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部屋に着いた二人は風呂で身体を温め、着替えを済ませてからベッドへ向かう。
「……貴方が人形を作るのを見たいのに……」
「また後で見せてやるから、今日は大人しく寝ておけ。いつも以上に顔が死んでいるぞ」
ぺちぺちと頬を叩きながら言った。
「顔が死ぬ? 死は全身に訪れるものだと思っていたわ。ニンゲンは器用なのね?」
「……深く考えるな」
「考えに深いも浅いもあるの?」
「……とっとと寝ろ」
「……貴方が人形を作るのを見たいのに……」
「また後で見せてやると、さっき言っただろ?」
「次が必ずしも存在するとは限らないのよ。今のうちにしか叶わない事はある」
「……俺が眠いんだ。察してくれ」
「あら、そうなのね。ごめんなさい。おとなしく寝るわ」
「おやすみ、ミシェル」
「おやすみなさい、キールド。良い夢を」
視線を額(ヒタイ)に向けるが諦め、クルッと寝返りをして瞼を閉ざす。ふわふわと揺れるような感覚に包まれながらあっという間に眠りへ落ちていく。
「…………」
訪れた眠りが深いことを確認したキールドはそっとベッドを抜け出し部屋を後にした。静かな廊下を歩くテンポが自然と速くなっていく。向かうは魔物討伐軍ヘルシングの拠点となっているヘルシング邸。目的は其の一角に在る書庫。其処には世に出回っていない秘蔵書や、神の代行者でさえも所有していない禁書扱いの書籍が数多存在している。途中、行き会う顔見知りの隊員達が噂について話し掛けてくるが、其の誰もが噂を鵜呑みにした風もなく、今後起こるであろう騒動を予測し労ってきた。愛想笑いさえ浮かべる余裕がないキールドは取り繕うことなく先を急ぐ。
「キールド。お待ちなさい」
そう呼び止めたのは赤を基調とした魔物討伐軍の隊服を着たヘルシング卿。
「書庫に向かう心算でしょうが、其処に貴方が求めている情報などありませんよ」
「そんなの、調べてみなければ分かりませんよね?」
「無駄な時間を過ごすよりも、経験者に従った方が得策だとは思いませんか」
「経験者?」
「私も若い頃に、訳あって書庫にある本を片っ端から読み漁った事がありましてね。其れでも知りたい事は何処にも書いていませんでした。全てを読んだから分かるのです。うちが所有している書物に貴方が知りたい事が記載されている物がないと」
ヘルシング卿は微かに哀愁を滲ませながら笑う。
「紹介したい者が居ます。時間を無駄にしたくないのなら、黙ってついて来なさい」
「……はい」
沈黙を湛えた儘歩き出す背中に続き、案内されたのはヘルシング卿の執務室だった。応接用の長椅子には見知った者と、見慣れない蒼を纏った美女が据わっていた。
「アハ。また会いマシタネ」
真っ先にキールドを見て片手を上げて挨拶をするタナトス。其の隣に座っている美女は大胆に開いた胸元から深い谷間を晒し、裾に深めのスリットが入ったマーメイドラインの蒼いドレスを纏っている。高い位置で綺麗に纏め上げられた髪も蒼く、同色の虹彩が水面のように揺らいでいた。薄っすらと透き通る蒼白い肌に施された化粧も蒼い。まるで腕のよい人形師が作った人形のように精巧で歪がない美女に目を奪われていると、彼女は――。とタナトスが口を開く。
「メアリー。ミシェルの伯母デス」
「海の魔女。蒼の魔女とも呼ばれている」
「嘘だろ?」
キールドの口から出たのは素直な感想だ。
「こんな美貌の持ち主と、あの化け物以上に醜いミシェルが血縁などと、誰が信じる?」
「お前。血縁者の前で堂々と無礼な発言を口にするとは、よい度胸をしている」
ハイライトの消えた視線が睨む。だがすぐに深い溜息と共に視線は逸らされ言葉が続く。
「……まぁ、アレは私の魔術を使っても対処は不可能だった。神の呪は、どんなに腕の立つ魔女や魔術師の手に掛かっても所詮下っ端には解けやしないのさ」
美女は嗤う。
「して、キールド。お前は、ミシェルを助ける方法を探しているのだろ?」
「どんな方法でも構わない。教えてくれ!」
「何だい、其の顔は。まるで捨てられた子犬のように哀れだな。見ていて愉しいよ」
「頼む。俺はミシェルを死なせたくないんだ」
「あの子を助けるなんて簡単さ。お前がミシェルを愛してやればよい。耳元で甘く、優しく愛を紡ぎ、交し合えばよい。心が通じ合っているのなら至極簡単なことだろう?」
「……――」
キールドは俯き拳を握りしめた。
「臆病者め」
クツクツ喉を鳴らして美女は嗤う。
「想いを拒絶されるのがそんなにも恐ろしいか」
「……違う」
席を立った美女が、コツ。コツ。とヒールの音を鳴らして近付いてくる。
「そうだろうな。お前は対人を避けるように生きてきた。時と場合が許す限り、ありとあらゆる対人から逃げてきた。本来お前がすべき事を全て、弟に押し付けて」
「…………」
からかうように頬を撫でる冷えた手を払いのける。
「一人は嘸かし気が楽であっただろう。自分の事だけを考え、行動をすればよいのだからな。然し時の経過と共に孤独を実感し、人恋しさを認識した瞬間、お前は初めて寂しさを知った。お前が国軍を率いたのも、魔討に席を置いたのも、人形だけでは埋めきらなかった隙間を埋める為……なのだろう?」
トントン。と人差指が心臓の真上を突っつく。
「お前が他者に求めているたのは愛情ではない。お前にとっての都合のよさだ」
「違――」
顔をあげて見た美女の蒼い視線と交わった瞬間、深く揺らめく深海に身を投げたような感覚に襲われた。
「お前はミシェルに人形と同じ程度の興味しかもっていない。だから初めから、あの容姿を見ても動じなかった。違うか?」
「……俺だって人間だ。初めてミシェルを見た時、心臓が口から出そうなほどに吃驚はしていた。だが魔界にはあれ以上に悍ましい化け物がごまんと生息している。一々気にする必要がないだろう」
「なるほど」
美女は退屈そうに返す。
「ミシェルを救う方法を教えてくれないのなら結構だ。自力で探し出す」
「お前の耳は節穴か。先程教えてやっただろ」
「なら別の方法を教えてくれ」
「憎たらしい」
「っ――」
美女の細い腕のどこにそんな力があるのだろうか。片手でキールドの首を掴み軽々と持ち上げてみせた。ヘルシング卿が腰に下げた剣を抜こうと身構えるがタナトスが制する。
「お前が、あの晩に約束を交わしさえしなければ、無駄な期待に心を躍らせることなく、ミシェルは夢を見た儘、長い年月を生き延びることができたというのに」
どんなにもがこうが、首を掴む手を引っ掻こうが力は弱まることをせず。
「お前が……お前さえ居なければ……!」
「……誰が、ミシェルを……」
ザワザワと鼓膜が震え、頭部がカーッと熱くなり膨張していくのを実感しながらキールドは声を絞り出す。
「人間に、した……?」
其の瞬間に気道を圧迫していた手が離れ、糸が切れたマリオネットのように其の場に崩れたキールドは激しく咳き込んだ。
「くっ――」
突然横腹を蹴り上げられ、呻く。
「クソヤロウ!」
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、美女はキールドに暴行を続けた。
「メアリー」
タナトスが羽交い締めにして引き摺るように離す。
「腐っても一国の王子デスヨ。殺シてはダメ、デス」
「クソッ! どんな魔法を使って姿を変えたとしても、本質は変わらない。得た姿は所詮紛い物で、長く続くわけではない。……ヒトの子よ。お前に分かるか? 手を伸ばせば届く距離に居た愛する者達を失う苦しみが。残される悲しみが。助けられる力を持ちながらも使う事が許されず、指をくわえて見ている事しかできない歯痒さが」
「なら、何故……力を使わない……」
床に伏せた儘のキールドは続ける。
「助けられるほどの力を持っているのなら、何故、ミシェルを助ける為に使わない」
「お前に私達が生きる世界の決まりが理解できるものか」
「本当は、助ける力なんて、持ち合わせていないのだろ?」
「…………」
水風船が割れるように美女の身体が弾けて水となり、大きな球体がキールドを包み込む。突然酸素を奪われ苦痛に歪む整った美しい顔。耐えきれずに形のよい唇からゴポゴポと音を立てて出ていく無数の泡。どんなにヘルシング卿が水の球体を壊そうとしても、ぴちゃんぴちゃんと湿った音が立ち表面がぷよぷよ揺らぐだけで壊れる気配がない。
「此の儘お前を殺してやろう」
背筋が震えすほど冷やかな美女の声が何処からともなく響く。
「メアリー、やめてクダサイ!」
タナトスが動く。
「どんな劇薬にも初めから解毒剤など存在しない。其れは存在する必要がないからだ。誰もが覚悟をもって、何かを得る為に不要だと判断したものを切り捨て、手を出している。ミシェルを諭せなかった件については私の責任だが、私は求める者を拒むことができない性分でね。特にあの子が……ミシェルが初めて私を必要とし、己の幸せの為に行動を起こそうとした」
ふと、シャボン玉が弾けるように水の球体が壊れ、キールドを解放する。再び水が美女の姿を写し激しく咳き込んでいるキールドの頭部を高いピンヒールを履いた足で踏み付けた。
「よりによって、こんな男の為に永遠を捨て、長く続かない夢の中に生きる事を選ぶとは」
深い、深い溜息が漏れる。
「よいか、ヒトの子よ。よぉくお聞き。先程も言った通り、劇薬に解毒剤など存在しない。そもそも魔族がニンゲンになるなど実際には不可能だ。幾ら姿形、内臓の仕組みがニンゲンに見えようとも、所詮は模倣でしかない。本質は何一つ変わっていないのさ」
キールドの首横スレスレの位置に魔術的な模様を纏った美しい銀の短剣を落とし、頭を踏みつけている足をどけた。
「既にミシェルはヒトの命を口にした。咀嚼をしたものの、嚥下せずに吐き出しただけでとどまっているから、大きな被害に発展せずに済んでいる。もしもお前が、本当にミシェルを救いたいと思うのなら、其の短剣で殺されてくれ」
美女は言葉を続ける。
「其れには特殊な呪いが掛けてあり、お前の血を吸うことで持ち主となるミシェルを飢えさせ血肉を貪りたい欲求を増長させる。一口でもお前を食らうことでミシェルは本能に従い行動する筈だ。薬によって抑えられた魔が目覚めれば、助かるだろう」
「荒療法ってやつか」
キールドは起き上がり、其の場に姿勢を正して座った。
「お前の肉体はミシェルの一部となり共に生きる」
「俺の魂はどうなる?」
「僕が責任をもって冥府へ届けマス」
「ヘルシング卿。今まで、お世話になりました」
「何故、そうも死に急ぐのです。まだ猶予が残されているというのに」
「時期に夜明けが来る。お前達に残された猶予は後三日程度だよ。其れまでにお前がミシェルを愛せれば死ぬ必要はない。然し、其れは不可能なのだろ?」
「…………」
言葉が返せず俯くより他になく。
「愛など所詮はニンゲンが創りだした幻想だ」
美女は謳う。
「どんなに甘く優しい言葉も現実の前では虚構に過ぎない」
美女は謳う。
「泡沫のように、想い出さえも消えていく」
「記憶の奥底で眠りさえすれど、愛し合った想い出は消えません」
ヘルシング卿が言葉を返す。
「愛は憎しみを生み出すが誰も救わない。ヘルシング卿。お前達もそうだっただろ? 結局、お前だけが生き延びて、妹はお前の所為で死んだ。忘れたとは言わせないからな。あの事が原因でミシェルは――」
憎しみを噛み殺した表情を浮かべた美女は最後まで言葉を紡がず、溜息を漏らした。
「とっとと去れ。お前の顔を見ていると、虫唾が走る」
「……ありがとうございます」
「謝罪をされる覚えならあるが、礼を言われる覚えはないね」
「…………」
立ち上がり深く頭を下げたキールドは短剣を懐に仕舞い去って行く。完全に気配が遠ざかった頃、何度目か分からない溜息を漏らした美女は呟く。
「あのクソガキ。助けずに殺しておけばよかった」
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