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 すっかり日が昇った頃、部屋につくなりミシェルは大きな欠伸を数回繰り返す。強制的に浴室に連行されて足の爪先から頭の天辺まで洗われ、丁寧にブラッシングまでされたミシェルは代わり映えの無い白いワンピースを纏いベッドに倒れ込む。


「おやすみなさい、キールド」


 瞼を閉ざした儘言うと、ちゅ。と唇が額(ヒタイ)に降ってきた。


「おやすみ、ミシェル。良い夢を」

「…………」


 溶けるように意識が眠りへ落ちていく。



 次にミシェルが目を覚ました時、室内にキールドの姿はない。気怠さが抜けぬ儘、ベッドからずり落ちて脱衣所へ。洗面台で顔を洗うも眠気が醒めることはなく。


「ミシェル!」


 キールドの声がした。はーい。と返事をすると一直線に足音が脱衣所へ向かい、少し乱暴に扉が開けられた。


「ミシェル! 此処に居たのか。ベッドに居ないからてっきり……」

「おはよう、キールド。……貴方は眠れているの?」

「ああ。君は……酷い顔だな。暫くは夜の外出を禁止にしよう」

「嫌よ」

「ところで、ミシェル。箱を知らないか」

「猫が入っていたわ」

「猫?」

「白猫の遺体よ。酷いわキールド。何故あんな事を?」

「勝手に決め付けないでくれ。俺は何もしていない。アレは、あの女が――」


 ふとキールドは眉間にシワを寄せて言葉を嚥下した。


「其の猫の遺体は?」

「埋めたわ」

「何処に?」

「浜辺の端の方」

「……参ったな」

「猫がどうかしたの?」

「まずい事になった」


 考え込むキールド。ミシェルは不安を浮かべた視線を向けるだけ。二人が王に呼び出され。強制的に会議室へ連行されたのは十数分後の事だった。


 会議室の下座には関係者と一括りにされた者達が集められており、話しを聞くところによると、アレン皇国第二皇女――赤いドレスを纏ったスレンダーで全体的に派手な美女。以降〝赤いドレスの女〟表記――が連れて来ていた愛猫が行方不明となっているらしい。


「猫を知らぬか」


 王が集めた者達に問い掛ける。十数秒の沈黙を経て中年太りの使用人が控えめに手を上げ口を開く。


「其方に居らっしゃるミシェル様が猫部屋から出ていくのを見かけました」


 周囲が騒めき視線がミシェルに集まった。


「寝言は寝て言え。コイツはやっと、浜辺から俺の部屋への道筋を覚えたほどの莫迦だぞ」


 退屈そうにキールドが続ける。


「もしも仮に、道に迷った末に猫部屋に辿り着いたとしても、あの莫迦猫共が易々とうすのろ女に捕まるとは思えないが」

「……貶すのか、フォローを入れるのか、何方かにしてほしいわ」

「お前はミシェルが猫を連れだしたのを見たとでも言うのか」

「そ、其れは……」


 中年太りの男はキールドに睨まれ言葉を濁す。


「白い何かを持って歩いているのは、見ました」


 中年くらいの別の使用人がミシェルを指差しながら言う。


「其れは本当に猫だったのか」


 キールドが睨み付けると矢張り使用人は強く言えずに言葉を濁す。


「そもそも、何の為にミシェルが猫をどうこうすると?」

「わたくしとキールド様の婚姻を妬んでの嫌がらせに決まっていますわ!」


 赤いドレスの女が声を荒げる。


「そんな――」

「元より俺はお前と婚約した覚えがなければ娶る気も晒さない。其れをミシェルも承知しているから俺の傍に居る」

「もうやめて。猫が可哀想よ」

「お前は黙っていろ」

「黙るのはお前だ、キールド」


 威嚇するように王が言う。


「お嬢さん。もしも、何かを知っているのなら、話を続けなさい」

「……はい。……部屋を出ようとしたら白い箱がありました。メッセージカードにあたしの名前が書いてあったから、てっきりキールドからの物だと思って中を確認しました。箱の中には死んだ白い猫が入っていたので、浜辺に埋めました」


 周囲が騒めくと、王が一同を黙らせる。


「あの人が言っていたのは、其の箱を持っていたあたしだと思います」


 二回目に発言した使用人にヴェールの下から視線を向けた。


「嘘よ! そんな事を言って、貴女がわたくしの猫を殺して埋めたのでしょう!? 酷い。酷すぎるわ! キールド様と婚約しているのはわたくしなのに……――」


 赤いドレスの女は両手で顔を覆い隠し、嗚咽を漏らす。


「アノォ……」


 空気を窺うように一人の使用人が存在を主張する。黒い前髪で目元を完全に覆い隠し、口元でしか表情を窺えない使用人は赤いドレスの女を指差した。


「猫チャン、其処に居マス」


 言いながら示される先に一同が視線を向けると、赤いドレスの女の膝元に白いオッドアイの猫が品よく座っている。凛とした美しい顔立ちは直ぐにバケモノのように歪み、全身の毛を逆立てて赤いドレスの女に威嚇をしてみせた。其の両目に憎悪が浮かんでいるのは一目瞭然だ。


「猫チャンを殺シたのは、貴女自身……デスヨネ」

「言い掛かりよ!」

「黙らッシャイ!」


 間髪入れずに言い返す使用人はあっという間に闇に包まれ、次に姿を見せた時は純白のローブを纏い深くフードを纏っていた。其の代わりように王の顔色がみるみる内に変わっていく。


「僕は神の代行者所属の墓守、タナトス。如何なる死も僕の前では偽る事が出来マセン。今は僕の力で皆サンにも猫チャンが見えるようにしてありマス」

「そんなのでたらめに決まっているわ! タナトスは誰かの想像の産物でしょう!?」

「口を慎みなさい!」


 王が声を張り上げ、ゆっくりタナトスと名乗る使用人の前に歩み寄り、膝を着く。


「タナトス様とは露知らず――」

「挨拶とか要らないデス。そンな暇があるのナラ、誰かを貶める為に死を利用した彼女の処罰を希望シマス」

「そんな……――」


 赤いドレスの女の顔色が蒼褪めていく。


「一昨日、彼女がミシェルサンに暴行を加えているところも、目撃しマシタ」

「……本当、なのか?」

「…………」


 縋るような視線を向けられ、プイッと顔を逸らす。すると今度はミシェルに視線が向けられ、コクン。と頷く。


「ああ、何てことだ! お前の素行は承知の上だったか、此処までとは! 何故大人しく待つ事が出来なんだ?」

「もっ、申し訳ありません王様。ですがわたくしにも言い分がありますわ」

「言ってみろ」

「わたくしはキールド王子の婚約者としてイフェリアに来ました。ですが蓋を開けたら此の様。キールド様は他の女を孕ませたから責任を取ると仰るではありませんか! あんまりです! わたくしは国を捨て、尽くす心算で此方に参ったというのに!」


 其処から先に続く言葉は、寂しかった。振り向いてほしかった。等のありふれた台詞ばかりが続く。


「……皆の者。急に呼び出しすまなかった。此の件は忘れてくれ。勿論、他言も無用だ」


 鶴の一声で集められた者達がぞろぞろ会議室を後にした。出て行こうとしたミシェルとキールドは王に呼び止められ、立ち止まる。


「彼女の事、悪く思わないでほしい」

「先に言うことがあるだろ」


 ミシェルよりも早くキールドが言葉を続けた。


「一昨日ミシェルは其の女に殺されかけたんだぞ。そして今日不要な濡れ衣を着せられそうになった。不祥事をミシェルの生にして追い出そうとでもした――」

「黙れ愚息よ。元よりお前の女癖の悪さが――」

「ゴホン」


 タナトスが咳払いをする。


「責任の擦り付け合いデスカ。反省スる気がないのナラ、僕が直接罰シマス」


 何処からともなく結束バンドを取り出し赤いドレスの女に近付いた。


「取り敢えず彼女を連行しマスネ」

「おっ、お待ちくださいタナトス様!」


 王が膝を着いてタナトスの足元に縋る。其の隙に、早く行け。とキールド達に合図を送り、見送った。

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