第12話 芋くさくない令嬢(ナゼルバート視点)
離れの一階にある書斎で、ナゼルバートは一人物思いにふけっていた。
どうしてこんなことになってしまったのか。
今さらながらに、自分の実力不足が悔やまれてならない。
「俺が王女殿下を止められていれば……」
気づかなかったのは、ナゼルバートの落ち度だ。まさか、他の男との間に子供ができていようとは。完全に予想外の出来事だった。
フロレスクルス公爵家の次男であるナゼルバートは、幼い頃から優秀だと言われ育ってきた。自分でも周りの期待に添えるように努力してきたつもりだ。ただ……
――婚約だけは自由にならない。
十歳のときに決まった婚約者のミーア王女は、信じられないくらい我が儘で高慢な少女だった。
「ふぅん、これが私の婚約者なのね。まあ、顔だけは及第点だわ」
開口一番に放たれた言葉に絶句したことを、今でも鮮明に覚えている。
正直言って王女はナゼルバートの好きなタイプではなかったが、これは王命による婚約だ。自分の思いは割り切って、王族の伴侶として相応しくあろうと、厳しい王配教育もこなしてきた。
国王には第一王子がいるが、体が弱くほぼ寝たきりなのだ。第二王子は母親が平民で後ろ盾が皆無なので、声の大きな王妃の実子を次の王に推す流れができている。第二王子自身は義母と争う気はないようだ。
王女は仲良しな取り巻きたちと遊び呆けては、熱心に王配教育に励むナゼルバートを馬鹿にしてからかっていた。次期女王の自覚ゼロだ。
ミーア王女が頼りなくとも、自分がしっかりしていれば、国を傾けなければそれでいいと、ナゼルバートはますます真面目に勉強するようになり、王女と顔を合わせる機会は減っていった。
おそらく、その隙に男爵家の庶子であるロビンとの絆を深めていたのだろう。
気づけば、手遅れになっていた……
「俺が、甘かったんだ。とはいえ、あの我が儘王女を相手に、どうするのが正解だったのか」
ミーア王女の破天荒さを低く見積もりすぎていたのは自分の落ち度だ。
奔放だけれど、最後の一線だけは踏み越えないと、根拠もなく彼女を信じていた。
「……もともと、俺には荷が重すぎる話だった」
アニエスは「陛下がなんとかしてくれる」などと言っていたが、その望みは薄いように思える。王女はすでにロビンの子を妊娠しているのだ。
そして、それをパーティー会場にいた全員が知っている。きっと、ミーア王女は子供を産むつもりだし、そこにナゼルバートの居場所はない。
ナゼルバート自身も、義務の婚約だからと今まで何もかも我慢してきたが、ああまでされて今さらミーア王女の結婚相手に収まりたくはなかった。
むしろ、肩の荷が下りてどこかほっとしている自分がいる。
ただ、無関係のアニエスを巻き込んでしまったことだけが気がかりだった。
エバンテール侯爵家の長女アニエスは、社交界で「芋くさ令嬢」と揶揄される娘だった。ナゼルバートはその噂を知らなかったが、若い貴族の間では有名な話らしい。
初めて見た彼女は重苦しいドレス姿で、数世代前に流行った、絵画でしか目にしたことのないような髪型や濃い化粧をしていた。
ドレスを引きずって歩く姿は気の毒で、裾を引っかけていたところをつい助けてしまった。近くにいた貴族が、彼女を嘲笑うだけで誰も手を貸さなかったからだ。
しかし、見かねて手を貸してしまったのがいけなかった。
義理堅いアニエスは、兵士に張り飛ばされたナゼルバートを庇い、ミーア王女に目を付けられた。
そのせいで、ナゼルバートと結婚するよう、衆人の前で命令されてしまったのである。罪人との婚約など、不名誉極まりないことだ。
あんな目に遭わされてしまえば、今後は結婚相手だって見つからないだろう。
彼女の将来は、ナゼルバートのせいで絶たれてしまった。
しかも、アニエスは実家からも勘当されている。
彼女の気持ちを考えると、気の毒すぎてたまらない。本当に、申し訳なさでいっぱいだった。
あのとき、アニエスの元へ向かったのは正しい判断で、そのおかげで彼女を保護することができた。
巻き込んでしまったことを詫びたが、アニエスは気にしていないと告げる。
その上、自分と結婚させられるほうが申し訳ないなどと言い出した。
あんな状態にもかかわらず、自分よりも相手のことを思いやれるなんて、彼女は素晴らしい令嬢だ。
アニエスは自分を「芋くさ令嬢」だと卑下しているけれど、厚い化粧をとった顔は、十七歳の美しい女性のものだった。
普段は、信頼の置けるメイドのケリーに彼女を任せている。
「……はあ、これからどうすべきか。とりあえず、沙汰を待たなければな」
今回の件でフロレスクルス公爵家の意見は真っ二つに分かれた。
父や長兄はナゼルバートを「不甲斐ない」と責め、さっさと辺境へ追い出す構えを見せている。母や弟はナゼルバートを庇い、不誠実な王家に腹を立てていた。
ナゼルバートは、けじめとして自ら離れに居を移した。
アニエスのことは正直想定外だったが、部屋は余っているので可能な範囲で保護するつもりだ。
たった十七歳の令嬢を夜の王都に放り出したりはできない。
アニエスは修道院へ行く気のようだったが、自分のせいで彼女をそんな場所に追いやりたくなかった。
王族や貴族の寄付で成り立っている修道院には、政略結婚のために一時的に預けられた、未婚の貴族の子女もいる。
その中へ醜聞にまみれたアニエスが行けば、どんな扱いをされるかわかったものではない。
真っ赤な髪をかき上げながら、ナゼルバートは大きなため息を吐いた。
そこへ、アニエスの世話を終えたメイドのケリーが戻ってくる。
彼女には、ここ数日のアニエスを見てもらっていた。ナゼルバートの前では気丈に振る舞っているアニエスだが、無理をしているのではないかと心配してのことだ。
「ナゼルバート様、アニエス様は本日も無事お休みになりました」
「ありがとう。彼女の様子はどうだった?」
「きっと不安でしょうに、意外なほど落ち着いておられます。私などにも丁寧に接してくださる、心優しいご令嬢です」
やはり、アニエスは思いやりに溢れる心の持ち主らしい。
「それと、少し気になることが。お化粧を取ったアニエス様のお顔に内出血のあとがありました。離れへ来られた際は厚化粧で隠れておりましたし、本日は様子を見ようと化粧の色を調整して隠しましたが、夜になっても痣は消えず……」
「怪我をしていたのか!?」
「お顔だけではありません、ナゼルバート様が手当てされた靴擦れも酷かったですし。こちらもすでにご存じでしょうが、普段から窮屈な靴をはき続けていた弊害か、アニエス様の足の親指は歪んでおります」
「俺も気になっていた。何度も靴擦れを起こしているのか、皮膚が変色していたし。他に、外傷は?」
「きついコルセットが必須の古めかしい衣装を着こなしていたので、肋骨の変形も気になっていましたが、こちらは大丈夫かと思われます。しかし、今のような生活を続けていれば、いずれは……」
ケリーは普段の彼女からは想像できないくらい饒舌だ。
「服と靴に関しては、虐待じみているね。今朝のアニエス嬢が、やたらとドレスや靴に興味を示していたのは、そういう理由だったのか」
ナゼルバートはアニエスの境遇を哀れんで、思わず顔を覆った。
社交界では、「一世紀前の価値観で動いている」などと揶揄されるエバンテール家だが、問題行動は起こしたことがなく、「不器用だが真面目で実直な仕事ぶり」が信頼されている貴族だった。
しかし、思ったより問題の多い家なのかもしれない。
「アニエス嬢の顔の怪我についても、調べたほうがいいな」
「そうですね、頬に二カ所ほど大きな痣がありましたので。どこかにぶつけたと言うには、不自然な気がします」
「わかった、その件は調査しよう。勘当を解くようエバンテール家を説得し、彼女を家へ帰すのは、考え直すべきかもしれない」
「はい……私も同じ意見です」
王城での仕事をクビになった経緯や魔法の特性から、誰に対しても素っ気ないケリーだが、アニエスのことは気に入っているように思える。
「ケリー、明日もアニエス嬢の世話を頼めるかな」
「もちろんでございます。ナゼルバート様も、そろそろお休みくださいませ」
夜も更けてきたので、素直にケリーの言葉に従う。廊下に出てアニエスのいる階上を見上げたナゼルバートは、疲れた足取りで自分の寝室へ移動した。
「……なんとか、アニエス嬢だけでも助けたいな」
国王からどのような沙汰が下ろうとも、ナゼルバートはアニエスを守ろうと決めている。
ただ、自分自身のことに関して正直に言えば、もう全てを投げ出したい気分だった。
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