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時はキールドが部屋を出て数十分後まで遡る。
「…………」
ミシェルはパッと目を覚ます。室内の何処にもキールドの姿はなく。ヴェールで顔を隠して部屋を出た。向かうは赤いドレスの女が居る部屋だ。此の頃には大分廊下が静まっており、ミシェルのようなとろさでも物陰に身を潜めながら先へ進むことが容易に出来た。数回ノックをすると珠数秒後に、誰? と返ってくる。あたしよ。と声を返すと躊躇なく扉が開く。
「こんばんは」
「……こんな夜更けに何用かしら?」
顔を見せた女は寝ていたのだろう。化粧を落としても華やかな顔立ちに艶麗な素体に纏った透け感のある赤いベビードールが煽情的だ。一目見ただけで素肌の柔らかさが窺え、ミシェルの中でモヤモヤした物が広がっていく。
「少しお話しがしたいと思って」
「……どうぞ」
赤を纏った女はミシェルを招き入れる。室内は絢爛豪華な調度品が飾られており、女の地位を表しているように見えた。スタスタとベッドへ近付き座り、スラッとした美脚を組む。
「貴方の素顔を知っているから、態々隠す必要はないわよ? 適当に座ってちょうだい」
退屈そうに言いながら応接用の長椅子を指した。
「キールドが魔に魅せられたと噂を流したのは、貴女ね」
「言い掛かりはやめてちょうだい。わたくしは告発をしただけよ。貴女の容姿、人間の奇形と言っても信じがたいほどに醜いのよ。でも貴女が魔族や魔物の類なら説明がつく」
「他大陸出身の貴女が、魔族や魔物を知っているの?」
「わたくしくらいの美貌が有れば、見知らぬ土地で情報を集めるなんて容易いわ」
「そう。……貴女が何と言っても、あたしは噂を流した者が貴女だと思っているわ」
「其れが何だっていうのよ! 用がないのなら――」
「貴女はあたしが怖くないの? あの時はお漏らしをするほどに震えながら怯えていたのに」
ミシェルがゆっくり近づくと、赤を纏った女は顔を逸らす。
「貴女の肌は柔らかくて、とても綺麗ね」
頬に触れた瞬間から相手の身体が強張っていくの実感した。
「其の美貌が羨ましい」
「いやっ!」
パシッとミシェルの手を振り払い、ベッドから足早に離れていく。
「恐がらないで。あたしは貴女に、あの噂が嘘だと訂正してほしいだけ。キールドは善意で、あたしを傍に置いてくれているの。もしも神の代行者が介入してきたら、大変な事になってしまう。そうなる前に、一刻も早く訂正して欲しい。そうしてくれればあたしは此処から消える。貴女は無事に、キールドと結ばれる。約束するわ。貴女があたしの望みを叶えてくれたら、絶対に此処から消え去り、二度と姿を見せないと」
「…………」
赤を纏った女は考えるそぶりを見せた。
「わたくし、貴女の歌声は素晴らしいと認めているの。其れは嘘じゃないわ」
「そう。ありがとう」
「貴女の歌声が欲しい。キールド様の心を掴んだ歌声を、わたくしもほしいのよ」
「声帯を取り出すことは可能だけれど、貴女に移植することは不可能だわ」
「そんな事をする必要はないわ。貴女が私の代わりに歌えばよいのだから!」
名案とでも言いたそうに笑う赤を纏った女は想像していたよりも強かだ。
「貴女の歌声を聴いたことがある者は居ても、実際に歌っている貴女を見た者は居ない筈よ」
「へぇ……」
「明日、わたくしはキールド様の婚約者として、民衆の面前に立つのよ。そこで歌を披露する事になったの。貴女が代わりに歌いなさい」
「嘘を吐いてまで人心を掴みたいの?」
「当たり前でしょう」
「貴女には貴女の歌声が有るのに……」
「どんなに歌姫と持て囃されてもキールド様の心は手に入らなかった。わたくしはどうしても彼が欲しいのよ。あの優れた容姿に溢れる気品。わたくしに相応しい相手だわ。貴女さえ居なければ、キールド様とわたくしは今頃……。本当は貴女がキールド様に孕まされていない事を皆には黙っていてあげるわ」
「……貴女の代わりに歌うのは構わない。でも、あたしが居なくなった後はどうするの?」
「腕のよい整形外科医を紹介するわ。費用も此方で負担する。顔と名前を変えてわたくしの付き人として傍に居なさい。貴女は死ぬまで一生、わたくしの代わりに歌い続けるのよ」
「そんな嘘がいつまでも通用するとは思わない」
「喉の調子がとか言って歌わなければよいだけだわ。何も気にする事じゃない。今までだってそうやって来た」
「貴女の身代わりとなった人の誰かしらが、真実を訴える日が来るわ」
ミシェルの言葉を聞くや、赤を纏った女は声高らかに嗤う。
「そんな日、来る筈がないのよ。貴女、使用済みのティッシュはどうなさっているの?」
「クズカゴに入れるわ」
「其れと同じよ」
「なんて酷い……」
「あら、不用品を始末するのは常識よ? 知らなくって?」
「貴女はとても美しい容姿をしているのに、心が醜いのね。異形と同じだわ」
「何とでも言いなさい。元々容姿が醜い化け物の貴女に何と言われようが気にならないわ」
「キールドが貴女に振り向かない理由がよく分かったわ」
「何よ偉そうに。……で、どうなの?」
「其の話に乗りましょう。でも、あたしの生は長く持たないのよ」
「何故? 病気か何かだったら、医者を――」
「どんな医者でも治せない病なの。だから、明日が過ぎたらあたしは消える」
「……分かったわ。歌うのは明日だけで結構よ。元々歌なんてそんなに好きじゃなかったし、今後歌わなくて済むならラッキーだわ。早速打ち合わせをしましょう」
二人の密会は夜が明けるまで続く。
赤を纏った女の部屋を後にしたミシェルの足取りは軽く、うっかり歌を紡ぎそうになってしまうほどに清々しい気分に満たされていた。
「ミシェル」
不意に聞こえた声に肩が跳ね、立ち止まる。振り返ると十数メートル後ろに不機嫌を露わにしたキールドが立っていた。
「部屋は此処だが、何処へ行く心算だ?」
「ごめんなさい、考え事をしていて……。もしかして、ずっと此処で待っていたの?」
「捜しに行ってまた入れ違いになるのは御免だからな。……勝手にうろつくなと、何度言えば理解をしてくれるんだ?」
「さぁ……?」
「……とっとと部屋に戻るぞ」
掴まれた手を振り払う。
「ミシェル?」
ジッと見つめてくる碧眼が不安に揺れた。
「貴方こそ何処へ行っていたの?」
「お前には関係ない。お前は今まで何処に行っていた?」
「浜辺よ。海があたしを呼んでいるの」
そっと頬に触れると、ビクッとキールドの肩が跳ねる。
「相変わらず冷たいな」
掴んだ手を両手で包み込む。
「ねぇ、キールド」
「ん?」
「貴女が好きなのは、あたしの歌声だけ? 其れとも――」
「くだらない話しなら後にしてくれないか。俺は眠い」
「くだらない? そうね。あたしには大切な事だけれど、貴方にとってはくだらないわね」
ミシェルはキールドを追い越し歩き出す。
【擦れ違いと悪循環】 終
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