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 向かうは城の裏手にあるプライベートビーチだが、途中で城と同じ敷地内にあるヘルシング邸に寄り許可を経てから黄金の毛並みをもち穏やかな表情を浮かべている大型犬のトリバーを連れて行くことに。寄せては返す波音だけが響く静寂に満たされた砂浜は昔は其れなりに人が訪れていたが、今では滅多に人が訪れることはなく。リードを放すと波と戯れながら走り回るトリバーは今日も元気そうだ。砂浜を掘っては鼻を突っ込み誇らし気に貝を咥えて持ってくる。


「ありがとう、トリバー」


 掌サイズの貝を受け取り頭を撫でながら褒めてやると嬉しそうに細まる目。ハッ、ハッ、ハッ。と単発的な呼吸を繰り返しながら数十秒撫でられ続けたトリバーは踵を返して走り出す。其の背を見送ることなくキールドは手にしていた貝を遠く海面へ向かって放り投げた。ボチャンと重みのある音を小さく立てて蒼へ沈んでいく。


「昨夜の子、名前くらい聞いておけばよかった……」


 一息つくと遠くの方でトリバーが吠えているのが聞こえ、一拍遅れて少女のような悲鳴が短く響いた。使用人でさえ立ち入りを制限されている此の場所に人が居る事を不審に思いながら砂浜を駆ける。近付けば近付くほどに犬の吐息とか細い悲鳴交じりの声が聞こえ、更に近付くとトリバーが誰かの上に跨りじゃれついているのが視界に映った。


「トリバーッ!」


 声を張り上げるとビクッと肩を震わせたトリバーは誇らし気な表情で振り返り、バウ! と一吠えして横にずれる。


「っ――」


 浜辺に横たわる蒼い長髪――人体を爪先まで包み込むほどに長い――でほぼ全身を隠してはいるが一糸纏わぬ姿であることは把握できる人の形をした歪な者。一瞬ミイラか何かと思ったが其の肌は蒼白く、系統的には水死体の方が近いだろう。だが水死体にしては浮腫みがなく、矢張りミイラに近いような? 何にせよ化け物さえも驚いて逃げ出しそうなほど悍ましい。どう見ても人魚ではなさそうだと落胆した刹那、ふと長すぎる前髪の隙間から覗く視線と触れ合った。其れは慌てて長すぎる前髪で顔全体を覆い隠し、胎児のように蹲る。まるで使い古したモップか、養殖場から流れてきたワカメの束だな。そんなことを考えながら乱れる気持ちを落ち着かせ、脱いだ上着を差し出しながら極力人のよい笑みを浮かべて声を掛けた。


「君、大丈夫?」


 待てども返事はなく。ほっとくこともできないので取り敢えず起き上がらせようと手を伸ばしたのだが、指先が腕に触れた瞬間にビクッと肩を跳ねらせてガバッと上半身を起き上がらせ、か細い声で、大丈夫。と漏らしながら自力で立ち上がろうとした。そんなに細い脚でどうやって身体を支えるのだろうと考えながら見守ることに。然しプルプルと震える足がしっかり地を踏み締めることはなく、何度も、何度も、尻餅を繰り返した。


「まるで生まれたての小鹿のようだな」

「っ、ごめんなさいっ! すぐ、何処かへ行くから――」


 見た目の悍ましさと相反する少女を彷彿させる愛らしい高さの声音が言う。


「そんな状態で何処へ行くと言うのかな?」


 痺れを切らし、キールドは腕を掴んで起き上がらせると長い髪が張り付くように隠す貧相な胸元を更に隠すように上着を羽織らせ恭しく横抱きをした。抵抗するものだと身構えていたのだが思った以上に大人しく腕に収まり内心で溜息を漏らす。城へと戻る背を尻尾を振りながらトリバーが追い掛ける。


    ※    ※    ※


 自室へ向かう最中に擦れ違う誰もが訝し気な視線をキールド達に向けるが声を掛ける者は誰も居ない。自室に付属している浴室へ直行し、有無を言わさず身体の隅々まで綺麗に洗い流してドライヤーで蒼の長髪を丁寧に乾かしていくのだが……。


「骨が折れる」

「……ごめんなさい」

「整え甲斐がありそうだ。少し梳いても?」

「梳く?」

「ああ。量が多いから乾かすのが大変でね。少し削いで軽くしよう」

「……ええ」

「…………。準備をするから、少し待っていてほしい」


 言葉の代わりにコクンと頷く様子に不信感を募らせながらも其の場を立ち去り、人形の髪を整えるのに使う梳き鋏を片手に戻る。完全に顔が見えず、前後ろもろくに分からない状態を目にして一瞬キールドの心臓が跳ねた。まるでモップ人間だな。と内心で呟きながら、お待たせ。と声を掛け蒼い長髪を丁寧に梳いていく。シャキシャキシャキシャキと鋏が髪を断つ音が小さく響く中、鏡越しに視線を感じて目を向けた。長い髪の隙間から見える銀の虹彩。ふと視線が交わった瞬間にキョロキョロと泳ぎ顔を逸らされる。


「……珍しい色をしているね」

「え?」

「イフェリアでは金髪に青系の虹彩が一般的なんだ。まぁ最近では髪を染めて色を楽しむ人や、カラーコンタクトを入れて虹彩の色を変える人も増えてきたから……君の色もありだと思う。ただ、青系は発色が難しいと聞いた。君の髪はとてもよい深みのある青色をしているね」

「……生まれ付きなの」

「へぇ……其の目の色も?」

「ええ、そうよ。他の姉妹たちは貴方のような美しい見た目で金の髪と青い目なのに、あたしだけ生まれ付き此の色で容姿も醜いの」

「そうなんだ?」

「みぃんな、あたしの姿を見れて逃げ出すわ」

「ははっ、そうだろうね。満月の月明りの下で遭遇したら腰を抜かしてしまいそうだ。然し、一度見れば印象に残るから夢で魘されそうだな」

「……そうね。貴方も魘されるかも」

「…………」

「……顔は、隠したいわ」

「仰せの儘に」


 シャキシャキシャキシャキと梳き鋏が髪を断つ音が静かに響く。数十分後、足下を埋め尽くす量の蒼い毛束を眺めてキールドは溜息を漏らす。最初に比べたら蒼い長髪は整い手入れされた髪の毛という雰囲気を醸し出している。だが其れでも頭皮から生えている量は多く、醜い容姿を隠すには十分すぎるほど。許可を得てから膝裏までバッサリ切り落とす。


「ところで、君の名前は?」

「……ミシェル。貴方は?」

「キールド・フランペッツァ。イフェリアの第一王子だ」

「へぇ……。王子様だから、そんなにも見目麗しいのね」

「容姿に王子か否かは関係ないと思うけど……確かに俺の容姿は君より遥かに優れているな」

「……嫌な人ね」

「ああ。よく言われるよ」


 退屈そうに返しながらミシェルに身体ごと此方を向くように指示し、前髪を一束掴むと容赦なくバッサリと切り捨てた。予想していた通り喚かれ、抵抗され、逃げ出そうとしたミシェルを部屋の隅に追い詰め、おとなしくしていないと首を裂くと脅して動きを封じ、ジョキジョキと長すぎる前髪を切り捨てていく。啜り泣くのを噛み殺し、嗚咽を上げながら前髪を切られて醜い素顔を晒すミシェルを鏡と向き合うように立たせた。


「泣き顔は余計に醜いな」

「…………」


 下唇を噛み締め、下に落とされる視線。見ないで。と、か細い声が言う。ミシェルの髪型を整えた後にベッドのある部屋に戻り、長椅子に座らせる。一度部屋を出て行ったキールドは別室から色々と箱を持ってきて、一際大きな白い箱から一着の白いドレス風ワンピースを取り出した。Aラインでマキシ丈の其れは首元も隠れ、袖口は指先まですっぽり隠れる長さのリストフォールになっており、胸元や袖口、スカートの裾に植物を模した刺繍が施されており単調な色の中に華やかさが隠れている。


「其の恰好の儘では流石に法に触れてしまうから、服を着ておくれ」

「……?」

「俺が作った服では不満かい?」

「貴方が作ったの?」

「ああ、趣味の一環でね。生きた者に着せるのは初めてだが……サイズ的に君が着れそうなのが此れしかない」

「凄いのね」

「……え?」

「え?」

「……王子が服作りなどするなとよく言われるから、反応に困った」

「ごめんなさい。困らせる心算はないのよ。ただ、綺麗だと思って……。ニンゲンが身に着ける物は何度か見たことがあって、どれも目新しくて素敵だったけれど……これは何と言うか、とてもあたたかいモノを感じるわ。貴方の思いが詰まっているのね」

「……君にあげる」

「あたしには勿体ないわ」

「本当は着たくないのだろ?」

「違う」

「じゃあ何故渋る?」

「貴方の目は飾りかしら? あたしは醜いの。貴方が作った服は似合わない」

「似合うか否かを判断するのは君じゃない。俺だ」


 ほら早く。そう急かしても快く承諾してもらえないので首を圧し折ると脅して着せていく。同じ大きさの人形に着せる為に拵えたのだが、まるでミシェルの為に拵えたかのように肩幅も腰の位置も丁度よかった。ただ一つだけ残念な点を挙げるとすればミシェルの体付きがあまりに貧弱過ぎること。多少は膨張して見えはするが、其れでもあと少し肉付きが欲しい。


 別の箱から取り出したヒールが低めの白い靴を履かせ、蒼い髪に映えるマツバボタンを模した銀細工の髪留めでクレマチスの刺繍を施しより一層素顔が見難いヴェールを固定し、紫水晶を抱いた銀のネックレスを首に掛ける。


「ほら、見てごらん」


 クローゼットの扉の内側に付属された姿見の前にミシェルを立たせた。ヴェールとセットで見るとウエディングドレスを彷彿させる雰囲気となるが、特に意味はなく。


「此れで君の醜い容姿は完全に隠すことができた。よく似合っているよ、ミシェル」

「凄い……今まで隠しようがなかったのよ」

「気に入ってもらえたようでよかった」


 白い服に蒼い髪が映えて美しい。ミシェルの背後に立ったキールドは無意識下で髪に触れ、満足そうに口元を緩める。ふとミシェルが振り返る気配を察し反射的に手を放す。


「あの……お礼はどうしたら……?」

「今すぐ俺と来てほしい」

「何処へ?」

「口答えせずに黙って来い」


 片手首を掴み歩き出す。あっ。と小さく声を漏らしてミシェルが前のめりに倒れ、咄嗟に手を出し支えてあげた。息が触れ合いそうな距離に両者の心臓が跳ね、慌てて距離を取る。


「ごめんなさい。上手く歩けないの。其れに貴方の顔が美しすぎてつらいわ」

「そんな棒みたいな足だから上手く歩けないのだろ? 靴は後で作り直すから、今は詰め物で我慢してくれ」

「え、靴も貴方が作ったの?」

「事ある毎に町で買えば変な噂が立つから自作するしかない」

「そう……」

「とっとと行くぞ」


 引き摺るようにミシェルを連れて部屋を出た。廊下で擦れ違う者達は一様に立ち止まりキールドに対して頭を下げるが好奇の視線はミシェルへと向けられた。其れでも声を掛けてくる者は誰一人としておらず、時折足を縺れさせて転びそうになるのを助けながら進んで行く。


「此処から先は喋らずともよい」


 ダンスホールの扉の目で立ち止まり、微かに緊張を滲ませた声音が言う。


「だが、誰かに何を訊かれた場合は適当に俺の話に合わせれてくれ。用が済んだら礼はする」

「ええ、分かったわ」

「……何も訊かないのか?」

「訊いたところで貴方の事情などあたしには関係ないもの」

「……確かに。では、行くぞ」


 一息ついてから扉を開けて中へと踏み込んだ。

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