2_3

 ダンスホールには軽快で優雅な音楽が響き、中央ではタキシードを着た男や、色艶やかな衣装に派手な装飾品を纏った女達が円舞曲に合わせて軽やかに踊っている。矢張り気品あふれる優れた顔立ちは一番に人目を惹き、次に視線をミシェルへ向けた者達は次々に騒めいた。何度かミシェルに引いている手を振り払われそうになったが許す筈もなく、六回ほど繰り返し漸く諦めさせることに成功する。


「父上、戻りました」


 言いながら凛とした雰囲気と目元の涼しさがキールドと似た威厳のある中年の男に歩み寄り、洗礼された動作で一礼をしてみせた。


「おお、キールド。何処に行っていた。主役はお前なのだぞ。其れに何だ、其の服装は。今すぐ正装に着替えてきなさい」

「父上に紹介したい人が居ます」


 そう言ってミシェルの肩を抱き寄せ一歩前に出し言葉を続ける。


「彼女は予てよりお付き合いしている私の婚約者です」


 其の言葉に会場が痛いほどの静寂に満たされ、誰もが耳を澄ませて状況を見守った。


「名前はミシェル。今まで黙っていましたが、出会って五年目となります。私は彼女を孕ませました。一人の男として責任を果たすべく、近々式を挙げようと思います」

「莫迦者。王子と結婚できる者は他国の姫か貴族の令嬢と法で決まっておる。其の様な得体の知れぬ者との婚約など認めん。お前は一週間後にアレン皇国の第二皇女のミシェルと結婚するのだ!」


 カツカツカツとヒールの音を響かせ近付いてきた赤いドレスを纏ったスレンダー美女は綺麗に微笑み滑らかな動作でお辞儀をしてみせる。


「ご紹介に与りましたキールド王子の婚約者、ミシェルと申します」


 人がよさそうな声音の裏に、邪魔をするなという空気が滲む。


「父上は私に女を孕ませた責任を取らせないと仰るのですね?」

「立場を弁えよキールド。どうしても責任を取ると言うのなら側室に――」

「ならば私は直ぐにでも地位を捨て彼女と国を出ましょう」


 言いたいことだけ口にしたキールドは国王の制止を聞き流し、騒めく会場を足早に後にした。沈黙を湛えたミシェルを行き同様に引き摺るように連れて自室に戻ったキールドはベッドサイドに腰を下ろしてコンタクトレンズを外しながら退屈そうに言葉を紡ぐ。


「ヴェルデ大陸に在るアレン皇国の第二皇女はお前みたいなみすぼらしい者が簡単に話せる相手ではない」

「……まるで別人ね」

「此方が素だ。誰だって表裏くらいあるだろ?」

「そう……。あの綺麗な人と結婚するの?」

「お前、さっきの俺の話を聞いていなかったのか?」

「あたしは貴方に孕まされたりもしていないし、会ったのはついさっきよ」

「俺は結婚をしたくないし、王位を継ぎたくもない。世継ぎ問題で家臣達は各々己にとって都合がよい王子に王位を継がせたくて水面下で色々と暗躍している。順序的に最も命を狙われているのが俺で、次が年の近いドレイク。彼はギルダ大陸全土の住民から指示を得ているし、俺もドレイクに王位を継がせたいと考えている」

「何故、そんな話をあたしにするの?」

「もしも俺が此処から居なくなればドレイクの身は今以上の危険に晒される事になるだろう。其れは避けたい。だからお前には俺の婚約者として暫く此処に居てもらう」

「貴方の都合などあたしには関係ないわ」

「俺にとってもお前の都合は関係ないが、お前が居ないと困るのは事実だ。女なら一度は王族との婚約を夢見るだろ? 気分を味合わせてやるし、お前が言うだけの金を払う」

「傍迷惑な話だわ」

「なら、本当に抱いてやろうか」


 少し離れたところに立ちっぱなしだったミシェルと距離を詰めて素早く片手首を掴み、引き摺りながらベッドのところまで連れて行き無理矢理押し倒す。


「お前のような醜い女は此の先一生、男に抱かれる事などないだろ。俺に食われる事を喜べ」


 言いながらヴェールを剥ぎ取り醜い素顔を覗き込んだ瞬間、今までおとなしかったミシェルは細い手足をばたつかせて抵抗するも、殺すと脅せば事が済む。


「清々しいほどに醜いな、お前は」

「……貴方が一国を背負う器量ではないのがよく分かったわ」

「ああ、そうだ。自分でも痛いほど認識しているさ」

「自分の役目を何もしないで逃げるような人が上に立っても国は潰れるだけだものね」

「ああ、其の通りだ」

「……本当は、会いたい人が居たの。でもあたしは其の人のことを何も知らない。今では会える気さえもしない。刺身にするなり、三枚におろして焼くなり好きして食べるとよいわ」

「…………」


 キールドの思考が停止する。数十秒間の沈黙を経て言葉を理解すると腹の底から笑いが込み上げ口から漏れた。


「何がおかしいの?」

「俺にカニバ趣味はない」

「カニ……?」

「変な奴だな、お前は」

「突然笑い出す貴方こそ変なヒトよ」


 綺麗な顔をクシャッと歪め、息を引き攣らせながら笑うキールドはミシェルの隣に横になる。ひとしきり笑った後に片手で目尻に浮かんだ涙を拭いながら、笑い過ぎて腹が痛い。と漏らす。


「気が抜けたら眠くなってきた……」

「そう。なら寝るとよいわ」

「子守唄の一つでも聴かせてもらおうか。ほら、早く」


 片腕を枕に瞼を閉ざし、眠る準備に入る。小さな溜息を漏らしながらミシェルは息を吸い込み囁くように穏やかでゆったりとした音程で美しい言葉ではない音の並びを奏でていく。聴覚に覚えのある澄んだ高音域の歌声はキールドが問い掛けるよりも早く眠りへと誘った。


「おやすみなさい、キールド」


 顔に掛かる金の髪をそっとどかす。


「ごめんなさい。あたしは此処に居たくない」


 そう言い残してヴェールで顔を隠し、部屋を出て行った。先程連れられた方向とは逆の方向へ進む。噂の広がりが早いのか擦れ違う者達は皆一様にキールドの客人と認識しているようで、迷ったのなら部屋まで送ると提案する。のらりくらいと提案を回避しながら出口を探して彷徨う内に絢爛豪華な調度品が飾られた厳かな雰囲気の廊下ではなく、一通りが少なく落ち着きのある廊下を歩いていた。此の頃にはすっかり二本足で歩くことに慣れていて、いつの間にか城と渡り廊下で繋がっている魔物討伐軍ヘルシングの別邸に居たと知ったのは暫く経った後の事。そうとも知らないミシェルはふと曲線や楕円を多用された彫が豪華な額縁を纏った大きな絵画の前で足を止めた。魅入るほどに美しい穏やかな微笑を浮かべた蒼い人魚とクチナシの花が描かれている。


「……魔女さんかしら?」

「面影は似ていますが、人違いですよ」

「っ!?」


 突然掛けられた声に驚き振り返ると、夜色の外套を身に纏った中年の優男が穏やかな微笑みを浮かべ立っていた。


「これは申し訳ない、驚かすつもりはありませんでした。私は此処で雑務隊長をしている者です。貴女は?」

「……ミシェル」


 雑務隊長とは何かしら。ミシェルは頭の隅で考えた。


「少し話でも?」


 其の問に十数秒間悩んだ挙句の果てに首を縦に振る。


「お嬢さんは運がよい。本来此の絵は別の場所に飾られていてあまり人目に付くことがないのですが……改修工事の期間中は此処に飾ることになりました」

「そうなの? とても美しい人魚ね」

「ええ。魔族には優秀種と劣化種が居りますが、今では凡種と呼ばれる部類が昔に言う劣化種に値します。優秀種とは純血とも呼ばれ、種族によって其の特徴は違いますが、魔力が強く優れた能力を持っているという共通点があります。彼女は人魚の優秀種。上級種と呼ばれることもありますが、其れは其の昔に人間が魔族を売買する時に使っていた表記なのであまり好きではありません」

「へぇ……知らなかったわ」

「乱獲によって多くの優秀種の人魚達が死にました」


 そう言って絵画に向けられた視線には愛しい者を見るような優しさが滲んでいた。


「……この人魚は、今も?」

「彼女も死にました」

「ごめんなさい、あたし――」

「お気になさらず。もうあの歌声を聴く事が叶わないのが残念ですが……」

「そう……」

「人魚の純血種は蒼い髪と蒼い瞳が特徴だと聞きます」

「蒼い髪と蒼い瞳……」

「ええ。中でも蒼い髪に月のような瞳をした人魚は特別だとか」

「どうに、特別なのかしら?」

「海神のお気に入りだそうですよ」

「そう……。人魚はとても美しい容姿の持ち主だと聞くわ。醜い者も居るのかしら」

「今までそう言った報告はされていませんね」

「じゃあ、純血種でも醜い者が生まれる、とか」

「……純血種の奇形が産まれたという報告を過去に一件ほど受けたことがありますが、証拠が何もないので真意は不明です。其れに、今では純血種の人魚は絶滅したと言われているので分からないことだらけなのです」

「絶滅? どうして?」

「或る日忽然と姿を消した、としか……。優秀種は海神のお気に入りだそうなので、其の関係ではないかと伺ったことがあります」

「そう……。じゃあ、金の髪をした人魚は優秀種ではないのね?」

「ええ、彼等が昔で言うところの劣化種。今でいう凡種ですね」

「じゃあ、今でいう劣化種は?」

「突然変異とでも言いますか、どの種族の劣化種も共通して醜悪で悍ましい容姿と強い魔力をもつ欲の塊です。然しあまり目撃例が少なく、優秀種同様に研究材料が少なく解明できている事が少ないのです」


 困ったような笑みが浮かぶ。


「貴重なお話をどうもありがとう」

「いえいえ、此方こそ。立ち話にお付き合いいただきありがとうございます。ところで、お嬢さんはキールド様がお連れになった……?」

「道に迷ってしまったの」

「其れならお部屋までご案内を――」

「浜辺へ行きたいの」

「もう日が傾き始めているというのに?」


 怪訝を向けられ焦ったミシェルは咄嗟に、落とし物。と口にする。


「そう、落とし物をしてしまって、探しに行きたいの」

「なるほど。では一緒に行きましょう。丁度、私も行こうと思っていたところなので」

「え、でも――」

「ささ、遠慮なさらずに。何を落としてしまったのです? 二人で探した方がきっと早く見つかるでしょう」

「ええ、そうね」


 内心で溜息を漏らしながら歩き出す雑務隊長の背を追い掛けた。



    ※    ※    ※

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る