第29話 本の園とロゥゲの言葉

 すたすたとモリアが部屋に踏み込んでいく。

 高い天井にまで届く本棚にはびっしりと本が詰まっており、ここから情報を拾い出すのは難しそうだ。

 そもそも、文字がわからない。背表紙を見てもそれが一体何の資料なのかもわからないのに、どうするつもりなのだろうか。


「ふむ。お嬢ちゃん、字は読めるかの?」

「うん。大丈夫」


 好々爺とした雰囲気の笑顔で、ルンを抱え上げるモリア。

 なるほど……現地人であるルンならば文字も読めるか。そう言えば、地下水路などで見つけた手記などは学術院に預けっぱなしでルンに見せたことはなかった。


「さて、ロゥゲとやら。我らに見せたいものがあるのじゃろう?」

「さてさて。どうでございましょうな?」


 モリアに見られたロゥゲがぎょろりとした目を本棚の一か所に走らせる。

 黄昏に似た赤い背表紙の本が数冊、その視線の先に収められていた。


「ルーセント、そこの赤い本じゃ。全部持ってきておくれ」

「わかった」


 ルンを抱えたまま、パーティのリーダーを顎で使う老魔術師。

 彼に対する信頼の高さがうかがえる。役割分担がはっきりしているのだろう。

 今ここで必要なのは、モリアの知識なのだ。


「さて、こっちも始めよう。レイン、頼むよ」

「うん、まかせて。……〈歪み感知センス・ディストーション〉」


 この魔法は、俺とレインで開発した新魔法だ。

 もともと、『無色の闇』を再攻略するときの切り札として練っていた魔法で、その効果はいくつかの感知系魔法を混ぜて発動させるというもの。

 隠し扉や罠、仕掛けなどを『正常と異なる』部分を濃淡コントラストとして、感知し、知覚する。

 『グラッド・シィ=イム』はどこもかしこも異常ではあるが、異常を正常として設定してやれば、この資料室での特異点を感知することもできるだろう。

 レインほどの魔術師であれば、それも可能だ。


 ちなみに、開発しておいてなんだが……俺はこの魔法を使えない。

 そもそも赤魔道士は感知系統の魔法を得意としないのだ。


「モリアさんの持ってる本と、ええっと、あそこにある、茶色い背表紙の大きい本、それと、あの机の引き出しが、ヘン。」

「引き出しは私がチェックしてくるっす」

「本はあたしがとってくるね!」


 ネネとマリナがレインの指さした先に向かう。

 その隙に、俺はレインに〈魔力継続回復リフレッシュ・マナ〉の魔法を放つ。

 〈歪み感知センス・ディストーション〉は〈歪光彩の矢プリズミックミサイル〉同様の複合型効果魔法だ。

 通常とは発動のプロセスが違うため、かなり多くの魔力を消耗する。


「ありがとう。レイン」

「ううん。ユークと二人で作った魔法、役に立って、よかった」


 にこりと笑うレインに小さくうなずいて、振り向くとシルクもその瞳を周囲に向けていた。


「……どうした、シルク」

「ここ、変わった精霊がいます。『グラッド・シィ=イム』特有のものかもしれません」

「どんな精霊なんだ?」

「それが……わからないんです。伝えるのは難しいんですけど、自然現象ではなく、記憶や歌、伝承? 表現が難しいですね。精神に関わる精霊に近いみたいです」


 それを聞いて、俺は少しばかりの危機感を覚えた。

 精霊というのは、世界を構成する要素であり、何にでも宿る。

 炎や水など、四大元素に関わる精霊もいれば、生命や眠りを司る者もおり、人の精神──怒りや勇気を司る精霊もいるのだ。

 そして、それらは総じて扱いが難しく……制御を誤れば、ひどい結果を引き起こす。


「コンタクトをとってみます」

「大丈夫なのか?」

「ええ、静かな精霊です。『グラッド・シィ=イム』で出会う、初めての狂っていない精霊なので」

「わかった。慎重にしてくれよ」

「はい」


 俺の心配が伝わったのか、伝わっていないのか、シルクは目を閉じてほのかに歌うような言葉を口にする。

 すると、いくつかの棚からひとりでに本が抜け出し、まるで鳥か蝶のように室内を飛び始めた。

 敵対的な風ではなく、優雅に静かに飛び回るそれは、シルクの精霊語に惹かれるように、ゆっくりとこちらに近寄ってくる。


「ああ、本の精霊なのですね……。物語と記憶を運ぶものに宿る……」


 じゃれつく様に飛ぶ本に触れながら、シルクが優し気な表情を見せる。

 どうやら心配なさそうだ。


「わたくしは彼等から情報を集めますので、ここは大丈夫です」

「わかった。行こうか、レイン」

「うん」


 すでに中央の大きな丸机ではモリアがルンと共に赤い本を読み進めており、空いたスペースにはマリナが茶色い背表紙の大きな本を置いて俺たちを待っている。

 ネネも、机の引き出しから何かを得たようだ。


 ……さて、働いていないのが俺だけというのは、いくらお飾りとはいえ些か〝勇者〟として格好がつかないな。


「机の中身は、鍵だったっす」

「それって、この本の鍵じゃないかな?」


 マリナの持ってきた、大きな書物には確かに鍵がかかっている。

 さて、ここで問題となるのは〈歪み感知センス・ディストーション〉に感知されるような、しかも鍵付きの本を迂闊に開いていいかどうかという問題である。


 少し考えて、俺はロゥゲに向き直った。


「ロゥゲ。この本が何かわかるか?」

「ええ、もちろんでございます」


 続いて、俺は口を開く。


「危ないものではないよな?」

「吾輩の口からそれを申し上げられませんな。イッヒッヒ」

「いいや。言ってくれ。『この本は危なくなんかない』と」


 俺の要求に、ロゥゲの笑みが止まる。

 ぎょろりとした目で俺を凝視するロゥゲは、どこか余裕を失したように見えた。


「あなたの口から、聞かせてくれ」

「……左様。その本に危険などありませぬ」


 そうロゥゲが口にした瞬間、本から放たれる気配のようなものが霧散した。

 いま、ここでこの本は『安全』になったのだ。


「すまなかった。無理をさせたか?」

「いいえ、いいえ」


 首を振るロゥゲに軽く礼を言って、俺は本に向き直る。


「よし、開けるぞ……」


 覗き込むレインたちにうなずいて、俺は小さな鍵を本の鍵穴に差し込んだ。

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