3_4

 時刻は夕暮れ。王からの急な呼び出しを受け、キールドは慌ただしく自室を後にする。一人残ったミシェルは言い付け通り部屋から出ずにいた。例え誰がドアをノックしようとも、絶対に開けることはない。と思っていたのだが……。


「ミシェル様。キールド様が、お呼びです」


 数回ノックの後に、若そうな女の声が言う。


「え、キールドが?」

「はい。手が離せないので、代りに呼んでくるように。と仰せつかっております」

「……呼ばれているのなら、行かないといけないわね。ちょっと待って。すぐ行くわ」


 そう答えてから急ぎベールで顔を隠して部屋を出る。清楚感を重視した制服を纏ったメイドは一礼して、ご案内いたします。と歩き出す。



 連れてこられたのは、ぽつり、ぽつりと街灯に橙の明かりが灯る薔薇園の一角に在る噴水前。バシャバシャバシャと水が噴き出し跳ねる音が静寂の中に響いている。失礼します。と言い残して去って行ったメイドの背を見送り、キールドの姿を探すも、誰の姿も見当たらず。


「キールド、何処へ行ってしまったのかしら」


 途方に暮れながら噴水の縁に設置されたベンチに腰をおろす。


「キールド様なら、此処には来ないわよ」


 其の声にミシェルはビクッと身体を震わせる。いつの間にか眼前に、綺麗な笑みを貼りつけ夕焼けよりも真っ赤なドレスを纏った妖艶な女が立っていた。慌てて立ち上がり逃げ出そうとしたミシェルは腕を掴まれ引っ張られた反動でバランスを崩し、尻餅を着く。


「あら、大丈夫ぅ?」


 作っているのがよく分かる猫なで声で言いながら手を差し出されたが、ミシェルが其れを掴むことはない。中々立ち上がろうとしないでいると、赤いドレスの女の手がすぅっと伸びてきて其の儘ヴェールを剥ぎ取った。咄嗟に上半身を倒して地に伏せるように顔を隠すも、髪の毛を掴まれ無理矢理に頭を上げさせられる。


「ヒィっ……! な、なんて醜いのかしら!」


 声音に滲む嫌悪。蔑むような視線。ミシェルは諦めたように瞼を閉ざす。


「私なら嘆きのあまりに自殺するレベルだわ。アナタ、よくそんな顔でのうのうと生きていられるわね! こんな醜い女が美しいキールド様の婚約者だなんて……。アナタのような醜女がキールド様の子を? 汚らわしい!」

「っ――」


 地面に叩き付けるように手を離され、高いピンヒールを履いた足が容赦なく下腹部を踏みつけ純白を汚していく。其れだけでは飽きたらず、何度も、何度も踏みつけ、蹴り飛ばされた。痛みに呻くことしかできないミシェルは下唇を噛み締め、腹部を庇うような体勢をとりただただやり過ごすより他はなく。


「アンタみたいな醜女に私の人生を台無しにされてたまるもんですかっ! アンタがあまりに醜いから、きっと同情されているだけなのよ。ほらご覧なさい!」


 無理矢理立たされ噴水を覗き込まされる。揺れる水面に映る自分の顔に、ミシェルは思わず顔を逸らす。


「アンタみたいな醜女は誰からも愛されないでしょうね! 目障りなのよ! 早くこの世界から消えなさいよ、この疫病神!」

「うぅっ――」

「……あら、泣いているの? 余計に顔が醜いわよ。汚い顔を洗ってあげましょうか」


 鷲掴みにされた頭部を押されて噴水の中へと沈められた。本来の姿の時はちっとも苦ではなかった水中も、今では苦痛を齎す以外に他はなく。何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、呼吸が儘ならないペースで噴水の中に頭部を沈められ続け、いっそ此の儘殺されてしまおうと思考が動き出した頃、何をやっているンデスカ。と語尾に聞きなれない訛りのある声がした。


「なっ、何でもないわ」


 慌てるように言葉が吐き捨てられ、ふと上から押さえつけていた圧が消えると足早に立ち去るヒールの音が耳に届く。すっかり脱力したミシェルが其の儘でいると、羽交い締めにされるように噴水から引き離され、反射的に吸い込んだ空気に咽て咳き込んだ。背中を無言で撫でてくる手を払い退ける元気はない。すっかり落ち着きを取り戻した頃、夕日は沈み夜の静寂が訪れており、水が流れる音だけが静かに響いていた。


「大丈夫、デスカ?」


 様子を窺っていた若い男の声が言う。


「……大丈夫。……だから、あたしに……構わないで、ください……」

「じゃあ、僕を助けてクダサイ」


 今にも泣き出しそうな声音で言われ、ペタッと長い髪を張り付けた顔で遠慮がちに肩越しに振り返る。近くの外灯に照らされる黒く長い前髪で目元を完全に隠した少年は、高級レストランのボーイのような服装をしており、唯一窺える口元の肌は蒼白い。


「……貴方、人間ではない?」


 一瞬だけ、少年の口元から笑みが消えた気がした。


「ねぇ。貴方、前にあたしと何処かで――」


 ミシェルの声を遮るように空気を裂く、ヒュンッという鋭い音が響く。まるで猫のような身軽さで少年は飛んで後退し、危ないじゃないデスカァ! と声を荒げさせた。ふと気付いた気配に視線を向けると、見覚えのある男が背筋をピンと伸ばして立っており、黒いグリップを握った片手の首をクイッと引いて一本鞭のテールを引き寄せた瞬間が視界に映る。明らかに狩る側であることが分かる鋭い雰囲気に思わず震える背筋。内側から湧き出す恐怖。ジッと少年を見据える視線は酷く冷ややかなものだが――。


「久しいですね」


 そう言った瞬間に穏やかな表情を浮かべながら、黒の一本鞭を手早く円形に束ねて腰に下げる雑務隊長は更に言葉を続けた。


「見付けたのが私でよかったですねぇ。もしも此の場に居合わせたのがキールド様だったら、例え貴方であろうとも、確実に首を狙われていたでしょ」

「イヤ、笑ってイル場合じゃ――」


 ヒュンッ! とさっきよりも重そうな空気を裂く音が響き、少年は身軽に噴水の淵へ飛びのき、噂をすれば何とやら。と漏らす。誰が見ても殺気立つキールドの目付きはまさに獲物を狩る肉食獣の如く研ぎ澄まされている。


「やめてキールド」

「退け、ミシェル。ソイツは――」

「助けてくれたのっ! 彼は、あたしを助けてくれたの」


 酷く冷ややかな視線を受けて芽生える逃げ出したい衝動。スカートの中でガクガクと震える脚。しっかり地を踏み締め怖気づくことなく見続けた。


「…………」


 ふと消える殺気。すっと剣を鞘に戻すとミシェルの手を引いて去って行く。



 自室に戻るとミシェルを浴室へと連れて行き、着衣を脱がせた。骨と皮しかなさそうな身体はまるで――。


「乾物のようだな」

「何か言った? よく聞こえなかったわ」

「何でもない」


 言いながら着衣の裾を関節の上まで捲り上げ、コックを捻る。シャワーヘッドから流れるお湯が人肌であることを確認し、何も言わずに頭を濡らしていく。頭皮までじっくり濡れたのを確認してから一度お湯を止め、収納棚に手を伸ばしてシャンプーを適量手に取り泡立ててから蒼い髪を洗い始めた。


「……髪で誤魔化されているが、お前、頭蓋骨が小さいんだな」

「……小さいと、どうなの?」

「どう? どうという訳ではない」


 言いながら、全ての髪を一つに纏める。


「……!」


 急に露わになったミシェルの視界に映るのは、前方の壁に設置された鏡に映る自分の顔。反射的に息を詰まらせ視線を泳がせた。


「そんなに嫌なら、目を閉じているんだな」

「……そうね。そうすれば、何も見えないわね」


 閉ざされる瞼を縁取る睫毛は頬に影を落とす。


「……悪くない骨格だな」

「……そう」

「嬉しくないのか?」

「何故?」

「褒めた心算なんだが……」

「……ごめんなさい、よく分からないの。貴方は、悪くない骨格と言われて、嬉しい?」

「……特に思うことはないな」

「そう……」

「…………」

「…………」


 沈黙を湛えた儘キールドは再びお湯を流し、シャンプーの泡を濯いでいく。丁寧に絞ってからトリートメントを適量手に取り毛先を重点的に馴染ませていくのだが……指先がミシェルのウナジに触れた瞬間にピクッと華奢な肩が跳ね、ン。と音が漏れた。其の瞬間、ムクッと自身の欲望が起き上がるのを実感し、羞恥を押し殺すように下唇を噛み締める。


「乾物」


 キールドは繰り返す。心の中で、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、乾物を洗っている。と自身に言い聞かせて冷静を保つことに成功した。かに見えたのだが――。


「ぁっ――」


 意図せず指先が胸の突起に触れた瞬間にミシェルから漏れた声は、じわりじわりとキールドの思考をゆっくり濁していく。



    ※    ※    ※

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る