第19話 芋くさ令嬢とワイバーン
十日間馬車に乗り、たどり着いたのは、ロアという地方の街だった。
王都と比べると人や店の数が格段に少ない。
ここは、辺境へ行く際に馬車を乗り換える場所でもある。
王都から離れた土地は街道が整備されておらず、馬車では進めないためだ。
では、何に乗るのかというと、細い道や空中を移動できる魔獣である。
人が乗れる魔獣は騎獣と呼ばれ、特別に訓練されていた。
エバンテール侯爵領に騎獣はいなかったので、私が実際に見るのは初めてだ。
騎獣を売る店や、騎獣の貸し出しをする店、騎獣に人を乗せて運ぶ業者など、この街の様々な場所で目にすることができた。
一番多いのは、空を駆ける羽の生えた馬……天馬だ。馬と扱いが似ており、人気らしい。
他には、足の長い大きな鳥や、蜥蜴のような騎獣もいる。
私たちが乗る騎獣は、スートレナ領の人が持ってきてくれるそうだ。
とはいえ、私は全く騎獣に乗れない。騎獣どころか馬も駄目だ。
誰かの後ろに乗せてもらうことになるだろう。
私は隣にいる夫、ナゼル様に尋ねた。
「ナゼル様は、騎獣に乗った経験がありますか?」
「もちろん。王配教育の一環で、いろいろな領地を回ったことがある。そのときに騎獣に乗る訓練もさせてもらったよ。王都では需要がないけれど、乗れるに越したことはないからね」
さすが、ナゼル様だ。優秀すぎる。
迎えが現れるまでの間、私たちは指定された場所で街の様子を観察した。
小綺麗な待合所の一角で、新しいテーブルと椅子が置かれている。
「アニエスは俺と一緒の騎獣に乗るといいよ」
「ありがとうございます」
ナゼル様がそう言ってくれると、とても安心できた。
しばらくすると、待合室にそばかすのある少年が駆け込んできた。
辺境特有の、日に焼けた肌に橙色に近い茶髪の彼は、私たちを見て瞬きしたあと、早足で近づいてくる。
「ナゼルバート様でしょうか」
「そうだよ。君がスートレナ領からの迎えかな?」
「はい、トニー・フォーンといいます。それで……」
トニーはなぜか待合室の中をキョロキョロと見回す。そして、戸惑った様子でナゼル様を見上げた。
「奥様はどちらに?」
「…………」
ここだよ、ここにいるよ。あなたの目の前ですよ。
待合室に沈黙が落ちた。
コホンと咳払いしたあと、ナゼル様が私の背中に腕を伸ばす。
「紹介しよう。妻のアニエスだ」
私は微笑みながらトニーに挨拶した。
「はじめまして、私がアニエスです。迎えに来てくださり、ありがとうございます」
大丈夫だ。今日もケリーに服と化粧を任せている。
顔を合わせた瞬間、一目散に逃げられることはないはずだ。ケリーはとても優秀なメイドさんなのだから。
トニーはぽかんと口を開けて私を見ており、腑に落ちないといった表情を浮かべていた。
すると、ナゼル様が私の背中を支えたまま、彼に向かって微笑む。
「自慢の妻なんだ」
ひぇー! そんな、滅相もない!
私があたふたしている間にトニーは立ち直ったようで、騎獣のいる場所へ案内してくれた。けれど……
「こ、これは……?」
私は初めて間近で見る騎獣に興味津々だけれど、ナゼル様はもの言いたげな表情を浮かべている。
目の前で雄叫びを上げているのは、ワイバーンと呼ばれる、蜥蜴に似た魔獣の一種だ。
蜥蜴なら、エバンテール家の庭にたくさんいたし、それに羽が生えて大きくなっただけだよね。変な魔獣じゃなくて良かった~!
「アニエス、その、大丈夫かい?」
まじまじとワイバーンを見ていたら、心配そうなナゼル様に声をかけられた。
「ん? 何がですか?」
「いや、天馬が用意されているものと思っていたのだけれど。ワイバーンは、怖がる女性も多いから……」
「平気ですよ。ナゼル様は、天馬じゃなくても乗れますか?」
「ああ、俺はワイバーンにも乗れるけれど……」
「良かったです。それでは、さっそく」
騎獣に乗るのは初めてだから、ドキドキする。
私たちの前にいるのは、真っ青な皮膚に緑色の瞳の美しいワイバーンだ。
大人しくて、不思議そうな目で私たちを見つめている。雄かな、雌かな?
「よし、よーし、いい子でしゅねー。美人さんでしゅねー。私、こういう生き物が大好きなんです」
「え、そうなの?」
「父や母が良い顔をしないので、屋敷では何も飼えなかったですけど」
庭には多くの小さな獣が暮らしていたし、エバンテール侯爵領では羊が飼われ、牧羊犬もいた。牛や鶏、山羊や猫も見かけた記憶がある。
夜中にこっそり屋敷を抜けだし、夜行性の獣を触りに行ったこともあった。
彼らは人間と違って、私の外見をとやかく言わないし、私を傷つけない。
「では、お先に乗らせていただきますね」
目の前にいるワイバーンを撫で終えた私は、金具に足を引っかけ、するすると背中に這い上がる。ケリーが着せてくれた服はヒラヒラせず、騎乗しやすいデザインだ。
一応鞍らしきものがあったので、その上に座ってみる。
「ナゼル様、前に乗りますか、後ろに乗りますか?」
「後ろは危ないよ。アニエスは前に乗って、俺が支えるから」
「了解しました」
ずりずりっと前に移動すると、ナゼル様が身軽な動きで後ろの席に飛び乗ってきた。
何をしてもスマート、格好いい……!
トニーが複雑な顔をしているけれど、どうしたのだろう? まあいいか。
フロレスクルス家からついてきた皆さんには、ここで帰ってもらい、私とナゼル様とケリーだけでスートレナ領へ向かう。
ケリーはトニーと一緒に赤いワイバーンに乗った。
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