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 寄せては返す波音だけが響く静かな浜辺。遠くで触れ合う空と海が交わることはなく。


「そう言えば、何を、落とされたのです?」


 雑務隊長が問い掛ける。


「夜の思い出よ」

「……そうですか」

「ええ……」


 暫く無言で浜辺を歩く二人。


「お嬢さんは、キールド様とどのようなご関係で? ああ、どうか警戒なららずに。私はキールド様を自身の息子のように思っているので、色々と心配なのです」


 言葉の真意は分からないが、直感的に嘘を吐いている気がしないと判断したミシェルは口を開く。


「……全部嘘よ。彼が言ったような事実はないわ。出会ったのはついさっき。此処で倒れていたあたしを勝手に拾って帰って、婚約者だと嘘を吐いたの」

「何故、あの場で弁解をしなかったのです?」

「あたしは部外者だもの。口出しをして余計なことを言ってしまったら余計に自由が無くなると思ったの。でも、もう役目は終わったわ」

「……キールド様は何故、お嬢さんを選んだと思いますか?」

「分からないわ。あたしは彼じゃないもの。一緒に嘘を吐いて其の場をやりきってくれるヒトなら誰でもよかったのではなくて?」

「城にはお嬢さん以外にも多くの女性が居ります」

「ならきっと部外者の方が都合がよかったのでしょう。其の方が、何が事実で何が嘘かを見破ることは簡単じゃないもの。何も知らないのだから」

「……私には他にも理由があるような気がしますが」

「何故?」


 ミシェルは歩みを止めて雑務隊長を振り返る。


「数日前、此の辺りでとても美しい人魚の歌声を聞いたのです」

「……そう」

「あの歌声は間違いなく――」


 ふと語尾を嚥下した雑務隊長はミシェルの腕を引き寄せ抱きしめると其の場から大きく飛んで後退した。始めは目を丸くしていたミシェルだが、先程迄自分達が立っていた場所に長距離運搬用のトラック程度の大きさをした毛刈り済みのアルパカが着地したのを見て思考を停止させる。


「危うく下敷きになるところでしたね」


 雑務隊長は呑気に笑う。


「魔物……ではなさそうね?」

「イスカータから輸入した大型サイズのアルパカです」

「アルパカ」

「ところで、探し物は見付かりそうですか?」

「もう少し探してみるわ」

「そうですか。……申し訳ないのですが、私はそろそろ職場へ戻ります。アルパカを小屋へ連れ帰らないと」

「どうもありがとう」

「では、失礼」


 雑務隊長は身軽に大型アルパカの背に飛び乗ると颯爽と駆けていく。残されたミシェルは何気なく空を仰ぎ顔を顰める。水辺の風は心地よいのに照り付ける日差しは焼けるよう。何処か日陰に。そう考えながら歩き続けると次第に砂浜から岩肌が顔を出し、もっと奥へ進むと切り立った崖したに広がる岩場へとたどり着く。ゴツゴツとした岩場は白い靴を履いていては歩きい難く、脱ぎ捨てた。大きな岩向こうの陰に腰をおろしてスカートの裾を捲し上げて晒す素足を水面へ落とす。ひんやりとした懐かしい感覚に素肌が包まれ溜息が漏れた。今頃、属していたコロニーでは騒ぎになっているだろうかと思考を巡らせる。


「なるわけないわ」


 自己完結をして気持ちを切り替えるべく息を深く吸い、美しい音の羅列で歌を奏でた。済んだ高音域の歌声は穏やかな旋律を紡ぎ何処までも、何処までも揺蕩っていく。此の歌声が約束をした人物に届くように祈りを籠めて、夜の帳が下りても歌い続けた。



    ※    ※    ※



 意識が浮上し始めたキールドの掌に伝わったのはとても柔らかい感触だった。


「ミシェル……?」

「私なら此処に居ましてよ」

「……ん……」


 まだ重たい瞼をゆっくり開き、ぼやけて滲む視界に赤いドレスを纏った女を映しすと自身が掴んでいるものが豊満な乳房だと知り内心でションボリしながら手を離し上半身を起き上がらせた。妖艶な誘惑の塊とでも言える美女は綺麗な笑みを浮かべてキールドの手を掴んで豊満な乳房へ掌を押し当てる。


「この身を貴方に捧げます。だから、好きに触って下さい……」


 腰元から始まるスリットからスラッとしたメリハリのある美脚を見せ付けた。


「優しくしてくださいな……」


 熱を帯び潤んだ瞳、赤らめた頬、薄く開いた唇。据え膳食わねば何とやら。と考える事無く手を振り払い、キールドはベッドからおりた。


「君がミシェルを追い出したのか?」

「存じませんわ。私が入って来た時にはもう居ませんでしたの。本当よ、嘘じゃないわ」

「他人の部屋に許可なく入ることは、アレン皇国の常識で?」

「国王から貴方の部屋に自由に出入りする許可は頂いているわ」

「此処は俺の部屋だが」

「此の国は全て国王の私物よ。民も例外なく、此の城も。勿論、貴方やドレイク様も」

「ドレイクには手を出すな」


 反射的に女を睨みつけ、コンタクトレンズを外していたことを思い出す。


「国王がお許しになるわ」

「俺はお前を許さない」

「どう、お許しにならないの?」


 色気を前面に押し出す女はすり寄り腕を絡ませた。


「そう言えば、メイドの誰かが貴方の客人が日が暮れるにもかかわらず城を出て行ったと言っていたわ。浜辺への道を聞いていたそうよ」

「…………」


 女を突き放して窓へと歩み寄る。外はすっかり日が暮れており、満点の星空と墨汁のような色合いをした海だけが広がっていた。


「今頃海に落ちて鮫の餌にでもなっているかも知れませんわね」

「あの莫迦――」


 舌打ちを漏らして足早に部屋を立ち去るキールドからは明らかな苛立ちが滲み出ていた。廊下の途中で再度コンタクトレンズを外していたことを思い出すが部屋に引き返す時間が惜しい。光源となる物さえ持たずに足を運んだ浜辺は自身の手元がぼんやり認識できる程度に星明りで満ちている。波音さえも身を隠すほどに美しい歌声を頼りに浜辺を進むと此処数日間ずっと通い続けた岩場に行き着いた。期待で満ちる心を落ち着かせる為に深呼吸を繰り返し、コンタクトレンズを忘れたことを後悔しつつも大岩へ近付き言葉を投げる。


「何故、君は約束の日に姿を見せてくれなかったのか」

「……吃驚した。来ていたのね?」

「君と出会った翌日も、其のまた翌日も、今日までずっと僕は此処に通い詰めたのに君は一向に姿を見せることはなかった」

「ごめんなさい。色々あったのよ。約束を守れなかったのはとても残念に思っているの。本当にごめんなさい……」

「僕も其方へ行っても?」

「ダメよ。絶対に、ダメ」

「そう。なら、僕は君を許すことができないだろう」

「……心残りだけれど、謝って許してもらえないのなら仕方ないわ。でも、最期に貴方と会えてよかった」

「さいご?」

「ええ。もうあたしは此処へ来ない。貴方と会うこともない」

「何故?」


 人のよさそうな人格を保ちながらキールドは返事を待つが、いつまで経っても帰ってこないので溜息を漏らし、別の言葉を投げ掛けた。


「君は、人魚なのかい?」

「違うわ。ただの醜い化け物よ」

「……また歌を聴かせておくれ」

「ええ、喜んで」


 ミシェルは再び音の羅列が美しく穏やかな歌を奏でる。日頃の鬱憤が癒されるような大らかな歌声は耳に優しく、得体の知れない安堵に満たされていく。どれほど耳を傾けていたのか分からなくなった頃、歌声は静かに波音に消えた。


「どうやら僕は君に惚れてしまったらしい。寝ても冷めても大好きな趣味よりも君のことばかりを考えている。其の所為で夜もろくに眠れない。どうか此の儘、永遠に僕の傍で歌い続けてくれないだろうか?」

「ニンゲンは永遠を生きられない。例え人魚の肉を食べたとしても結果は同じよ」

「ならせめて一度だけ。君の姿を見せてはくれないか」

「あたしの姿を見たら、きっと貴方はあたしを恐れて逃げ出すわ」

「逃げ出さないと約束しよう」

「仮に逃げ出さないとしても、後悔するわ。真実を知らない方が夢を見れる。どうかあたしの歌声だけを貴方の記憶に留めてちょうだい」


 ところで。とミシェルは言葉を続ける。


「キールドと言う人と出会ったの。とても奇麗な王子様だったわ」

「ああ、彼のことならよく知っているよ。見た目しか取り柄がない出来損なの変人だと言われていて、部屋に引き籠もってばかりで公の場に姿を見せず、多くの側室を与えられても見向きもしない。同性愛者ではないかという一説が浮上してから心配した国王や家臣達が強制的にカウンセリングを受けさせたり、娼婦を買い与えたせいで余計に引き籠もりに拍車が掛かったとか。最近だと強制的に結婚させられるらしいね」

「随分と込み入った事にも詳しいのね?」

「夜な夜な酒場で愚痴を漏らす関係者が居るからね」

「そう……」

「彼がどうかしたのかい?」

「醜い姿を見られてしまった」

「君は彼に姿を見せて、僕には見せてくれないのか」


 真実を隠して不満そうに言葉を紡ぐ。


「確かにあたしの姿を見て逃げ出さなかった変人だわ」

「……そう」


 声が沈まないように耐えるキールド。


「貴方の声、彼によく似ているわね」

「似た声の者など沢山いるさ」

「そうね。歌が上手いヒトも、声が綺麗なヒトも、あたしが知らないだけでこの世界には沢山いるのよね」

「だとしても、君が奏でる歌声は君だけのものだ」

「……ありがとう」

「君は自分が嫌い?」

「ええ、嫌いよ。とても嫌い」

「僕は君が好きだよ」

「貴方はあたしを知らないからよ。知らないから好きと言ってくれるだけ」

「なら君も、僕を知ったら目の前から去ってしまうのかな」

「何故?」

「……何となく、そう思う」


 何故勝手に姿を消したと責めたい気持ちを押し殺し、冷静を纏い言葉を返す。こんな風にキャラを変えないと衝突なしに対人関係を築けない自分に嫌気が込み上げる。


「そうだ、名前を教えてくれないか。僕はフラン。人形師の端くれさ」

「ミシェルよ」

「ミシェルか。覚えておくよ」

「ええ、ありがとう」

「……夜風は身体に障るから、そろそろ帰ろう。家まで送るよ」

「大丈夫。一人で帰れるわ」

「夜道に女性が一人で歩くのは危険だよ」

「大丈夫。あたしは醜いから、仮に襲われても相手が逃げる光景が目に浮かぶわ」

「心配なんだ。もう二度と会えないようで。だからせめて家まで送らせてほしい」

「……しつこいと嫌われてしまうわよ」

「……ごめんよ、ミシェル。どうか僕を嫌わないでおくれ」

「貴方を嫌う理由がないわ」

「そう。其れはよかった」


 ミシェルは数秒の沈黙を挟んで一呼吸置くと言葉を紡ぐ。


「あたしの歌声を好きと言ってもらえるのは嬉しいのだけど、やっぱり、あたし自身を好いてもらいたい。誰かに必要とされたい。あたしという存在その物に価値を見出して、受け入れてもらいたい。けれど歌い終わった後には誰も居ない。とても惨めな気分だわ」

「僕が居るだろ? ミシェル」

「貴方はまだあたしの姿を見ていないもの」

「キールド王子は君を見て逃げ出さなかったのでは?」

「彼が変人だからよ。逃げ出さないだけで、あたしのことは醜いと思っている」


 お世辞でも美しいとは言えないのだから仕方ないだろう。とキールドは内心で呟く。


「ミシェル。時間が許す限り、君の歌を聴かせてほしい」

「ええ、喜んで」


 大きく生きを吸い込み紡がれる美しい音の羅列。心が洗われるような清々しい気持ちに満たされながら、キールドは其の場に腰を下ろして背を大岩に預けた。此の岩の向こう側に会いたかった人物が居て、其れが浜辺で拾ったミシェルであると確信したキールドは高く澄んだ歌声に耳を傾けながら思考を巡らせる。残る疑問はただ一つ。あの晩に訊いた歌声は人魚のもので間違いないと魔物討伐軍を率いるヘルシング卿が言っていた。然し眼前に現れたミシェルは容姿が醜いとは言えど人魚とは程遠い形をしている。お前はいったい何者なんだ? 内心で問い掛けた。

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