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 此処は城の一角に在るダンスホール。父親に呼び出されていたキールドは激怒していた。自分達の知らない所でアレン皇国の第二皇女――ミシェルと同じ名前を持つ赤いドレスを纏った妖艶な女――との婚姻話が進められており、四日後には式を開くよう手配している事を打ち明けられ、挙句の果てに前祝いの宴に参加させられていたのだ。人目を盗んで料理が並んでいる大テーブルの下に隠れていると、失礼いたします。と黒いスーツを纏った初老の男が猫のようにスッと入って来た。声を掛けてきたのはキールドの二代目世話役を買って出た執事。


「お預かりしていた箱をお部屋にいらっしゃるミシェル様に届けましたが、お出になりませんでしたので、扉の前に置いておきましたが」

「箱? 俺は頼んでいないぞ」

「アチラのミシェル様が貴方様から託された箱だ、と仰っていたのですが……」

 チラッとテーブルクロスを持ち上げ真っ赤なドレスを纏った美貌の女に視線を向ける。

「初めは断ったのですが、タイミング悪く王様が来てしまいまして……」

「そうか。悪かったな。変な事に巻き込んで」

「とんでもございません。そして、此処からの脱出方ですが――」


 執事は内ポケットから黒革の手帳を取り出し手書きの地図を見せながら口頭で説明した。方法は至って簡単。女装して紛れ込んでいるヘルシング部隊員のドレスの中に忍び込むだけ。考える間もなく決行され、ダンスホールから離れた通路の影でスカートの中から飛び出したキールドは協力者に礼を言い、足早に其の場を立ち去った。


 廊下では四日後に控えている式の為に使用人達が慌ただしく動いている。夜くらいしっかり休めばよいのに。と思いはしたが、彼等が普段以上に忙しくしている原因を作っているのが自分であると悟り、小さな罪悪感を芽生えさせたのは言うまでもなく。



    ※    ※    ※



 時はキールドが部屋を出て行った頃まで遡る。寄せては返す波音が静かに響く室内で、ミシェルは大きな欠伸を浮かべ、パタッと横になった。瞼を閉ざして十数秒。無意識的に布団の中に潜ったミシェルは再び眠りへ落ちていく。


「…………」


 次に目を覚ました時、世界はニュクスに支配されていた。キールドの姿は部屋になく。時計を確認すれば夜も遅い。ミシェルはヴェールを纏い、いそいそと部屋の扉を開けた。


「……?」


 何かが引っ掛かる。視線を下に向けると淡い青のリボンに包まれた白い箱が置いてあるのに気付き、そっと扉を開けて一度廊下に出てから箱を拾い上げた。メッセージカードには綺麗な文字で[ミシェルへ]と書かれている。何を疑うでもなくキールドが置いていった物だと判断したミシェルは其の場で中身を確認した。


「酷い……」


 中にはくったりと力なく横たわる一匹の白い猫が。だらしなく開いた口からだらんと垂れ下がる舌。鼻や耳の穴から溢れる赤い液体。骨の形状を無視して此方を向いている頭が向ける視線は人間に対する憎悪が浮かんでいる。


「どうして、こんな事を……?」


 手に伝う感覚は温かく、感触は柔らかい。そっと瞼を閉ざしてあげた。


「…………」


 蓋を閉めて箱を抱いた儘、城を出て向かうは行き慣れた浜辺。出来るだけ城から離れた所の砂地を掘って、猫を埋める。


「ごめんなさい。あたしに出来る事は、此れくらいだわ。どうか安らかに眠ってちょうだい」


 そう言い残して向かうはすっかり指定席となっている大岩の影。寄せては返す静かな波音に耳を傾けた。


「……真っ黒ね」


 時折波間に見える白い影は何だろうか。遠く離れた場所で揺ら揺らと海藻のように揺れる無数の白い手がおいで、おいでと招いている。今宵はいつに増して死霊達が騒がしい気がして、ミシェルは慰めの為に歌を紡ぐ。澄んだ高音域の言葉を持たない歌声は波音さえも静めさせ、安らぎと鎮魂を祈りながら何処までも、何処までも、漂っていく。



 気付けばすっかり波間に揺れる白い影も、遠くで手招く無数の白い手も身を潜め、ただの闇夜が広がっていた。


「こんばんは、お嬢さん」


 ふと大岩の向こう側から聞こえる人がよさそうな声。


「こんばんは」

「今日も来てくれたんだね。嬉しいよ」

「ええ。約束だもの。……えっと……昨日はごめんなさい。うっかり寝てしまって……」

「それを聞いて、とても安心したよ。実は僕も昨日は用事が長引いてしまって、此処に来る事が叶わなかったんだ。……今宵は其方に行っても?」

「ダメ。何度も言わせないでちょうだい」

「ごめん。然し、君の気が変わる可能性だって、あるだろう?」

「一生ないわ」

「そうか。其れは残念だな……」


 十数秒間の沈黙が流れた。


「もっと、君の歌声を聴きたい」

「ええ」


 ミシェルは大きく息を吸い込み、吐き出す共に言葉を持たない歌を紡ぐ。そして日の出が近付く頃に、また明日。と勝手に約束を取り付けフランと名乗った男は足早に去って行く。


「……フランもあたしの歌声が目的なだけで、きっと姿を見たら逃げてしまう」


 一人残ったミシェルは呟いた。


「偶には日の出でも見て帰ろうかしら」

「ふざけるな」


 ふと聞こえた声に振り返ると、大岩の上にキールドが立っていた。最後に見た装束と同じ物を纏っているのが窺えたが、ミシェルが思考を其処から先へと広げることはなく。


「何度も言わせるな。お前は――」

「貴方に孕まされた。ちゃんと、憶えているわ」

「なら、何故約束を破った」

「夜に外出を許可してくれたのは貴方よ、キールド」

「だからって、俺が戻る前に出ていく莫迦が何処に居る」

「此処に居るわ」

「……お前って奴は……」


 形のよい唇から底知れぬ深い溜息が漏れた。


「此処は冷えるから、早く帰るぞ」

「なら、お先にどうぞ。もう少しで日が昇るの」

「そんなの、部屋からでも見られるだろ」

「此処で見たいのよ」

「ったく。我が儘な奴だな」

 服が汚れるのも気にせず大岩の上に座る。



    ※    ※    ※

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