛らしい
「すまないな、ネネ」
「いいんすよ。でも、今日は一日『ネネタイム』なのでたくさん我儘を聞いてもらうっす!」
「お手柔らかに」
元気いっぱいのネネに笑いながら、空になったジョッキに葡萄酒を注ぎ入れる。
「昼間っから飲む酒は最高っすね」
「ああ。今までこんなことがなかったので新鮮だ」
『サンダーパイク』時代からあまり酒を嗜まなかった俺だ。
こうして昼間に酒を飲む機会などとんとなかったし、今まで考えたこともなかった。
冒険や依頼を終えたその夜に嗜むものと、無意識に思い込んでいたのかもしれない。
「しかし、よかったんすかね? 私がユークさんを独占してしまって」
「今日は予定もなかったし、ちょうどいいタイミングだったけど?」
「そういう意味じゃないっす」
じゃあ、どういう意味なんだろう。
異国情緒あふれるドゥナに留まるのも後少し、仕事量のわりになかなか労えなかったネネのたっての頼みとあれば、リーダーとしては引き受けてしかるべきだろう。
彼女自身はおくびにも出さないが、俺のことを心配したネネがかなりいろいろな伝手を使って捜索してくれていたとシルクから聞いた。
そんなネネに、今日は何かお礼がしたいと思ったのだ。
「さて、どうするかな。ネネは何かあるか?」
「いろいろやりたいことはあるっすけど、バザールに入ってみたいっす。冒険者通りじゃない方の」
「そう言えば、行ってないな」
交易都市であるドゥナには、サルムタリアをはじめとした様々な国の商品がならぶバザールがある。
とはいえ、そちらは冒険者とは客層が違うため、並ぶ商品は冒険に関係がないものばかりで今日まで行ったことがなかったのだ。
「よし、それじゃあショッピングとしゃれこもうか」
「やったっす!」
席を立ちあがった俺の右腕をネネが抱きつく様にして腕を絡める。
柔らかな感触に一瞬体がぎくりと硬直したが、そのままの状態で通りを歩く。
そのままバザールまで歩いたところで、どこか悪戯っぽい表情でネネが俺を見上げた。
「お、慣れたっすか?」
「いいや、慣れないな」
軽く苦笑して返すと、ネネが吹き出すようにして笑う。
「ホントにユークさんは何でもできるのに、女の子のことはからっきしっすね」
「何でもはできやしないさ。それに経験のないことは俺にだってたくさんある。可愛い女の子とどうやってデートするかなんてわかりゃしないさ」
そうぼやく俺の隣でネネがしっぽをぴんと立ててやや硬直する。
「……天然は性質が悪いっす」
「ん?」
「いんや、何でもないっす」
少し笑ったネネは、どこか上機嫌で俺をバザールのあちらこちらへと連れまわした。
透けるような
貧民街出身のネネにとって、こういう珍しいものを見るのはとても楽しいことらしい。
お土産に、とネネが気に入っていそうなものをいくつか購入する。
「ええ、悪いっすよ。欲しいものは自分の財布から出すっす」
「そう言いながら、何も買ってないじゃないか。さては踏ん切りがつかないんだろう?」
「むむむ……」
やっぱりな。
「これは俺からのお礼だよ。今回の件ではいろいろ心配もかけたからな」
ネネに商品の入った袋を押し付けて、もったいぶった理由で納得させる。
どうもネネって女の子は生い立ちのせいか、自分をあまり慮らない所がある。
もっと自由に生きればいい、と俺はいつも思っていた。
だって、すでに彼女は『クローバー』という自分の居場所にしっかりと自分の足で立っているのだから。
「いいんすか?」
「いいとも。今日は一日『ネネタイム』なんだろ? もっとわがままでもいいんだぞ?」
「そうなんすけど……自分でもわかんないんすよ。どこまでわがまま言っていいのかなんて」
ペタリと耳を伏せるネネ。
それを見て、俺は思わず苦笑する。
わがままの仕方がわからないなんて、ネネらしい。
「さぁ、なんでも言ってくれ。ネネはもっとわがままを覚えたほうがいい」
「言ったっすね? もう止まらんすよ?」
そう言って花が咲いたような満面の笑みを浮かべたネネが、俺の手をわがままに引いた。
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