第30話 禁じられた魔導書と本の精霊

 カチリ、と音がして本の錠前が外れる。

 その瞬間、本の存在が増したのを感じた。


「……魔導書か? これは」

「そう、みたい」

「そうなの?」


 レインは頷き、マリナは首をかしげる。

 この感覚は魔法を操る者にしかわからないものだ。

 俺達のような魔法を使うものにとって魔導書とは特別な……自分の可能性を押し広げる力を持つもので、独特の圧力プレッシャーを感じることが多い。

 この本からもそれを感じる。


「中身はどうかな」


 ページをめくっていく。

 文字そのものは読めないが、魔法陣や魔法式らしきもの、それを指す諸々の注釈。

 これが、魔導書なのはほぼ確定だろう。


「似たような魔法式を重ねてあるな」

「でも、少し違う、みたい。これとこれは、ここが違って……ええと、ここは、上下が入れ替わる、かな……?」

「やけに難解だな」


 首をひねっていると、横に立つマリナとネネも同じく首をかしげる。


「あたしにはさっぱりわかんないよ」

「私もっす」

「気にするな、俺にだってわからない。読めればいいんだが……」


 ちらりと視線をやるも、ルンはモリアの膝の上で赤い本を解読中だ。

 ぱっと見は孫に読み聞かせをする祖父か何かに見えなくもないが、読み聞かせを受けているのはモリアである。

 あちらはあちらで何やら忙しそうなので、頼めそうな状況ではない。


「ユークさん。おそらく、わたくしがお手伝いできると思います」

「シルク。もういいのか?」

「はい。仲良くなれました」


 シルクの周りをふわふわと豆本サイズになった本が飛んでいる。


「なにそれ、かわいい……!」


 レインが目を輝かせる。

 魔法道具アーティファクト以外にこういう目を向けるレインは中々珍しい。

 いや、魔法道具アーティファクトだと思っているのか?


「おそらく、この精霊の力を借りれば理解できると思います」

「そうなのか?」

「はい。手をこちらに」


 差し出された手を握ると、シルクが歌うように精霊言語を口にする。

 その旋律に踊るようにして、本の姿をした精霊がふわりふわりと舞う。

 直後、落下するようにして意識が沈み込んだ。


「お……っと」

「びっくりしましたね」


 シルクが俺の手を握ったままクスクスと笑う。

 この様子だと、なにか問題が起きたわけではなさそうだ。


「ここは?」

『本の上、本の中、記憶の傍』


 囁くような声が、周囲から聞こえる。

 見やると、真っ白い蛇のような生き物が、浮遊する本から頭だけを出していた。


「この子が、『本の精霊』ビブリオンです。旧い精霊使いが、図書室の守護に呼び置いたのだと思います」

『シルク。このシトは、いい』

「ええ。わたくしの先生ですもの」

『この本、すこし、危ない。注意する』


 周囲を見渡すと、どうやら俺達は本の上に立っているようだった。

 床の模様からおそらく先ほどの本だと思う。


「この本の内容を知りたいんだ、ビブリオン。どうすればいい?」

『読む、は人の方。我らの理で、解する。いいか?』

「どういうことですか? ビブリオン。読むこととは違うのですか?」

『我らは、解し、伝える。人は、読むけど、伝えない』


 ビブリオンの事を、シルクは『歌や伝承の精霊』と最初に言った。

 それらが何を指すかというと性質的に、本を読むこととは少し違うのだろう。

 魔導書に限らず、文字を読むということは内容を読み解き、解釈し、自らに取り込むということだ。

 おそらく、ビブリオンの本質は『記録し伝える』ことで、やや違うのかもしれない。

 伝えるべきことが全て文字に起こされていることなど少ないからだ。

 となれば、今頼めば、ビブリオンはこの魔導書の本質を俺に伝えてくれる。


 ……魔法を使うものの端くれとして、これは得難い体験だ。


「それでいいよ、ビブリオン。でも、俺にだけ頼むよ。シルクには魔法の素養がないから」

「ユークさん? 大丈夫なんですか?」

「魔法の素養がない君の頭に魔法式を刻まれる方が問題だ。もし、特別なものだとしたら思い出すだけで頭が沸騰するかもしれないぞ」


 冗談めかして言ってみたが、魔法使いでないものに無理やり魔法の知識を詰め込むというのは毒になりかねない。

 魔法を魔法として理解できないのに、意味不明な魔法式ばかりが記憶を占めてしまって廃人になる可能性だってある(前例があるのだ)。

 たとえるなら、それはまさに本のようなもので、魔術師であればそれらを『魔法』というひとまとめの書物にして棚に仕舞い込めるが、そうでない者はバラバラになったページを部屋に撒き散らすかのような有様となる。


『ユーク? いいね?』

「ああ、頼む。シルク。俺を頼んだ」


 どこか妙ちきりんな頼み方になってしまったが、シルクがビブリオンを制御しているのであれば、文字通り彼女の存在は命綱となる。


「わかりました。ビブリオン、お願いね」

『まかされた』


 身体が本の中に沈み込んでいく。

 それでも、握っているシルクの手の感覚はあるが。


 周囲が暗くなって、明るくなって、鮮やかになって、色あせて。

 複数の声が四方八方から聞こえて、まるで耳元でささやく声もあって、そうかと思ったら自分で何かを口にしていて。

 それらが少しずつ、少しずつ収束されて景色がはっきりとしていく。


 眼鏡をかけた茶髪の男が、机に向かっている。

 不安、焦燥、危機感。追い立てられるようにして、何かを作っている。

 ああ、『無色の闇』にジェミーを残して来た時の俺と同じだ。

 何かを信じながら、それでも不安にさいなまれ、後悔に心を軋ませながら男は前に進む。


 その男が、何をしようとしているのか、何故か理解できた。


「そうか、この魔法は……」


 俺のつぶやきに男が振り返る。

 景色の中、記憶の中の彼に俺は見えていないはずだが、男は口を開く。


「────」


 聞き取れない言葉の意図そのものが俺に流れ込んでくる。


「ああ、わかった」


 返事をすると同時に俺は強い浮遊感を感じて、本の世界から意識を浮上させた。

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