07:Lost in Blue
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翌日の昼頃。場所は豪華で大きな船の一室。甲板で大司祭の進行で永久の愛を誓い合う後に披露宴会場となる大広間……ではなく、関係者控室。其処にドレイクの姿はなく落胆の溜息を漏らす。華やかな美貌に赤い化粧を纏った女の赤いドレスの間から見える素肌を覆う包帯が痛々しい。其の隣の長椅子に座らされているキールド――黒のフレームが細い眼鏡に、女のドレスに合わせた赤を基調としたタキシードを纏い、金の髪はオールバックで纏められ、長髪はタキシードと同色のリボンで後頭部のところで一つに結わえられている――は眉間に深いシワを刻んでいる。
「キールド様? そのように深く眉間にシワを寄せてしまっては、折角の美しい顔が台無しになってしまいますわ。わたくしの為にいつまでも美しくいてくださいな」
「…………」
「沖に着くまで余興をしましょう」
近くに居たスタッフ――クリーム色のスーツを纏い黒いズボン姿――を呼び止め、例の物を持ってくるように指示をした。其の光景を眺めていた王がニヤリと笑う事に気付く者は居ない。
暫くして台車を使い運ばれてきたのは特殊なガラス製の大きな水槽のような箱――出入口と思われる個所が南京錠で施錠されている――と茶色い瓶が複数。大きな箱の中には見覚えのある蒼い髪を生やした醜い容姿の化け物が一匹。其の姿はまるで白い乾物だ。長い髪の毛で素肌を隠せないように短く切られており、両の手で顔を隠すことがないようアヒル座りをした足の首と鉄の枷で繋がれている。同じ空間に存在しているという現実だけで目にした者に恐怖を植え付けた。
「ミシェル!」
声を荒げながら駆け寄ろうとすると近くに控えていた兵士が剣を向ける。
「本当は最後の余興にしようと思っていたのよ」
「お前の話は聞いていない! ミシェル答えろ! 化け物なら何故化け物らしく人間を食らい逃げ出さなかったんだ!?」
悲鳴のような声音が更に叫ぶ。
「答えろミシェル!」
「……貴方に関係のない事よ、キールド」
「化け物の分際でイフェリア第一王子の名を呼ぶなんておこがましいにもほどがあるわ!」
赤いドレスの女が怒鳴る。
「化け物の分際で此の美しいわたくしの身体をよくも傷つけてくれたわね。此の代償は高くつくわよ。さあ化け物! 顔を上げなさい!」
「…………」
言葉に従いゆっくりと醜い顔が上を向く。赤いドレスを纏った女は別の従者が持ってきた踏み台に上がり、手渡された茶色い瓶の栓をキュポンと外し、無着色の液体を箱の中へジャバジャバ垂れ流す。液体が触れた瞬間にジュッと小さな音を立ててジュブジュブと皮膚の表面が液状化し、グジュグジュと爛れていく。
「きゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
耳を劈く悲鳴が響いた。
「顔が……顔が、熱い……。焼けるように熱いっ!」
ブンブンと頭が左右に振られ、ベチャッ、ベチャッと溶けた皮膚が箱の中に飛び散っていく。
「嘘までついて皆を騙し、婚約者がいるキールド様を誑かした罰よ」
「あたしは誑かしてなんか――」
「お黙り!」
赤いドレスの女はもう一本、茶色の瓶を受け取り液体をミシェル目掛けて振りかけた。髪を。頭皮を。肩を。腕を。背中を。脚を。手の甲を。足の裏を、液体が触れたカ所を容赦なくジュブジュブと焼いていく。干からびていた肌は溶けて回数を重ねれば重ねるほどにグジュグジュと肉が溶け、紫の液体が滲み、沸騰し、放つ異臭の不快度が増す。
「うわ、臭い!」
「なんだアノ液体は」
「気持ち悪い」
「やっぱりあの子は化け物だったんだ」
潜めく声。
「よかったじゃない。貴女の汚らしく乾燥が酷かった肌が瑞々しくなったわよ」
赤いドレスの女が嘲笑う。
「おやめなさい」
「お義母様。わたくしは彼女の所為で深く傷ついたのです」
「貴女の気持ちは察するに値します。ですが此れはあまりにも悪質過ぎます」
「お言葉ですがお義母様。彼女はただの化け物ですわ。形こそ人間其の物ではありますが、ご覧ください。彼女の身体を流れる血液は紫です。人間ではない証拠と捉えるのに十分ではありませんか。ギルダ大陸では魔物討伐軍が魔物を狩ると聞き知っています。其れと同じ事をしているだけですわ」
「ヘルシングを愚弄するのはおやめなさい。彼等は貴女のように私利私欲の為に魔族や魔物を狩っているわけではありません!」
「ああ、お労しやお義母様。知らぬ間に魔に魅せられてしまったのですね!」
悲鳴交じりに赤いドレスの女が声を荒げた。
「大変ですわ、お義父様!」
「お前達、フローラをヘルシング卿の所へ連れて行ってやれ」
「……!」
控えていた他の兵士達が后の両腕を掴むべく腕を伸ばす。
「無礼者! 触れるでない!」
手にしていた扇でペシッと兵士達の手を叩き落とすと自ら席を立ち部屋を出て行った。
「邪魔が居なくなったところで、たぁああっぷり罪を償ってもらうわよ」
「嫌……イヤッ、止めてぇええ!」
赤いドレスの女は嗤いながらもう一本の茶色の瓶を手に取り振りかける。
「痛い、痛い、いたい、いたい、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイ痛い痛いイタイ――」
手首と鉄枷が、指と指が、唇が、身体の側面と腕が、溶けたカ所がゆっくり混ざり合う。
「ははっ! 醜さが増したわね」
溶けた瞼が両目を塞ぎ、叫ぶ事で無理矢理開いた唇の皮が剥げ、すっかり軟らかくなった口端の肉が裂けた。女は高嗤い、また一本手に取った茶色い瓶の中身を振りかける。
「ああぁあぁぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁあぁぁああぁぁあぁあああああぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ! 痛い……肌が焼ける……苦しい……痛い……痛い……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」
「憎たらしい声。醜い化け物。貴女に生きている価値などないわ。殺してやりたいところだけれど、わたくしを傷付けた代償は死では償えない。死よりもつらい苦痛を味わいなさい!」
憎悪に満ちた顔で睨み付けながら言葉が続く。
「彼女を引き摺り出して」
控えている兵士達に命令する。早くしなさい! と声を張り上げると、兵士達は赤いドレスの女から箱の鍵を受け取り、指示の通りに茶色い瓶の液体をふりかけ鉄枷を壊す。手袋をした状態であれど、兵士達はミシェルに触れることを躊躇った。ジュゥウウウ……と小さな音を立てながら揺らめく煙を纏う彼女の皮膚はまだ溶けている最中なのだ。再度、早くしなさい! と急かされ兵士達はミシェルの腕を掴む。指に力を入れた瞬間にグチュッと肉が崩れ、抉れ、絶え間なく上がる悲鳴に顔を顰めながら引き摺り出した。
「動かないようにちゃんと押さえていなさい。誰か彼女の頭を押さえてくれないかしら?」
「キールド。彼女を手伝いなさい」
王が顎で示しながら言う。
「断る」
「あら、キールド様? ご自身だけは化け物の味方で居るとでもお思いなのかしら? 此の場に居て見て見ぬふりをし助けもしない時点で、貴方もわたくしも同類ですのよ?」
「…………」
キールドを制していた兵士達が剣を鞘に納めると深い溜息を漏らして腰を上げ、赤いドレスの女に近付きミシェルと向き合った。
「相も変わらず醜いな、ミシェル」
「…………」
「安心保障付きの醜さだ」
「……早く、彼女を、手伝えば?」
喋り難そうにミシェルが溜息交じりに言う。
「変わらぬ安心感を得ると、褒めている。喜んだらどうだ?」
「……そう。褒めてくださり、どうも、ありがとう。王子様?」
「……やけに素直だな? 気色が悪いくらいに」
「早く、解放、されたい、の。茶番は、結構だから、早く、して。痛くて、耐えられない!」
「……そうか」
一度瞼を閉ざし、心を落ち着かせるべく深呼吸を繰り返す。次に瞼を開いた時、赤いドレスの女を真っ直ぐ見た。
「なぁ、其の瓶を一つくれないか」
「あら? どういう風の吹きまわしかしら? ご自身の手で終わらせようと考えているのなら、お断りですわ」
「拷問は何度もおこなってきたが、生きている者に硫酸をかけた事がない。あまりにお前が楽しそうだから、俺もやってみたくなった」
「まあ! キールド様が楽しんでくださるのなら用意した甲斐がありますわ。どうぞ、どうぞ。硫酸は沢山ございます」
「ありがとう」
受け取った茶色い瓶の栓をキュポンと小さな音を立てて抜き、赤いドレスの女の顔面目掛けてバシャッと中身をぶちまけた。
「キャァああああああああああああああああああああああああああっ!」
皮膚に触れた瞬間に、ジュゥウウ……と水分を蒸発させながら白い湯気を揺らめかせ、グジュグジュ、ジュグジュグと煮え滾るマグマのように液体と接触した皮膚が溶けていく。誰もが唖然としている瞬間に近くに居た兵士達の首を蹴り、米俵のようにミシェルを抱きかかえて部屋を出る。
「お前は軽石か」
「何故あんな馬鹿な真似を!」
二人の声が重なった。
「お前、其の目で見えるのか?」
「目などなくとも分かるわ。だってあたしは化け物だもの」
「お前――」
ゆっくり、少しずつ、逆再生動画を見ているように爛れた皮膚が元の状態に戻っていく。
「居たぞっ!」
「こっちだ!」
前方の廊下から兵士達が駆けてくる。
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