第39話 芋くさ夫人、同情される

 メイドの採用面接で受けた男爵令嬢の平手はともかく、父の拳はかなり強烈だ。

 ナゼル様はなんでもできるけれど、武術にも優れているのかもしれない。

 拳を受け止められた父は、赤い顔のままナゼル様に食ってかかった。

 

「ナゼルバート様、邪魔をしないでいただきたいですな。これは、エバンテール家の問題なのですぞ!」

 

 父が偉そうに苦言を呈している。

 いやいや、まずは殴りかかった相手――ナゼル様に謝ろうよ。

 第二王子の主催したパーティーで、よその領主に殴りかかるなんて、とんだスキャンダルだよ?

 しかし、ナゼル様は冷静だった。柔らかな口調で紳士的に父の相手をしている。

 

「では、アニエスは関係ないね? すでに実家から勘当され、私の妻になっているのだから。彼女には家を離れて自由に、幸せに生きる権利がある」

 

 私はナゼル様の言葉に感動した。だが、父は引き下がらず、ムキになって主張を続ける。

 

「だとしても、私はこれの保護者だったのです。恥の上塗りをさせるわけにはいかない。これには、私の命令を聞く義務がある!」

 

 ……もはや、私を「これ」呼ばわりですか。まあいいけれど。

 父も母も、跡取りの弟は可愛がるけれど、私のことは政略の道具くらいにしか思っていないんだよね。

 モヤモヤしている間に、ナゼル様は、静かだけれど凍てつくような声音で父に告げる。

 

「あなたたちは、過去にアニエスを捨てたよね?」

「だから、なんだ?」

 

 僅かに眉を動かしたナゼル様は、受け止めていた父の手を振り払い、抑揚のない冷えた声のまま言葉を続けた。

 

「アニエスは、パーティーの衣装を着たまま、ボロボロの状態で街を彷徨っていた。あのままでは、間違いなく危険な目に遭っていただろう。真夜中に着の身着のままで娘を追い出す、あなたのような人間が、堂々と保護者面をするのはいただけない」

 

 連続で図星を指された父は、引くに引けず、とうとう逆ギレをし始める。

 

「うるさい、罪人風情が私に指図をするな! 公の場に出てくるんじゃない!」

 

 第二王子主催のパーティーで、そういう内容を大声で言わないほうがいいと思うよ?

 ナゼル様は、レオナルド様に呼ばれて参加しているのだから。

 父にめちゃくちゃなことを言われているナゼル様だけれど、まったくひるむ様子はなく、正論を説き続ける。

 

「そちらこそ、私の大切な妻を侮辱しないでもらおうか?」

「当家の不良品をどうしようが、私の勝手だ!」

 

 わめきちらす父を見て、ナゼル様の瞳の光が消える。

 ――え? ……え?

 なんか、ナゼル様、すごく怒っていない?

 美形がキレたら、近寄りがたさが半端ないんですけど?

 ひぃぃ……と後退したら、すぐ近くにレオナルド様が立っていた。騒ぎが気になって、こちらへ来たみたいだ。

 

「だから、先ほどのように、容赦なくアニエスを殴ると?」

「躾の一環だ!」

「これは、話そうか迷っていたけれど……以前から、気になることがあったんだ。アニエスを保護したとき、彼女の頬に大きな痣が二つあった。あなたは、以前からアニエスに暴力を振るっていたね?」

 

 毅然とした態度で話すナゼル様の言葉を聞いて、ザワリと観衆がどよめく。

 

「だから、躾だと言っているだろう! 我が家の方針に口を出すな、若造が!」

 

 さすがにマズいと母が青くなっている横で、父はお構いなしに真実を喋り続ける。

 彼は怒りで我を忘れることが多いのだ。

 

「あのときは、こいつが罪人との婚約なんて命じられたから殴っただけだ!」

「頬の痣だけじゃない。サイズの合わない中古の靴を履き続けていたせいで、アニエスの足は皮がめくれて血だらけだった。コルセットも、健康に悪いと廃止された型のものを、幼い頃から彼女に使い続けていたようだね。そこまで、エバンテール家の財政状況が悪いとは思えないのだけれど。アニエスは古く、使い勝手が悪い品ばかりを身につけていたよ」

 

 今度は母が声を上げた。

 

「我が家の財政状況は健全です! 節約をしているわけではありませんわ! アニエスの身につけるものは、そこいらの安っぽい衣装ではなく、由緒正しい装いなのです!」

「……話になりませんね」

 

 二人の会話を聞いている貴族たちが、さらにザワザワし始めた。

 

『よりにもよって結婚前の女性の顔を、痣が残るほど殴っただって?』

『でも、さっきも殴ろうとしていたみたいだし、本当じゃないかしら。躾の域を超えていますわね』

『エバンテール家の古くさいドレスは、てっきり衣装代をケチっているのかと思っていた。金銭的に苦しくないのなら、靴くらい買ってやればいいじゃないか』

 

『これって、虐待よね? 暴力はもちろん、衣装を買い与えないことも』

『廃止されたコルセット……あれは、骨に悪影響を与えるものではなかったかね? 十年以上前に、王城の医師団が発表したはずだが』

『しかも、この期に及んで、勘当した娘にエバンテール家の格好を強要するなんて、可哀想だわ。厚化粧を取ったら、あんなに綺麗なのに』

 

 ……私、すごく同情されているみたいです。

 

 形勢不利を悟った父は、他の貴族たちに「じろじろ見るな!」と文句を言い、敵認定したナゼル様につかみかかろうとした。

 けれど、あっさりと躱されて、そのままの勢いで地面にダイブする。

 

 運悪く、そこにはティーテーブルがいくつか置かれており、テーブルや椅子だけではなく、クリームたっぷりのケーキやグラスに入った飲み物までもが父の全身に襲いかかる。

 真っ白なタイツは、カラフルなジュースの色に染まってしまった。

 

 そして、そんな父を第二王子が黙って見下ろしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る