05:擦れ違いと悪循環

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 場所はキールドの部屋。ベッドに横たわり死んだように眠るミシェルの寝顔をジッと眺めた。風呂に入れて身体を温めたというのに触れた頬は氷のように冷たく、撫でる髪は朽ち縄のようにごわついており、握った手を握り返す気配もない。


「…………」


 指先に伝わる脈は弱く、繰り返される呼吸も浅い儘。ヘルシング卿が置いていったゲルゲルガエキスを薄く開いた唇の隙間へ数的落としながら様子をみたが、何が変わるわけもなく。


「ミシェル」


 片手を頬に添えた儘、かさつく唇をそっと親指の腹で撫で、部屋を後にした。



 廊下は先程の騒ぎを引き摺っており、警備兵や魔物討伐軍の赤を基調とした制服を纏った者達が忙しなく行き交っている。キールドが部屋を出たのを見計らい、一つの赤い影が入り込む。


「忌々しい化け物……」


 ミシェルを見下ろす赤いドレスの女は美貌を憎しみに歪めている。


「どうして? どうして、貴女のような化け物が彼の傍に居られるのよ!?」


 真っ赤な手袋を纏った両手を細い首へ伸ばす。


「何を、している?」


 不意に背後から掛けられた声に反射的に手を引っ込め振り返ると、藍色を基調としたジュストコールを纏ったキールドが立っていた。


「誰の許可を得て、俺の部屋に入った」


 不快を浮かべながら鋭く言う。


「申し訳ございません。わたくしは、ただ――」

「ミシェルに何をしようとしていた」

「わっ、わたくしは、別に……――」


 バツが悪そうな表情を浮かべて足早に部屋を出て行く赤いドレスの女。完全に気配が遠のいたのを確認すると、ニィッと笑うキールドの姿が揺らぐ。


「ふふ、我ながら迫真の演技デシタ」


 次に姿が定まった時、其処には白いローブを纏い深くフードをかぶって長い前髪と合わせて目元を完全に隠しているタナトスが立っている。


「便利な擬態能力ね。あたしも欲しいわ」


 首だけをタナトスの方へ向けているミシェルは言った。


「魂の回収率を上げる為に、時に死者が望む者の姿を真似て冥府へと誘いマス。マァ、元々死は不定形デスシ、目に見える物の全てが正しいカタチをしているとも限りマセン」

「そう……。あたしの容姿も、正しいカタチでなければよかったのに」

「……もう大丈夫なンデスカ?」

「ええ、だいぶ楽になったわ。ゲルゲルガを口にしたのは初めてよ」

「もっと飲ンでクダサイ」


 ベッドサイドに腰をおろすとサイドテーブルに置いてある小瓶を手に取り、蓋を開けて差し出す。ミシェルはゆっくりと上半身を起き上がらせて小瓶を受け取り液体を嚥下した。食堂を伝い胃に落ちた瞬間から吸収されて内側から渇きが潤っていく。


「あたしね、貴方に会えたから死ねると思ったのよ」

「残念でシたネ。僕は死と呼ばれる立場ではありマスガ、必ずシも死を齎すトモ限らないンデス。……定められた死以外を招く事もあるカラ、ただの疫病デスケド」

「そんなことないわ。死は救いとなる事があるもの。貴方が誰かの死期に引き寄せられるのか、死期を迎える者が貴方に引き寄せられるのかは分からないけれど、けっして疫病ではない」

「僕が齎せる救いなンて、所詮は一時の幻想デスケドネ」

「……例え一時でも、幻想でも、得た瞬間は幸福感に満ちることが可能だわ。死がすぐ傍にあると実感するだけで安心を得るヒトもいたはずよ」


 ミシェルは小さく笑う。


「ところで、あたしに何か用かしら?」

「蒼の魔女カラ伝言デス」

「何かしら」

「此の短剣でキールドを殺シなさイ。そうスルシか、お前が助カル道は無イ」


 言いながらタナトスは何処からともなく魔術的な文様の彫が美しい銀の短剣を取り出し、柄をミシェルに向けて差し出した。


「期限を迎えるまでには、まだ時間があるはずよ?」

「夢カラ醒めるナラ早い方がイイ」

「夢でも構わない!」


 短剣を払い落とす。


「夢でも構わないわ。だってあたし、キールドと過ごして……幸せ、だったもの……」

「本当に?」

「……少なくとも、海で暮らしていた時よりは満たされていたわ。一緒に居て、心地良いとさえ思ったの。キールドに触れてもらえるのは、素直に嬉しい。キールドは、あたしの歌声を気に入ってくれた。例えあたし自身を好いていないとしても、嬉しいと思う」


 俯きながら紡がれる言葉。


「此の儘、ヒトの姿で在り続けたとシテも、貴女が望む物を与えらレル保証は――」

「分かっているわ。誰かに愛されたいなど、おこがましい考えだったのよ。最初から、分かっていた。あたしには歌声しか求められていない。歌を聴いてくれた者でさえ、あたしを見たら逃げて行くもの。自分の容姿が誰かの許容範囲外だと自覚はしているのよ」

「……僕は貴女が醜いとは思いマセンケドネ」

「嘘を吐く必要はないわ」

「貴女よりも、もっと、もぉおおおっと、醜い存在を知っていマス」

「……そう」

「きっと、キールド王子も僕ト同じ見方をシてイルと、思いマス。蒼の魔女も、ヘルシング卿も同じデス」

「慰めなど要らないわ」

「見た儘を言ってイルだけなンデスケドネ」


 アハハ。と笑う。


「……あたしはもう、今までのようには歌えない。ニンゲンの命を口にした時点で、忘れていた物をぜぇんぶ思い出してしまったの。見た目に似合った化け物に成り果ててしまった。あの女が憎らしい。何もかもが、憎らしい。……魔女さんに伝えてちょうだい。あたしは夢を見た儘、静かな眠りに就きたい」


 タナトスを見る銀の視線は酷く沈んでいる。


「……了解シマシタ」

「一つ聞いても?」

「僕に答えられるコトなら答えマショウ」

「人魚の上級種は見目麗しい美貌をしていると聞いたわ。あたしは上級種と同じ色をしているけれど、此のように醜いの。劣化種なのかしら?」

「貴女の歌声が持つ魔力は他よりも高いカラ、上級種で間違いナイと思いマス。貴女のもつ蒼い髪と、同色の鱗、鰭等が其の証拠デス。容姿については分かりかねマスガ、魔族や魔物にも奇形が生まれる事は稀にありマス。かと言って貴女が奇形であると断言スルのはどうかと、思いマスケド」

「そう……ありがとう」


 小さく笑う。


「モウ少し、休んでいてクダサイ」


 ゆっくりとミシェルの肩を押して横たわらせた。


「時期に夜が明けマス。じゃあ、僕は此れで」


 言い終わるや否や、姿が滲み、霞み、揺らいで消えていく。一人残されたミシェルは瞼を閉ざして深呼吸を繰り返す。此処の空気はキールドの匂いで満たされている。其れが鼻孔を満たす度に、心が落ち着いていく錯覚に陥った。


「あたしは、キールドが好き」


 ポツリと漏らす。


「キールドが、欲しい……」


 絡み付く睡魔に意識を奪われ、再び眠りについた。



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