第59話 追い詰められた令嬢(リリアンヌ視点)

 伯爵令嬢リリアンヌ・ルミュールは崖っぷちにいた。

 自分の味方なんてどこにもおらず、ロビンだけが信用できる。


 ルミュール家は由緒正しき血を持つ正当な貴族の家だ。

 父は騎士団の副団長、母は社交界有数の淑女と言われている。

 代々息子は騎士団への所属が義務づけられ、娘は政略の道具という扱い。

 政略の道具には、完璧な教養と振る舞いが要求される。もちろん、感情を表に出すなどもってのほか。

 リリアンヌも日々、家でも外でも自分の本心を押し隠し生活してきた。

 

 男ではなく女として生まれたせいで、周囲からの当たりもきつかった。

 女性で家を継げるのは母親が絶対的な権力を持つミーア王女くらいのもの。普通の家ではそうはいかない。だが、ルミュール家には男子がいないのだ。

 現在、父が勝手に見つけてきたリリアンヌの婚約者が、将来ルミュール家を継ぐことが決まっている。

 トッレ・トルベルト――騎士団所属のいかにも脳筋的な考えの男で、趣味と特技は筋トレだという。

 ……話が合いそうになかった。

 

 リリアンヌは本来活発な性格で、幼い頃は木に登ったり庭で釣りをしたり自由に遊んでいた。

 しかし、成長して家庭教師が勉強やマナーを教えるようになってから、それらは全て禁止され、少しでも彼らの言う「理想の令嬢」から外れた行動を取ろうものなら、鞭で手首を何度も叩かれた。

 次第にリリアンヌからは笑顔や口数が減り、自分から進んで行動しなくなり――彼女の母のように「社交界有数の淑女」と呼ばれるようになっていった。

 嬉しくもなんともないが、婚約者のトッレは「すごい」と勝手に盛り上がっている。

 彼はリリアンヌの内面など見ようともしないのだ。

 

「何がすごいの? くだらないわ」

 

 家の中にも外にも居場所を作れず、誰にも本心を打ち明けられず、苦しくて苦しくて……いつも図書館の隅で隠れて涙を流した。家だとメイドが両親に言いつけるからだ。

 図書館なら訪れる人は少ないし、位置によっては誰にも会わずに済む。

 そんなとき、リリアンヌはロビンと出会ったのだった。

 

「あれあれぇ~、どうしたの~? なんで泣いているの、美人さんが台無しだよ~?」

 

 声をかけてきたのは、見覚えのない貴族の青年。彼はとても美しい容姿だった。

 王宮では珍しい小麦色の肌に彫りが深くて甘い顔立ち、色気を孕み艶やかに垂れた目。

 つい見とれてしまったリリアンヌは、ハッと我に返って自分の態度を取り繕った。

 

「なんでもありませんわ」

 

 いつものように貴族令嬢の仮面を付け、素っ気なく相手を突き放す。

 

 しかし、ロビンは引き下がらなかった。

 

「なんでもない表情じゃないし~、俺ちゃんに聞かせてよ~。下っ端貴族で影響力皆無だから、話しやすいと思うんだけど~?」

 

 魔が差したのかもしれないし、苦しさが限界を超えてしまったのかもしれない。

 リリアンヌは自分の身に起こったことを洗いざらいロビンに告げた。

 ロビンは親身になってリリアンヌの言葉に耳を傾けた。

 自分に対して、そういう風に接してくれた相手が彼だけだったこともあり、リリアンヌは警戒を解く。屋敷では誰も「政略の道具」のことなど気にかけないのだ。

 

「大丈夫だよ、俺ちゃんは君の味方だからさー」

「あの、あなたのお名前は?」

「ロビンだよー。レヴビシオン男爵家の息子なんだー。君の名前は?」

「リリアンヌ・ルミュールですわ」

「ああ、伯爵家の……」

 

 ロビンはリリアンヌに身を寄せた。

 男性との思わぬ距離の近さに、リリアンヌは慌てる。しかし、ロビンはお構いなしだ。

 

「伯爵令嬢だと、大変だよねー。そろそろ結婚とか言われる頃じゃないのー?」

「ええ、まあ」

「俺ちゃんが、リリアンヌを楽にしてあげる」

 

 微笑むロビンは、そっとリリアンヌの手を握った。

 彼が触れた部分から淡い光が漏れ出て、自分の中にあった鬱屈した気持ちがスウッと消えていくような心地になる。

 

「これは?」

「俺ちゃんの特別な魔法。苦しむ人を助けるための力だよ」

 

 心の中に溜まっていた悲しみが薄れ、苦しみが浄化される。

 

「ロビン様……」

「呼び捨てでいいよ。俺ちゃん、下っ端だから」

「わかりました。ロビン、ありがとう。あなたのおかげで、少しだけ気持ちが楽になった気がします」

 

 それから、リリアンヌは図書室でロビンと過ごすことが増えた。

 ――そうして、彼に溺れていった。

 ロビンと一緒にいると楽だから、彼だけが本当の自分を見つけてくれたから……



 ※


 そして、今、リリアンヌはロビンとの逢瀬を実家に知られ、家を追い出された。

 誰かが家族に密告したのだろう。

 王女殿下か、はたまたロビンに懸想する他の令嬢か……

 家族はリリアンヌに対して無慈悲だった。

 

「みっともない娘だ、儂に恥をかかせおって! お前のせいで何もかも台無しだ!」

「婚約者がいながら他の男性と密会していたのですって? ずいぶん親しげだったようですわね。母親の顔に泥を塗るなんて、教育が温かったのかしら?」

「こんな娘は不要だ! お前の妹ルルアンネに婿を取らせて伯爵家を継がせる! 出て行け! 今すぐにだ!」

 

 小さなバッグ一つとはした金を握らされ、リリアンヌは訳もわからぬまま街へ放り出される。外は雨が降っており、雨宿りするのに適した場所もない。

 だいいち、自分の今の格好を見られるのは屈辱的だった。

 見るからにいいところの娘が伴も付けずに雨の中に突っ立っているなんて、明らかに訳ありだと思われる。

 

 そして、リリアンヌが向かった先は……やはり王宮の図書室だった。

 リリアンヌが勘当されたことを知らない王宮の者たちは、ずぶ濡れな姿をいぶかしげに眺めながらも、いつも通り彼女を図書室へ通す。

 

「ロビン、ロビン、ロビン。私を助けて……」

 

 自分の味方はロビンだけ。リリアンヌは図書室に現れた彼の手に縋った。

 ロビンはリリアンヌの悩みを親身になって聞き、心の底から同情した表情を浮かべて言った。

 

「大丈夫、大丈夫だよ、リリアンヌ。俺ちゃんが助けてあげるからね」

 

 彼に触れられると、またスッと心が軽くなった。

 ロビンの魔法は人々を苦しみから救う聖なる力だ。

 

「でも、その前に一つ頼まれてくれないかなぁ。君にしかお願いできないことなんだよ~」

「なんでもやります。私に、できることなら……」

 

 リリアンヌは迷うことなくそう答えた。

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