03:蒼い憂鬱

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「金輪際、俺の許可なしに勝手に出歩くな」


 部屋に戻るなりキールドはミシェルをベッドに突き飛ばしながら言い冷ややかに見下した。そして直ぐに顔を逸らし俯く様子に苛立ちヴェールを奪う。


「お前は安心保障付きの揺ぎ無い醜ささだな」

「あたしを貶して楽しい?」


 静寂を浮かべた銀の視線を向ける。


「貶す? 寝言は寝て言え。褒めているんだよ。お前の其の醜い容姿を」

「そう。素直に喜べないのは何故かしら」

「喜ぶように努力しろ。其れから――」


 ギシィ……とスプリングを軋ませながらベッドサイドに腰を下ろし、無機質な手触りの頬を片掌で包む。其の瞬間から貧弱な身体が強張っていくのを感じて口元が緩みそうになるのを堪え言葉を続けながら手を離す。


「俺の前では顔を隠すな。俺以外と喋るな。二度と勝手に出歩くな」

「貴方の用が終わるまでずっとこの部屋に居ろと?」

「此処ならトイレも風呂も完備してるし人目を気にすることはない。飯もお前が空腹を感じた時に与えてやる」

「……外出したい時はどうすれば?」

「俺に許可を取れ。兎に角お前は一人で行動をするな。俺の視界に入る場所に居ろ。だが誰とも話すな」

「何処へ行くにも貴方と一緒なの?」

「そうだ」

「息が詰まるわ。貴方だって一人になりたい時があるでしょう?」

「お前が居ようが、居まいが、変わらない。其れと、あの女と国王には近付くな」

「好き好んで近付く気はないわ。……お願いがあるの」

「何だ? 言ってみろ」

「夜の帳が下りる頃、自由にする許可が欲しい。どうしても一人になりたいの」

「一人になってどうする」

「浜辺を散歩するの」

「夜の闇に乗じて俺の前から居なくなる心算じゃないだろうな?」


 逸らされる顔の顎を掴み、強制的に向き合った。其れでも逃げる銀の視線。十数秒間ジッと睨み付け、視線を逸らすなと低く言う。怯えるような眼差しが渋々キールドの碧眼を見た。


「貴方の顔が美しすぎて直視するのがつらいのよ……。太陽を見上げるようなものだわ」

「皮を剥げば美人も不細工も大差あるまい」

「でも目に見えるものが現実よ」

「仮初めでもお前は俺の婚約者だということを忘れるな。立場を弁え俺に接しろ。触れ合うことに慣れろ。しっかり其の目に俺の顔を焼き付けろ」

「……お願いだから、そんなに見ないで」

「俺の前で顔を隠すことは許さない」


 細く簡単に怖そうな手首を掴む。


「夜の散歩くらいは許可してやる。だが夜が明ける前には戻って来い。必ず、だ」

「努力するわ」


 諦めるように瞼が閉ざされ、溜息交じりの言葉が漏れる。


「風呂に入ってくる。お前はどうする?」

「……少し休ませてもらうわ」

「分かった」


 キールドは足早に洗面所の方へと姿を消した。バタンと扉が閉まる音が聞こえるとミシェルは深い溜息を漏らし、視線をキールドが消えて行った方へと向ける。暫く戻ってこない気配を察知して室内を見渡した。白で統一された室内は淡い橙色の光で満たされ穏やかな空気に包まれている。朝方の静寂の中に寄せて返す波音が遠くに聞こえ、瞼を閉ざしながら海を思い出す。


「…………」


 冷たく心地よい波の揺りかご。ゴォオオオと水が流れる音だけが響く静かな空間に広がる果てしない蒼。海面から射す光のカーテンがゆらゆらと揺れ、時折クラゲたちが視界を横切り影を落とす。やがて意識は思い浮かべた光景の中へと溶け込み、其処がミシェルにとっての現実となる。ふと視界に映る蒼い人魚。少し癖のある蒼の長髪がふわふわと揺れ動き、真珠のように白い肌をした美しい蒼い人魚は心に沁み込む音の羅列で楽しそうに歌っている。優しさが滲む何処か懐かしい声音に胸が締め付けられるような感覚で満たされジッと眺めていると、視線に気付いた蒼い人魚が此方を振り向きふんわりと微笑んだ。


『ミシェル』


 あたたかい声が呼ぶ。


『ああ、わたしの可愛い――』


「ミシェル」

「っ――」


 瞼を開いた瞬間に視界に映った美貌に気付き、息を詰まらせる。


「し、心臓に悪いわ……」

「其れはお前の顔の方だ」


 腰にバスタオルを巻いただけで意外と逞しい肉体美を晒すキールドは溜息をもらす。


「…………」

「な、何……?」

「ジッとして」

「……っ!」


 触れ合う額。伏せた瞼を縁取る金の睫が長い。触れていたのは一分も満たない筈なのに、酷く長く感じ、口から心臓が飛び出そうなほどに脈打った。


「……熱があるな」


 離れたキールドは小さく呟く。


「大丈夫よ、問題ないわ」

「あとでヘルシング卿に診てもらおう。食欲は?」

「要らない。何も要らないわ。少し、眠らせて……」

「ああ、ゆっくり眠るとよい」

「ありがとう」


 再び瞼を閉ざしたミシェルの意識はすぐさま波音に溶け、視界に何もない蒼が広がった。もう其処には人魚の姿はなく、ただ水が流れる音だけが響いている。暫く進むと青に映える純白を見付けた。蒼白い光に包まれながら海面から降り注ぐ其れは薔薇に似た形状をした白い花。ゆらゆらと波に揺れながら、ふわりふわりと沈んでいく。そっと伸ばした手の先が触れると弾けて泡となり消えてしまい、其れが連鎖しやがて全ての花が消え去ると果てしない蒼の静寂が何処までも、何処までも、広がっていく。此処はミシェルだけが存在する蒼の世界。

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