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「っ――」


 不意に目を覚ましたミシェルは絶句した。恥骨の奥底から湧き上がる熱と神経を伝う得体の知れないくすぐったさに反射的に背筋が仰け反り、顔が歪む。下腹部で感じる質量のある異物に突き上げられる度に口から漏れる甘い声。クチュ、クチャと響く湿った音に、結合部からとめどなく溢れるヌルッとした生温かい液体は仄かに生臭い。


「あら、お目覚め?」


 妖艶に微笑みながら此方を見下ろす赤いドレスを纏った美貌の女。


「嫌ぁっ、嫌だぁっ――」


 思考を埋める、恐ろしいほどの心地良よさ。


「ひっ、ぁ、ぁっぁっぁっぁぁっ――」


 声を上げたくもないのに、一度溢れた単発的な悲鳴は止まらない。


「んぐっ、ァッぁっァッぁっ――」


 嫌だと感じる理性とは裏腹に、攻め立てられる心地よさばかりが思考を埋めていく。


「キールド様とも、こんな風に関係を持ったの?」


 赤いドレスを纏った女が問い掛ける。


「コイツ、処女ですっ!」

「ひぁっ――」


 グッと奥まで入り込んだ異物がビクッと震えて温かい液体をナカに注いだ。其れでも治まりを見せない男のイチモツは硬さを維持した儘、ミシェルのナカを攻め立てる。


「やだ、貴女の顔。気持ち悪い」


 赤いドレスの女は嗤う。


「助けて、キールド!」

「幾らでも叫びなさい。誰も助けに来ないのだから!」

「ひぃっ、ぁっァッァァッぁっ、ぁ、ぁァ――」


 ―― 嫌だ、嫌だっ。――


「助け、助けてぇっ!」


 ―― 怖い。――


「ひんっ、ぁっ、ぁ、っァッァぁッ――」


 ―― 恐い。――


「嫌ぁっ、やめっ――」


 ―― コワイ。――


「嫌ぁああああっ! 嫌っ、嫌ぁあああっ! 気持悪いっ、気持ち悪いィッ!」

「気持悪い? そりゃあ、お前の顔、だな」


 男は下品に嗤う。


 気持ち悪い。気持悪い。気持悪い。其の単語ばかりがミシェルの脳を埋めていく。


「気持ち悪いっ!」


 ―― 何が? ――


「気持ち悪いぃっ!」


 ―― 誰が? ――


「気持ち悪い!」


 ―― 全部、全部、気持ち悪い。――


「気持悪い……」


 ―― 聞える吐息も、脈打つ心臓も。感じる体温も。――


「はっ、俺が抱いてやってるんだから、もっと悦べよ!」

「嫌ッ、嫌ぁあああっ、嫌ああぁああああああああああああああっ!」


 泣きたいのに流す涙をもたないミシェル。


 ―― ごめんなさい、キールド。――


 こんな場面を見られたらきっと軽蔑されることだろう。


「嫌ぁあああああああああああああああああああああああああっ!」



 ―― 其れならいっそ、全て、全て、捨ててしまおう。――


 ―― さようなら。――


 ミシェルのナカで何かが音を立てて崩れていく。


 ―― さようなら、キールド。――


「ぎゃぁああっ!」


 突如として男が悲鳴をあげて大きく背筋を仰け反らせた。


「目がっ、目がああっ!」


 片手で顔を覆いながら繰り返し喚く。


「目は二つあるのだから、構わないでしょう?」

「このあまぁああああああああああああっ!」


 力いっぱいに醜い男がミシェルの右頬を殴った。何度も、何度も、何度も、何度も、二つある腕を交互に動かしながら握った拳で繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、殴る。


「ふふ……ふふふふ……ふふふふふふふふふふっ、あははははははははははははははははははははははっ! あはははははははっ!」


 突然笑い始めたミシェルに対し、其の場に居た誰もが怪訝を浮かべて動きを止めた。其の瞬間にミシェルが男のもう片方の目を潰し、蹴り飛ばす。貧相な身体のどこにそのような力が会ったのだろうか。弱者だと思い込んでいた物による反撃を食らい、赤いドレスを纏った女の足はガクガクガクガクと震えだす。そんな事を気にもしないミシェルは近くにあった熊の置物で、床を這いずるように逃げようとしている男の頭を強打した。小さく呻いた男は其の儘べしゃっと横になり、其れでも匍匐前進で逃げようとする。


「…………」


 男の上に馬乗りになり、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、男の頭を強打すると、ゴツッ、ゴツッ。と鈍い音が響き、やがて、ベチャ、クチャァ。と湿った音へと変わっていく。すっかり動かなくなった男の崩れた肉片を掴んで口へと運び、ペチャクチャと咀嚼し、嚥下した。


「不味い……」


 ペッと吐き出すと男からおりて赤いドレスの女を見る。


「汚い。貴女は色んなニオイがするのね」


 静かに微笑むミシェルの虹彩が満月のような銀の色を宿していることに恐らく当人は気付いていないだろう。


「ひっ……あ……あぁ……」


 其の場に腰から崩れて尻餅をついた赤いドレスの女は目をかっぴらき、震える声を漏らしている。


「ニンゲンの血って、赤いのね。あたしの血は、何色かしら。でも其の前に……お腹が空いたわ。貴女を食べさせてくれないかしら?」

「ヒィッ――」


 ガチガチガチガチガチガチガチガチと歯を噛み鳴らしながらジョボジョボとアンモニア臭が強い体液を漏らし、赤いドレスにシミが広がっていく。やがて布が吸い切れなかった液体が床に広がり水溜まりと化した。


「あらあら、此処はお手洗いではないのよ? はしたないわねぇ」


 何処までも深く穏やかな声音は言葉を続ける。


「大丈夫よ。直ぐに終わるから……」


 ゆっくりと近付いた。


「イヤ……、来ないで……。ごめんなさい、ごめんなさい。お願いだから、助けて!」


 赤いドレスの女は腰を抜かし、大粒の涙と鼻水で顔をグチャグチャに歪めながら祈るような姿を見せる。


「自分だけ助かろうなんて、ムシがよすぎると思わない?」


 熊の置物を振り上げ、勢いに任せて降ろす。赤いドレスの女は反射的に瞼を閉ざした。


「…………」


 だが待てども暮らせども痛みが来ない。いつの間にか俯いていた顔を恐る恐る上げると、純白のローブを纏っている後姿が視界に映る。


「……タナトスさん」


 ミシェルが名を呼ぶと、ハイ。と返すタナトス。ミシェルの手から離れた熊の置物が、ゴトッ。と音を立てて床に転がった。目に見えてフードごと頭が陥没しているのが窺える。


「ごめんなさい、あたし……」

「大丈夫デス。此れはタダの抜け殻デスシ」

「そう……よかった。でも、ごめんなさい」


 ミシェルは部屋を出て行った。廊下で擦れ違った者達の悲鳴が木霊しするのが聞こえてくる。


「化け物だ!」


 誰かが叫ぶ。


「化け物が出たぞ!」


 別の誰かが言う。


「魔討を呼べ!」


 また別の誰か声をあげる。


「魔討なんか待っていられない! 俺達で化け物を倒すんだ!」


 無謀にも誰かが声高らかに謳う。


 そんな騒ぎを聞きつけたキールドが部屋を訪れるなり、タナトスの胸倉を掴んで睨み付けた。


「何があった! 説明しろ!」


 そう怒鳴るとタナトスの背後で赤いドレスの女の肩がビクッと跳ねる。


「あンまり、揺らさないでクダサイ。術が解けて身体が腐り落ちている最中なンデスヨ」


 ぼた。ぼた。と崩れ落ちる腐肉が床と接触してベチャッと小さな音を立てた。ビチビチビチビチと肉辺の中で蛆が跳ねまわっている。


「っ――」


 流石のキールドも不意に鼻を衝いた腐臭に顔を顰めた。


「彼女は僕が冥府へ送りマス。こンな事になっては彼女もそう望むでショウ」

「お前にミシェルの何が分かる!」

「死、デスカネ。彼女が理性を保ててイル内に死を願ってイル事が解りマス」

「……クソッ!」


 キールドは足早に立ち去る。



    ※    ※    ※



 空は曇り、今にも泣き出そうとしていた。寄せて返す波は荒々しく揺れている。岩場にある大きな岩陰にミシェルは一人、立っていた。


「ミシェル!」


 キールドは声を張り上げ何度も名前を呼んだが、ゴーゴーと吹き荒れる強風に掻き消されて一つも届かない。無意識的に舌打ちを漏らして駆ける速度をあげようとした刹那、背後から迫って来ていた魔物討伐軍の隊員に捕まった。


「キールド様! なりません! あの女はもうバケモノと成り果てたのです!」

「そうです! 丸腰の貴方が近付いて、もしも万が一の事があったら――」

「煩い黙れ! 邪魔する者は皆、家族諸共処刑するからな!」


 そう叫び、高速の手が緩んだ瞬間に逃げ出し、駆ける。



 向かうはあの日に交わした約束の場所。



「ミシェル……」


 ミシェルが背にしている大岩の前にキールドが立つ。


「こんばんは、フラン。……今日の海は荒れているから近付かない方が身の為よ」


 其の声音は酷く落ち着いている。


「其れは君も同じだよ、ミシェル」

「あたしは大丈夫」

「……其方に行っても……?」

「来ないで」


 凛とした彼女の声音はいつもの弱々しさなど微塵も感じない。


「ずっと夢を見ていたの。あたしは、本当は醜い化け物に姿を変えられて、そんなあたしを愛してくれる人が現れたら……其の愛で呪が溶けて本当の姿に戻れる夢」

「ミシェル、俺は――」

「だけど、現実はそうじゃないの。夢は幻想。泡沫のように消えていく」


 ミシェルは静かに海を見据えた。


「楽しい夢をありがとう」


 キールド。ミシェルは確かにそう付け足した。


「いつから、俺がフランだと?」

「今、かしら。あたしね、ニンゲンの肉を食べたのよ。不味くて吐き出したけれど、命の味が忘れられなくて……酷く、空腹を感じているの。心の底から思うのよ。ニンゲンの肉が食べたいと。あたしは容姿に相応しいバケモノになってしまった」

「ミシェル……」

「歌声が好きと言ってもらえたのは、とても嬉しかったわ。ありがとう」

「早まるなよ、今、其方に――」

「ダメ。此方に来てはダメ。我慢できないの。お腹、空いた……。今、貴方を見たら此の食欲を抑えることは叶わない! お願いよ、キールド。此れ以上、あたしを苦しめないで!」


 ゴロゴロと空が低く呻き、近くて遠い場所で閃光が空気を割いた。


「あたしは貴方を……――」


 ミシェルは顔を両手で塞ぐ。


「こんなにも苦しいのに。悲しいのに。つらいのに。一粒も涙を流す事が出来ない」


 ぽつり、ぽつりと雨が降る。


「俺は、お前に何をしてやれる?」

「何もないわ」


 鋭い雷鳴が空気を震わせ海へと落ちた。


「……さようなら、キールド」


 大岩に打ち付け飛沫を挙げた高波がミシェルを攫う。


「ミシェルッ!」


 直ぐに大岩に上ったキールドは其の儘海へと飛び込んだ。



  【歪んだ真珠】終

――――――――――

補足

・魔討・・・イフェリアにある魔物討伐軍の略称。

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