7_2
「クソッ!」
「キールド、底の角を左に曲がって三番目の部屋に隠れて。早く」
急かされる儘に角を曲がり、三番目のドアを開け素早く入り音を立てないように閉める。其処は未使用の客質で、ミシェルを床に降ろすとピタッとドアに耳をくっつけ足音が通り過ぎたのを確認した。
「此れからどうする?」
「甲板へ向かうしかないわね。いつまでも此処に居られないもの」
キールドはジュストコールを脱ぎミシェルの肩にはおらせる。
「ゆっくりしている暇はないわ。急ぎましょう。……きゃっ!? おろしてキールド! もう大丈夫よ。歩けるもの」
「……そうか」
シュンと肩を落としながら再度床に降ろす。
「さ、行きましょう」
「ああ」
部屋を出た二人はミシェルの指示通りに動き追手を掻い潜り、甲板まで辿り着く。然し其処には白のローブを纏っている神の代行者と大司祭が式の準備に勤しんでいた。
「これはこれは、キールド王子。まだ式は始まりませんが……?」
幾重にも布が重なり重そうな白い装束を纏った穏やかな微笑を浮かべた大司祭が言う。
「おや、其方は……――」
視線が背に庇ったミシェルへ向く。
「矢張り此処に来おったわ」
王がぞろぞろと兵士を引き攣れやって来た。状況を察した大司祭はキール度から目を逸らすことなくゆっくり兵士達の方へと移動し、複数の切っ先を向けられたキールドとミシェルは先端の方へと追い詰められていく。
「愚息が! お前の所為で世界一と謳われる彼女の美貌が台無しになったではないか! お前の所為で今までの苦労も計画も全てが水の泡だ! おとなしく婚姻していればよかったものの……王である父に逆らった罪は重いぞ!」
「お前のようなクズを父とも、王とも思った事はない」
「愚弄しおって! どうやら守護天使はお前達の死を願っているらしい。あんな醜女にも用はない! 全てを海に沈めて魚の餌にしてやるわ!」
「可哀想に。彼女が愛されたのは美しい見た目だけ。中身に見向きもされず、つらかったでしょうね」
「おい化け物! 他人の心配などせずに己の心配をしたらどうだ? 此処には大司祭様がいらっしゃる。お前如き化け物などヘルシング卿でなくとも始末する事が可能なのだぞ」
「不本意だが同感だ、ミシェル。お前は人がよすぎる」
「貴方達はニンゲンのくせに他者を労わる心が無いのね」
呆れを含んだ溜息が漏れた。
「報告しますっ!」
ふと一人の兵士が慌ててやって来た刹那、ズドンッ! と鈍い衝撃音と揺れに襲われる。いつの間にか接近していた大きな木船が体当たりをしてきたのだ。純白の帆には金糸で神の代行者に属している神官将達が聖務中に身に着ける紋章――十字を作る双剣を持つ三つ目天使の頭上に輝く八芒星を月桂樹の枝葉の円環が取り巻いている――が刺繍されていた。あっという間に白のローブを纏い深くフードをかぶった者達が王達を取り囲む。
「ミシェル、今の内に逃げるぞ」
「此処は海の上よ。逃げ場など何処にもない。此れは本来貴方が背負うべき問題だわ。最後まで見届けなさい」
「然し――」
「此れはいったい何事だっ!?」
大司祭が声を荒げた。
「守護天使の導きの下、貴方を救いに来ましたよ。大司祭」
白いローブを纏った者達がサッと避けて道を作る。ゆっくりした歩調で姿を現したのは神官将――純白のアルバの上に何かの植物を模した金糸の刺繍が刻まれた白いカズラを纏っている――の一人。金の長髪を後頭部で白いリボンを使い一つに結った穏やかな紫の虹彩をもつ美しい青年だ。
「此れ以上、貴方が代行者の名を穢さぬよう、私が貴方を救います」
「戯けた事を!」
「大司祭。神は常に天使の耳を通じて人々の祈りを聞き届け、天使の目を通じて我々を見守ってくださっているのです」
「其れがなんだと――」
「神に仕える身でありながら、皆まで言わなければ分かりませんか」
嘆かわしいですね。と悲しそうに表情を微かに歪める。
「天使達が天界へ帰ってから、我々代行者は三つに分かれました。神は其々に役目を与え、我等は人々を正しき道へ導く事に専念するよう、命を受けている筈です。大司祭ともあろうお方なら、ご存知の筈でしょう? ですが貴方は職務を放棄した」
「職務放棄だと? 私は嘗て代行者が世界を統一していた時の勢いを取り戻そうと――」
「我々が世界を統一していた時代が崩壊した理由を忘れたとは言わせません。人々を正しい道へと導く事に熱を入れすぎ、対話をせずに力を振りかざして制圧し、多くの者達の命を独断と偏見の下に奪ってきたではありませんか」
「其れだけ罪人が世界に多い――」
「天からの授け物と称し王が用意した美女達を取り囲み欲に溺れた事を我々が知らないと思っているのなら、愚かです」
「証拠が何処にある!」
大司祭の代わりに王が声を張り上げた。
「証拠なら追々提示します。そして、父上がアレン皇国の皇女を兄上と番いにさせたい理由が分かりました」
そう言いながら姿を現したのはドレイク――空色のジュストコールに落ち着いた茶系のズボンと膝丈ブーツを着用した、肩につくか否かの金の髪を流し新緑を映す虹彩をもっている――だ。
「アレン皇国での彼女の評判は〝性にだらしなく大帝国ヴェルダンからも熨斗付きで婚姻関係を解消されるほどの浪費家〟でした。幾らで押し付けられたのです?」
「誰があんな醜女を国に置くか! 熨斗付きで送り返してくれるわ!」
「父上。貴方は兄上を仮初めの王位に据え、実権を大司祭様に受け渡し、兄上の母君を僕の母と同じ辱めを与えながら殺害し、ご自身は愛人と国費を浪費する予定だったそうですね?」
「何度も言わせるな愚息め。お前の母親は気を病んで自殺を――」
「フローラ様は持病の為に別荘へ隔離され、病が悪化した為に亡くなられたと、貴方の口から伺っておりましたが……私を騙していたのですね?」
赤を基調とした裾の長いスーツタイプの制服を纏ったヘルシング卿に付き添われて姿を現した后が言う。相当気分が悪いのだろう。顔色が酷く悪い。
「死の前デハ言い逃れは出来マセン。僕は死者を通シ、全てを知っていマス」
何処からともなく現れた白いローブ――袖口や裾、深くかぶったフードの中心から左右に流れるように色味の違う白糸で画かれたイチイや月桂樹の枝葉の刺繍が美しい――を纏ったタナトスが言う。
「タナトスを疑うは信仰不信の証拠ですよ、父上。貴方が犯した悪事の証拠は他にもあります。申し開きは牢で伺いましょう」
「愚息共がぁああああああああああっ!」
獣のような咆哮があがる。
「者共! 反逆者を捕らえろ!」
だが兵士の誰一人として指示に従う者は居ない。
「何故誰も動かないっ!? 王は――」
「残念ながら、貴方はもう王ではありません。僕の左手が見えませんか?」
ドレイクは左手の中指に嵌めた黄金色に輝く指輪を掲げる。
「初代国王が錬金術で作った金とよく似た鉱石で作られたと伝えられている、王家が代々継いできた君主の印。正真正銘の本物です。父上が家臣を使い其の指輪を作らせた職人、当人だけでなく家族友人までもを斬首したそうですね。大司祭様も其の件に携わったそうで」
「証拠が何処に――」
言葉を遮るようにズイッとタナトスが前に出た。
「もシや、大司祭トモあろう者が、死を疑いマス?」
唯一窺える口元に浮かぶニンマリ笑顔。
「ウィルドに従い、フォルシィ・ケンバイ・ゴートより大司祭の地位を剥奪シマス」
パチン。とタナトスが指を鳴らすと王だった男と大司祭だった男が額を押さえて苦しみだし、数十秒後、罪の烙印を手で隠しながら白いローブを纏った者達数人に囲われ退場した。
「父上。お話しを伺いたい事は別件でも山ほどありますので……獄中で自害なさらないようお願いします」
清々しい微笑を浮かべながら言うドレイクは、罪人を捕らえよ! と命令すると兵士達が一斉に動き王だった罪人を拘束し、連れて行く。美しい神官将に続きドレイクが后を支えながら去ろうとした瞬間、肩越しにキールドを振り返る。口を開いたものの言葉が紡がれる事はなく、微笑を残して立ち去って行く。残りの兵士達もぽつり、ぽつりと姿を消し、暫く経って船が港に戻るとアナウンスが流れ、すっかり甲板が静まった頃、キールドとミシェルの他に、タナトス、ヘルシング卿が残り、何処からともなく蒼の魔女が姿を見せた。
「キールド。お前は拘束された時に私があげた短剣を奪われたそうだね」
溜息交じりに蒼の魔女は言いながら、魔術的な模様が美しい銀の短剣を二人の足元へ投げ付ける。
「さぁ、ミシェル。あと一息だ。其の短剣でキールドを――」
「ごめんなさい。あたしには殺せないの」
「なら俺が――」
キールドが短剣を拾い上げるよりも素早く、ミシェルが柄を掴む。
「自害はさせないわ」
「然し其れでお前が自害する事は不可能だよ、ミシェル。大人しくキールドを殺しなさい。そして其の血肉を食らい共に生きるとよい」
「あたしはそんな事を望んでいない」
躊躇なく海へと短剣を投げ捨てる。
「他者の所有物だからって扱いがぞんざい過ぎやしないか? アレを作るのにどれ程の魔力と労力を使った事か」
「ごめんなさい。でも、あたしはあたしが望まない事をしたくないの」
ミシェルはジュストコールをキールドの肩にはおらせた。
「キールド。あたしの命は長く持たないわ。ずっと嘘を吐いていたの。ごめんなさい。あたしは――」
「言うなミシェル!」
「言ってはいけない!」
キールドと蒼の魔女が声を荒げたのは同時。
「人魚なのよ」
ミシェルは言った。
「っ――」
ドックン。大きく心臓が跳ねる。
「魔女さんが呉れた薬でニンゲンになった気でいたけれど、所詮は仮初だったみたいね。あたしの血は紫だった。人魚の血が蒼いからかしら?」
弱々しく笑うミシェルの皮膚が足の爪先から鱗のように剥がれ落ちていく。みるみる内に露わになる蒼い魚の下半身。立っていることが出来ずに倒れるミシェル。
「嗚呼っ! 嘘だろミシェル! 何故そんなっ――」
今にも泣きそうなほどに顔を歪め、言葉を詰まらせながらミシェルを抱き留めようと動く魔女をヘルシング卿が静かに制す。反射的にキールドがミシェルを抱き留め、ゆっくり座らせた。
「人魚は美しい生き物だと聞いていたが、本当に、お前の醜さは安定している。揺るぎない醜さは清々しいよ」
失った長さを取り戻すように生え揃う蒼い髪。ミイラのような上半身を覆う白い皮膚は完全に再生されていく。
「ありがとう、キールド。貴方と過ごせてとても楽しかったわ」
「何処にも行くな。ずっと、俺の傍に居ろ」
「嫌よ。貴方と居ると息が詰まってしまう。マグロはジッとしていたら死んでしまうのよ」
「お前はマグロだったのか」
「ええ、そうよ。あたしは食べ残されて無残に捨てられたマグロの妖精。じっとしていたら死んでしまうの」
「…………」
「……とても悲しそうな顔」
そっと冷やかな手が頬に触れる。
「あの日、貴方はあたしを哀れみを含んだ眼差しで見たわ」
「茶番をやっている場合ではないだろっ。今ならまだ間に合う。ミシェル。俺を殺してくれっ」
悲鳴が噛み殺された。
「嫌よ。あたしはあたしがやりたいようにする。だってあたしの人生だもの。他人に指図される筋合いはないわ。ぜぇんぶあたしが望んだ事なの。あたしが好きでニンゲンになったの。こうなる事は、最初から分かっていた。あたしは誰にも愛されない。幾ら歌で他人の心を揺さぶれても、此の容姿では誰もあたしを好いたりしない。……貴方のような変人が居ると分かっただけでも満足しているのよ。楽しい夢をありがとう。そろそろあたしは海へ還るわね。蒼がとても美しい世界なのよ。同じ蒼を、貴方にも見せてあげたかった」
「ミシェル逝くなっ!」
「Addio.mio diletto」
いったい華奢な身体の何処にそんな力があるのかと思うほどの強さで突き飛ばされたキールド。するりと指間をすり抜けるようにミシェルは海へと飛び込んだ。蒼の魔女の身体が水となり弾けて消えるのとキールドが船から飛び下りたのは同時のこと。深く潜って視界を埋める気泡から抜け出し周囲を見渡した。見渡せども、見渡せども、ぼやけた蒼が広がるだけで捜し者を視界に捉える事はなく。
「後先考えぬ愚かなヒトの子よ」
ごうごうと流れる水音の間にふと聞こえた蒼の魔女の声。
「お前の目では役に立たん。此れは呪いだ。私からミシェルを奪った呪い」
大きな泡が一つ、顔の前で弾けた刹那、ぼやけた視界が鮮明になっていく。キールドは目をすぐさま再び周囲を見渡した。何処までも蒼く、蒼い世界で煌々と光り輝く泡の群を見付けて、ただ、ただ、ひたすらに泳ぎ、目指す。水を吸った着衣がどんなに身体に纏わりつこうとも不様にもがき、前進する。揺ら揺らと揺れ沈みながら乱れる蒼い長髪の間に見える白い肌。ヴェールのように踊る鰭の数々。力なく存在する細い腕を掴んで引き寄せ、抱きしめ、口付けた。
其の瞬間にミシェルの身体が弾けて複数の泡となり、金剛石のように煌めきながら散り散りに蒼間に揺れてたゆたい、弾けて消える。一つ、また一つと泡が弾ける度に鼓膜に届く澄んだ高音域の言葉を持たない歌声は、過ぎ去る日々の夜に聞いたもの。
心地良い歌声に満たされながら、人魚が見ていた同じ蒼に沈んでいく。
Ⅶ.【Lost in Blue】終
――――――――――
あとがき
閲覧ありがとうございます。
誤字脱字ごめんなさい。
前よりスッキリしたのではないかと思いますが、元々キールドの婚姻が王様の不祥事の一環なので、最終的に膿みだしをする話になりました。国政に携わらないからこそ父親に無能扱いされて蚊帳の外なのに流れに巻き込まれていく不運。
そして色々確認していたら、二〇一二年三月二十二日くらいに生まれて居た事が判明しましてね。メモを取らなかっただけで、もっと前から書き進めていた可能性があります。あの頃はそんなに執筆日にこだわっていなかったんですね。想い出にもなるかなと思って執筆日を記すようになりました。
ユキトはユキトと言う名前を得る前は均一にタナトスと呼ばれていたので、深くかぶったフードと長い前髪で目元を覆い隠し唯一窺える口元に笑みを浮かべている子が居たら高確率でユキトですが、台詞が訛まじりだったら確定です。神の代行者で何やかんやこき使われながらも墓守以外に代行者らしく活動していましたね。ミシェルは方向音痴で頭が少し弱い感じでぽやぽやした子なんですけど、キールドという荒波に揉まれて頼もしくなりました。
【Lost in Blue】終
20120322
20200307(加筆)
柊木 あめ。
Lost in Blue 柊木 あめ @hakoniwa_rakuen
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