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「……くそっ」
扉は外側から施錠されており壊すより他にない。数回体当たりをすると、静かにしてください。とメイドの声が。
「退屈なんだ。話をしないか?」
余所行き用の優しい声音で語り掛ける。
「……無用な会話は控えるよう、仰せつかっております」
困惑が滲むメイドの声。
「コンタクトレンズを入浴中に落としたらしい。探すのを手伝ってくれないか?」
「私の記憶が正しければ、先程王子は眼鏡を着用させられていた筈ですが?」
「……喉が渇いた。珈琲を淹れてくれないか?」
「決められた時間外の入室は許可されていません」
「では何故君は其処に居る? 俺の世話をする為に居てくれるのではないのか?」
「キールド様が扉を壊して出て行かないよう、見張る為ですっ!」
「そうか。では教えてくれないか。ミシェルはどうなった?」
「……お答えする事が出来ません」
「頼む。お願いだ。何でも構わないから、ミシェルの事を教えてほしい」
「ダメです」
「頼むよ……ミシェルの事を思うと、不安で、不安で仕方ないんだ。俺の所為で彼女は……俺は彼女を助けたい。お願いだ。どうか、ミシェルの安否だけでも教えてほしい。初めて心の其処から誰かを好きだと実感したんだ。君もそう言った経験があるだろ?」
「ないですね」
「……そうか」
思わず溜息が漏れる。過去に恋愛小説が嫌いな女はいないと小耳に挟んだのを思い出し、情に訴えかけてみようと試みた心算なのだが……キールドは直ぐに別の方法を考えた。
「……ドレイクはどうしている?」
「お労しやドレイク様……少し前に地下牢へ連れて行かれるのを見たと、聞きました」
「城の?」
「はい。何でもアノ変態野郎がお仕置きするとかで――」
「頼む! 此処から俺を出してくれ! 早くしないとドレイクが一生消えない傷を負うことになってしまう。頼む。俺は弟を助けたい」
「……先程はミシェル様を助けたいと仰いましたが?」
「何方も俺にとって大切な者だ。助けたいと思うのは当然だろう?」
「……そうですか……」
「頼む」
「……キールド様に大切な者がいらっしゃるように、私にも大切な者が居ます。家族です。手を貸したいのは山々ですが、今の王様は気が立っていらっしゃる……。命令に背けば私ではなく、私の家族が犠牲となります。私もドレイク様をお助けしたい気持ちは応援したいところですが、今の私には其れができません。どうかご容赦ください」
「なら仕方がない」
クローゼットから工具箱を取り出し、ドライバーを手に取った。手間は要するが今は此れしか道具がない。蝶番の片側を外し、ドアを開ける。
「えっ! えぇっ!?」
困惑したメイドは目を丸くしながらキールドとドアを交互に見た。
「すまない。お前の家族よりも、ドレイクの方が俺には大切なんだ」
躊躇なく後頭部を打撃して意識を奪う。メイドを室内に連れ込み、工具箱から取り出した荒縄で縛り上げ、キールドは牢屋へ急ぐ。警備兵達の目を掻い潜りながら進み、牢屋へ続く階段が在る扉の前に立っている二人の兵士の意識を強制的に奪い、一人を階段から突き落とす。物音で管理室から最初に出てきた兵士目掛けてもう一人を投げ落とすと同時に階段を駆け下り、騒ぎに気付いて出てきた残りの兵士達を瞬く間もなく拳で黙らせた。意識を取り戻された時に騒がれては困るので一人一人を投獄し、手枷で壁に繋いでから管理室にあった布を適当に裂いて口の中に詰め込んでいく。足音を消しながら歩き続け、ドレイクの存在を感知したのは階を一つくだった一角。
「僕に触るなぁっ――」
心の其処から嫌なのが伝わってくる声音が響く。足音を消し、ゆっくり近づき物陰に身を潜め、絶句した。
「ァッ、嫌だぁっ、嫌――」
パンパンパンパンと弾けるような小気味のよい音が響く。ジャラリ、ジャラリと揺れるのはドレイクを繋いだ鎖だろう。聴覚に聞こえてくる音だけでどのような行為をされているのか手に取るように把握でき、ギリッと奥歯を噛みしめ拳を握る。
「おらもっと奥まで咥えろや!」
「っ――」
「ほら気持ちいいだろ? 気持ちいよなぁ? 母子揃って俺のチンコがお気に入りだもんなぁ?」
男が嗤う。
「ほら鳴け! 喚け! もっと腰を振れ!」
ベチン。と皮膚をはる音が響く。フー、フー。と獣のよいに荒い呼吸が聞こえた。喘ぎを漏らさないように耐えているのだろう。
「お前の兄貴はもっと可愛い声で鳴いてたぜ?」
ふとキールドの全身が強張り穴が締まり腸壁が動き出す。背筋を震えさせるのは脳裏によみがえる甘い痺れか、其れとも嫌悪か。
「ハハッ、高貴なお方を二人も貶める事が出来るなんて、最高な気分だぜ」
「よくも兄上を……殺してやるっ! 父上諸共お前を此の手で――」
「おーおー。威勢のいい事で。お前、兄貴の事が好きなんだろ?」
「違ぁっ――」
「嘘を吐く必要はねえよ。メイドが噂をしていたぜ。お前が兄貴を思いながらオナっていたと。絵になるくらい綺麗だったらしいな? 枷を外してやるから俺にも見せてくれよ。俺はな、綺麗なものが大好きなんだよ」
「殺してやるっ、お前なんか殺してやるっ!」
「おーおー、こえぇ、こえぇ。じゃあ枷を外すのはなしだな」
「赦さないっ……絶対に、赦さないっ!」
「残念だったなぁ? 兄貴の処女を奪えなくて!」
「殺してやるっ、お前なんか殺してやるっ! ……うあっ、嫌ぁっ、其れ、嫌だぁっ! やめろっ、やめっ――」
「兄貴とこうしたかったんだろ? なら目でも閉じてろよ。なぁんにも視界に映ら無くなれば何が見える?」
「クソッ、クソッ!」
「ハハッ。そうだ、其れでいい。嫌なら何も見なければいい。頭の中で都合のいい光景を浮かべて意識を其方に向ければいい」
「嫌だ……こんなっ、兄上――」
「ハッ! お前も人間だなぁ? 王子。所詮性欲に抗えねぇってわけだ!」
「うっ……ぁっ、嫌ぁァッ――」
ドレイクから甘い吐息が漏れていく。
「ハハッ! そう。そうだっ! もっと腰を振れ!」
男の嗤い声がこだまする。
「助けて」
弱々しい泣き声にふと我に返るキールド。
「兄上っ――」
呼ばれた瞬間、豆が弾けるように動き出す。鉄格子戸を開けた音に男が振り返る時にはもう遅い。気配を消して距離を詰めたキールドが冷やかに睨み付けながら両手で掴んだ頭部を力任せに時計回りに捻る。ボギッと鈍い音を立てて何かが折れ、糸の切れたマリオネットのように倒れた。男の着衣をあさって枷を外す為の鍵を探す。ズボンのポケットに忍び込ませた指先に触れた冷たい鉄の感触。引っ張ると三本の鍵がぶら下がった輪がジャラリと鳴る。
「ドレイク」
「っ――」
涙と鼻水や唾液で整った顔をグチャグチャに汚しながら濡れた新緑の視線が向く。ハッとした顔に浮かぶのは羞恥か。絶望か。
「嫌だっ、嫌だぁっ! 見るなっ! 僕を見るなぁあああああっ!」
拒絶を露わにする度に、ジャラリ、ジャラリと鎖が激しく音を立てる。キールドは安心させるように表情を緩め、慈愛を籠めた視線を向けながら力強く抱きしめた。
「ドレイク」
もう一度、名前を呼んだ。ピタッと動きが止まり、嗚咽が漏れる。
「お前が手を汚す必要はない。其の手は生まれてくる命を抱く優しい手だ。汚す事は俺が許さない」
「……兄上……聞いて、いたのでしょう? あの男が――」
人差指を立て自身の唇に触れさせてから、鍵を適当に枷の穴へ差し込み手首を捻りカシャカシャと音を鳴らす。二つ目の鍵でカチッと小さな音が響き、パカッと開いた枷から赤黒く擦れた手首が解放された。
「俺はいつでもドレイクの幸せを願っている」
言いながら昔そうしたように頭を撫でると、苦しそうに歪む表情。
「兄上は酷い」
「兄が弟の幸せを願って何が悪い。其れともドレイクは気持ちを拒絶され傷付く事を望むのか?」
「こんな時くらい、文句の一つを優しく受け止めてください」
「すまない」
「……こんなの、兄上には見られたくありませんでしたが……お相子、ですね」
「ああ、そうだな」
「……助けてくれて、あるがとうございます。兄上」
「借りを返しただけだ。礼を言われる筋合いはない」
着ていたジュストコールをドレイクの肩にはおらせる。
「此れからどうするんだ?」
「……僕の事はほうっておいて、兄上は部屋でおとなしくしていてください。今は不用意に父上を刺激しない方が得策です」
「然し――」
今度はドレイクが人差指を立てて黙るように合図した。
「父上は兄上さえおとなしくしていれば文句がない筈です」
「……其れでお前が助かるなら、そうしよう」
「ありがとうございます、兄上。次に顔を合わせるとしたら、兄上の婚姻の儀が開始される頃でしょう」
「俺はあんな女と番(ツガ)いになる心算は毛頭ない」
「存じております。ですが、兄上が心配する必要はありません」
「何を企んでいる?」
「国を継ぐ気のない兄上に教える義理はありません」
「…………」
ほんの少しだけ、ズキンと心が痛む。
「なら、此れはドレイクが所持するべきだ」
キールドは首から下げていたチェーンを手繰り寄せ、引き千切ると通していた黄金色に煌めく指輪を差し出した。
「此れは……?」
「イフェリアの国章。王である証だ。初代国王が錬金術で作ったと言われている、とても珍しい代物だと聞いたことがある」
「父上も同じ物を所持していますよね?」
「アレは本物の金だが、王の証としては偽物だ。本物は〝金とよく似た鉱石〟で作られているらしいからな」
「何故、兄上が此れを?」
王位を継ぐ気などないのに。と付け足される。当時を思い出したキールドは不貞腐れながら口を開く。
「俺が人形作りが趣味なのを知っているだろ? アイツは勝手に俺の人形を始末した。他人の趣味に五月蠅く口を出すだけならまだ我慢の仕様もあるが、大事な物にまで手を出された以上、相応の代償と心からの謝罪の意思がない限り赦す事が出来ない。お前も知っているとは思うが、俺は悪人でもなければ善人ではない。同等と判断した価値のある物を奪ってやったわけだ」
「でも、どうやって?」
「そりゃあ、寝静まった頃に寝室に忍び込んで指から抜き取るしかチャンスがないだろう? 知っているか、ドレイク。母上は王のイビキが不眠の原因となり夜は別室で寝ている」
「なるほど」
「きっと此の日の為に、俺は大事な人形を始末されたのだろう。全ては守護天使の導き、だな」
「兄上は地味に信心深いですね」
「俺は自分都合の事しか信じない」
誇らし気に笑う。
「ドレイクが国を担うのなら、安泰だな」
「兄上……僕は、いつでも兄上の幸せを一番に祈ります」
「莫迦者。一番に祈るべきは妻子の幸せだろ?」
「何を言っているのですか兄上。僕が国を治める以上、今よりも国を幸せにしてみせます。ですから妻子が幸せなのは当たり前です」
「そうだな」
「そうです」
二人は顔を見合わせ笑い合う。
「さぁ、兄上。別れを惜しむ時間はありません。早く部屋へ」
「ああ、分かった。ありがとう、ドレイク」
後ろ髪を引かれる思いで其の場を後にする。人目を避けながら自室に戻ると、拘束したメイドは瞼を半開きで大口を開けながらイビキを立てて眠りこんでいた。胆が据わった態度に感心とも呆れとも判断の付かない溜息を漏らし、ペチペチと頬を叩きながら起こす。
「んあっ!?」
瞼を開いたメイドは阿保面をキールドに向け、数十秒間ボーッとした末にハッとなり口端から垂れた唾液を拭こうと腕を動かし拘束されている事を思い出したのか、気恥ずかしそうに笑う。
「よく眠れたか?」
「はい、お陰様で……」
「そうか。よかったな」
溜息交じりに言い、拘束を解く。メイドは直ぐに口端の唾液を袖口で拭い、取り繕うように愛想のよい笑みを浮かべた。
「一応聞くが、俺の脱走は誰かに気付かれたか?」
「えっと……誰にも眠りを妨げられていないので、多分誰にも気付かれていないと思います」
「そうか。なら、此の事を二人だけの秘密にしていてほしい」
「勿論です。寝ていたとバレたら首が幾つあっても足りません」
「助かるよ」
蝶番を外したドアを元に戻し、すっかり冷めた食事を口にする。めぐる思考はミシェルの事ばかり。意識を思考に奪われ咀嚼の回数が自然と増えていく。一人で食事をとることは珍しくない筈なのに、今宵の料理は味気なく感じた。
【抵抗と代償】終
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