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 穏やかな寝息を立てて寝入るミシェルが小さく身じろぎ、ずっと眺めていたキールドは起こさないように頬を撫でる。


「見れば見るほどに醜いな。人間が持つ醜さとはジャンルが違う。……何にせよ、やっと会えたんだ。簡単に手放すものか」


 歪な唇を人差指で撫でた。


「然し、醜いな。清々しいほどに醜い」


 満足するまで異質な寝顔を眺めたキールドは黒い綿のパジャマに着替え、ミシェルの隣に横になり瞼を閉ざす。



「…………」



 次にミシェルが目を覚ました頃、額にワカメがペタッと足り付いていた。何処か懐かしい香りとヌルヌル感に癒される。ガチャッとノブが動く音がしたので視線を向けるとすっかり身支度を整えたキールドがトレーにスープ皿を乗せて入ってきた。


「具合はどうだ?」

「だいぶ良くなったわ」

「お前が眠っている間にヘルシング卿に診てもらった」

「……あたしの容姿を見せたの?」

「診察をしてもらったんだ。見せない訳にはいかないだろ?」

「……二度と部屋の外へ出たくない……」

「では監禁でもしようか?」

「……それはお断りよ」

「そうか。……お前の体調不良は疲労からくるものらしい。今日は何もせずゆっくり休め。新鮮な海藻とゲルゲルゲの果肉を使ったサラダを作ってきた」


 ミシェルが上半身を起き上がらせるとキールドはベッドサイドに腰を下ろしトレーを膝の上に置く。


「此のワカメは?」

「ヘルシング卿が熱冷ましにと置いていった」

「……ニンゲンはワカメで熱を冷ますの?」

「普通は濡らしたタオルや氷枕などを使う。あとは解熱剤だな。バナナやヨーグルトを食べまくって下痢を引き起こして排出することで体内温度を下げる方法もあるが」

「そう。魔物討伐軍ヘルシングの噂は聞いたことがあるわ。他に何か言っていなかった?」

「特に何も言っていない。ほら、食べろ」


 キールドは片手に皿を持ちもう片方の手で持ったフォークの先端に数種類の海藻とゲルゲルゲの果肉を串刺してミシェルに差し出した。ゲルゲルゲを使用した所為で全体的にモザイクが掛かっていて得体の知れない物体感が酷い。ゲルゲルゲと呼ばれるものを肉眼で見たことがないがモザイク装備で正体不明の魔動植物であることはミシェルも聞き知っていた。だがイフェリアで人間達が其れを食べるというのは初耳だ。好奇と不安を入り乱しながら頬の半ばまで裂けた口を開き受け入れた。噛めば噛むほど海藻の塩気とさっぱりとしたゲルゲルゲの甘味が絶妙に混ざり合い、懐かしい磯の風味が鼻へと抜ける。然程空腹を感じてはいないが、此れなら完食できそうだ。ふと、フォークを向けた儘目を丸くしているキールドへ視線を向けた。


「どうしたの?」

「え? あ、いや……」

「ハッキリしないわね」

「……食べられそうか?」

「ええ、磯の香とゲルゲルゲの果肉が相まってとても爽やかで美味しいわ」


 もっと食べたい。そう付け足して口を開く。


「……じ、自分で食え。此の先もこんな風に食べさせるのでは俺が疲労する」

「そうね。自分で食べる練習をしないと、いつまで経っても空腹を満たせないわ」


 キールドがそうしていたように片方の手で皿を持ち、もう片方の手でフォークを持つ。というよりは握り締めた。


「持ち方が汚い」

「ごめんなさい。使い慣れていなくて……」

「使い慣れていない?」


 静寂な表情に怪訝が浮かぶ。


「えっと……あたしが暮らしていた場所だと、何でも素手で食べていたから……」

「なら、此処でもそうしてくれて構わない。どうせ俺しかいないのだから、人目を気にすることもないだろ?」

「……そうね。でも、せっかくの機会だからチャレンジをしてみるわ」


 お手本を見せて。そう言いながらフォークを渡す。


「箸よりは簡単だ」


 ただフォークを持っているだけなのに、其の手元は絵になるほど洗練されていて美しい。たった数本の指で支えるだけで一見簡単そうなのに、実際に真似してみると上手く持つことが出来ずに焦りばかりが膨らんでいく。海での生活との違いは疲労を蓄積していく一方にも思えたが――。


「……大分、慣れてきたようだな」


 ゆっくり時間を掛けることで幾らか人間らしい持ち方の感覚を把握し安堵を漏らす。


「……ごちそうさまでした。ありがとう、美味しかったわ」

「綺麗に食べられたな」


 よしよし。と蒼を撫でる手は優しい。微かな居心地の悪さを誤魔化すようにミシェルは視線を窓の外へと向ける。


「少し、お散歩がしたい」

「まだ休んでいたらどうだ?」

「マグロはじっとしていたら死んでしまうのよ」

「お前はマグロだったのか」

「ええ、そうよ。あたしは食べ残されて無残に捨てられたマグロの妖精。じっとしていたら死んでしまうの」

「…………」

「……なあに、その哀れみを含んだ眼差しは」

「いや、別に……」


 キールドは小さく溜息が漏れる。


「浜辺ではないが、普段は誰も立ち入れない場所に連れて行ってやる。暇潰しにはなるだろ」

「まぁ、何処へ連れて行ってくれるのかしら。楽しみだわ」

「ヴェールは要らない。部屋からは出ないから」

「……そうなの?」

「こっちだ」


 キールドはミシェルの片手を掴んで自動販売機程度の大きさをした六段の本棚の前に向かう。隠された鍵穴に首から下げている鍵を差し込み手首を捻るように回すと、カチッと小さな音が響き天井の一部が開き、ヒグマ一匹分の幅をした梯子がゆっくりおりてくる。


「先に上れ。……一応言っておくが、お前のように醜い化け物に対してやましい考えなどないからな。お前はどんくさそうだし、足を滑らせて落ちかねないから……お前が上りきるまで下で待っていてやるだけだ」

「……コレを上るのね」

「ああ。踏み外さないように、気を付けろよ?」

「ええ。……よいしょ、と。……裾が少し危ないわね」


 裾を踏まないように気を付けながら初めは順調に上っていたミシェルだが、あと少しで上りきるというところで足を踏み外した拍子に手を離して落下した。顔面で尻を受け止めた拍子に踏ん張りが利かず其の儘仰向けに倒れたキールドに背を向けながら騎乗するミシェルは目を丸くし状況を判断しようと思考を巡らせる。十数秒の沈黙の中、キールドの心臓は口から出そうなほどに荒々しく高鳴り其の鼓動が伝わってしまうのではないかと思うほどに脈打ち、思考は停止した。


「あ、ごめんなさい……」


 表情が見えずとも申し訳なさそうな声音が言いながら小さな衣擦れの音を立ててどき、阿呆面を晒すキールドの顔を覗き込む。


「大丈夫?」

「へ? あ……ああ、問題ない」

「でも、血が出ているわ」

「え?」

「人間の血は赤いのね」


 スッと伸びた腕。細い人差指の先が滑るように鼻の下を撫でる。息を詰まらせたキールドは耳まで真っ赤になり豆が弾けたように其の場から逃げ出し脱衣所へ。バタンと乱暴に閉めた扉に背を預けながらズルズル腰をおろし、膝を抱えるように蹲る。


「……大丈夫?」


 とても不安そうな少女の声音が言う。


「……あ、ああ。問題ない。少し待っていてくれ」


 心を落ち着かせる為に、鼻からの出血を止める為に行動した。

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